人工物の進化と人間の軟弱さ

技術革新は両刃の剣であり、安楽を提供する代わりに人間の能力を奪う結果をもたらしている。それは肉体的な面に留まらず、精神的、知的な面にも現れてくることだろう。

歴史、特に20世紀以降の技術発達の歴史を振り返ってみれば、そのおかげを被りつつも人間は軟弱になる一方だということが分かる。

技術革新の両面性

「生活を楽にする」という命題は、苦労をしなくて済むようにするということである。この命題は、飢えや寒さから人間を守り、最低限の生活を保障することをその下限として持ってはいるものの、それ以上の水準になると、それは「生活を安楽にする」こと「生活を安逸にする」ことに変質してしまい、人間の努力を最小限にして、許容された範囲のなかで人間を肥大した欲望の塊と化すように仕向ける結果になってしまう。肥大した欲望には際限がなく、あれもしたい、これもできるようになりたい、とどんどん膨らんでしまう。アーミッシュのようなミニマルな生活でも生きてゆける筈であった人間が、相互に利便性を提供しあってきた結果、自分たちを肥え太らせることになってしまった。

そもそも技術革新は両刃の剣であり、安楽を提供する代わりに人間の能力を奪う結果をもたらしている。自動車や電車や飛行機の発明によって、徒歩圏内で生活をしていた人間は、もっと広い世界に出て行くことができるようになったが、代わりに脚力が低下して、わざわざトレーニングジムに行く始末になっている。照明機器が登場したおかげで、夜間も働いたり楽しんだりして生活ができるようになったが、その代わりに自然なサーカディアンリズムは慢性的に狂わされてしまった。火薬と銃の発明によって剣や槍や弓矢の到達範囲を超えた遠方の標的を撃破することはできるようになったが、その延長としてのミサイル等の武器の技術的進歩のおかげで、破砕された人体の有様や遺された家族の嘆きを見なくても済むようになってきた。

一般的なICT関連の人工物についても、たとえばメールやSNSの普及によって遠隔地の人々とそれぞれが都合の良い時間にコミュニケーションをとることができるようになったものの、メールやSNSが発信人の人格や思考の一部しか伝達していないことから、時に感情的な食い違いが生じたり、適切な人間関係が損なわれてしまう結果にもなっている。また、Rによる統計解析プログラムの普及によって、面倒なプログラミングから解放され、簡単に所望の処理結果を得ることができるようになった反面、当該の統計処理の意味を十分に理解せずに尤もらしい処理をしてしまう傾向もでてきた。プレゼンテーションソフトが容易に使えるようになったおかげで、少なくとも見かけ上は効果的なプレゼンテーションができるようになった反面、箇条書きになれてしまったためにきちんとしたテキスト(平文)を書けなくなった傾向もある。ともかくこうした事例は幾らでも挙げることができる。

欲望の肥大化

人工物進化を考えている自分としては、幸いまだ進化の途上の世界に生きているために、昔と現在の差分によって進化の便益を実感し、(武器の問題は別として)ありがたいことだ、と思うこともできる状態にいるのだが、あと20年、30年してさらに技術が進歩したときに生きているとしたらどのような感想を持つようになるだろう。大した苦労をしなくて済むようになった時代に生まれるコーホートの人々は、昔と現在の差分を実感することもなく、周囲の人工物環境を当然のことと思い、それでもまださらに人工物の進化を願い続けるのだろうか。人工物の更なる進化にともなって、それまでは人々が気にしていなかったネガティブな側面がクローズアップされるようになり、人類としての反省をするような機会を持つことができるようになるのだろうか。

こうした欲望の肥大化を煽っているのがマーケティングとデザインである。これらの領域で活動している人たちの多くはゼロからプラス方向を目指す魅力的品質の魔力に囚われており、マイナスをゼロにする当たり前品質を省みようとしない。未来社会に対する洞察もなく、いつも次の時代の良いところだけを考えている。典型的な場面はテレビCMのような広告であり、両刃の剣の片刃の部分だけを、しかも実態というよりはイメージ的に増幅して伝えており、その反面を考えさせる暇なく、人々にプラス方向の情報を提供しつづけている。

ミニマルライフの可能性

ここで考えるべきなのは、どこがゼロレベルなのか、どこまでが許容されるべき進化の水準なのだろうか、ということだ。一つの考え方は、ミニマルライフとは、受容可能な範囲での技術的進化を受け入れて、それ以上を望まないことであり、そうした生き方を人類すべてが志向すべきだというようなものだろう。つまりゼロレベルでの生活を維持することである。しかし、それを具体的に考えることは難しい。移動についていえば自転車や馬車までは許容できるのか、照明については蝋燭とランプまでは受け入れられるのか、武器については火薬や化学的原料を使わなければいいのだろうか。いや、それは無理なことだ。安楽を、有効さを、効率を知ってしまった人間は、もう後戻りをすることはできないからだ。

それでは現状を許容できるものとして受容し、それ以上の進化を諦めることを考えるべきなのだろうか。いや、それも難しいだろう。マッドサイエンティストに限らず、誰かが何かを考え出してしまうのが世の中というものだ。そして人々がそれに魅了されてしまえば、もうそれまでである。現在のように、より良いUXを、などと言わずとも歴史は動いてしまう。歴史の階段を一歩上がらずには済まされなくなる。

可能な未来

恐らくは、外的要因によって人々の重点意識が変わらざるを得なくなるまで、つまり、資源枯渇、人口爆発、食料問題などなどによって、有無を言わさず関心事がシフトされねばならない状況になるまでは、人工物の進化は止まらないだろう。いや、そうした事態を解決するための人工物の進化が新たに注目されるようになるだけかもしれない。

同時に、人間の軟弱さは肉体的な面に留まらず、精神的、知的な面にも現れてくることだろう。強くて留まることをしらないのは欲望だけだろう。特に後者については2045年に象徴されるコンピュータの知的爆発が問題になるだろうが、いざ、そういう時代になった時に、その時点の軟弱な人間達はそこに不安や恐怖や後悔を感じることができるだろうか。

公開:2015年5月22日
著者:黒須教授

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