生涯使えるコンピュータスキル

学校は、取扱説明書を読むことからは学べない、コンピュータに対する奥深い戦略的な見方を教えるべきである。

(編集部注: この記事は、本家Alertboxにて2007年2月に公開されたものです)

最近、小学3年生にコンピュータを教えるために使われる教科書を見る機会があった。ある章(「大きな計算機」)では、Excelでの表のフォーマットの仕方についての細かい手順が取り上げられていた。結構なことだ。ただ、Excelの新バージョンの特徴はユーザーインタフェースが完全に見直されていることであり、従来のコマンドメニューは結果指向のUIを備えたリボンに置き換えられてしまうのだが。

そういうわけで、残念ながら、誇らしげなご両親には、お宅のお嬢さんが習う知識は彼女が3年生を終了するまでには時代遅れになっているだろうと言わなければならなかった。

もちろん、ここでの問題は、教える内容と特定のソフトウェアアプリケーションの結びつきが強すぎることにある。仮にMicrosoftがExcelの完全な変更を今年は行わなかったとしても、それがいずれ行われるのは間違いないからである。しかし、Office 2007を教えられるように教材を改訂する、というのは解決策ではない。今の3年生たちが仕事をするようになる10年か15年後には、そして、彼らが定年を迎える2065年までには、さらにUIが変更されていることは確実だからだ。

まだ学生である子どもたちに、彼らがすぐに利用できるスキルを教えるというのには一理ある。しかし、特定のアプリケーションの変更に左右されない、永続的に彼らのためになる奥深い概念を教えることはもっと意味があるだろう。

生涯使えるコンピュータスキルを学校で教えることで、生徒には自力では獲得しそうもない見方ができるようになるというさらなる効果がもたらされる。対照的に、ソフトウェアはどんどん利用しやすくなっていっているので、誰でも円グラフの書き方ならわかるようになるだろう。人は必要なときには機能の利用方法を自力で学ぼうとする。つまり、求めるための動機があるからである。しかし、学校教育がきっかけにならない限りは、際限なく後回しにされるのが、概念的な事柄と言えるだろう。

以下は、小学校で教えるべきだと私が思う一般的なスキルである。

検索の戦略

検索エンジンの今のマーケットリーダーは20年後にはいなくなっているかもしれない。さらには、すべての検索エンジンで現時点では優勢な検索ページレイアウトも今後変わっていくのはほぼ間違いないだろう。したがって、子どもにはGoogleのコツを教えるべきではない。

そうは言っても、検索についての一般的な概念だけは、これからもさらに重要になっていくだろう。というのは、どこからでもアクセス可能な情報が今以上に増えるからである。良質な検索キーワードをどうやって考案し、検索キーワード変更などの検索の工夫をどうやっていつ行い、どうやって詳細検索をして、検索結果の関連度をどのように評価し、タイプの異なる複数の検索エンジンをどのように組み合わせるのか、といった戦略は、こうした戦略の変更を具体的にどのように実装するのかと同じくらい、依然、重要なままだろう。

情報の信頼性

子どもを対象にしたウェブサイトのテストで、彼らは大人のユーザーより広告をクリックする回数がずっと多いということがわかった。したがって、子どもには、スポンサードサーチによるヒットと、オーガニック検索によるヒットの違いなど、さまざまな広告のタイプの見抜き方を教えることが重要であるのは間違いない。しかし、さらに進んで、オンラインでの情報の信頼性についての判断やチェックの仕方を子どもに教える必要もある。ティーンエイジャーはオンラインではとりわけ忍耐力がないため、被害の対象になる可能性が高いからである。

情報の過負荷

将来、Eメールの数はさらに増えるだろうし、インスタントメッセージング、ショートメッセージサービス、ボイスメール、通話、ビデオメールも増えれば、ウェブサイトも増えるだろうし、ポッドキャストも今以上になって、イントラネットの内容もさらに豊かになるだろう。そのうえ、こうしたことのすべてを、オフィスでも、自宅のコンピュータでも、そして、モバイル機器などのさまざまなワイヤレス機器でもできるようになるだろう。

シンプルなステップによって、情報の過負荷に対抗することは可能だが、情報が雪だるま式に増加するにつれて、さらに洗練された戦略が必要にはなるだろう。

オンラインの読者向けのライティング

インターネットやイントラネットなどのインタラクティブなメディア上できちんとしたコミュニケーションができるということが、仕事のスキルとしての重要さを増している。大規模な調査から明らかになったのは、印刷物を読むのとはかなり違う読み方をオンラインではユーザーはするということだった。したがって、生徒にはハイパーテキストの書き方を教えるべきであって、印刷される文書の書き方を単に教えるということをしてはならない。

コンピュータを使ったプレゼンテーションスキル

うまい話し手は、箇条書きを見せて聴衆を眠らせるためではなく、自分のプレゼンテーションを魅力的にするために、どのようにPowerPointを利用するのかを知っている。ビジネスプロフェッショナルのほとんどはしっかりとしたプレゼンテーションスキルが出世には欠かせないことを認めてはいる。しかし、今日のプレゼンテーションはコンピュータを使ったものが多いため、言いたいことを人に伝えるためには、純粋なスピーチのうまさ以上のものが必要であることを理解している人は少ない。

生徒の多くは自分のプロジェクトの発表にPowerPointをすでに利用してはいる。スライドを投影する仕組みということにとどまらない、コンピュータを使った効果的なプレゼンテーションスキルというものを彼らには教えるべきである。

作業スペースの人間工学

生活のコンピュータ化が進むにつれて、手根管症候群や「ブラックベリー指」のようなRSI(反復性ストレス障害)によって痛みを感じる人が増えている。自分の健康をどうやって守り、実証された人間工学ガイドラインに従って、どのように作業スペースをセットアップするかを教えるべきである。そこでの最初のルールとは、休憩を頻繁に取って、立ち上がることである。しかし、それにはさらに多数の規則が続いており、そこにはモニターの位置や椅子や机の高さ、照明も含まれる。ほとんどのコンピュータの配置は健康を害するものになっており、頭痛や腰痛、RSIを誘発しているからである。

デバッグ

誰も彼もプログラマーにならせる必要はないが、デバッグの基本概念というのはこのコンピュータの時代には欠かせないサバイバルスキルだろう。例えば、ほとんどのスプレッドシートには数式エラーがあるものだが、こうした間違いの見つけ方を知らない限りは、間違った数字をベースに判断することになってしまうからである。

ユーザーテストなどの基本的ユーザビリティガイドライン

すべての子どもがプログラマーになる必要がないのと同じく、彼ら全員をユーザビリティの専門家やインタラクションデザイナーにする必要もない。そうは言っても、インタラクティブな環境でビジネスを行う機会が増えれば増えるほど、インタラクションを容易にするための基本原則を理解することがより重要にはなってくる。「再認 vs. 再生」あるいは「一貫性」のようなユーザビリティのヒューリスティックスを理解することは、カエルの解剖の経験と同じくらい、教育を受けた人には重要になるだろう。

これまで以上にコンピュータ化される商品カテゴリーが多くなり、操作がまずます複雑になるにつれて、自分の役に立つ商品を買うことのできる知識を備えた消費者になるために、商品の使いやすさをシンプルに判断できる能力が必要になるだろう。

また、大人としてユーザーテストを行うことが一度もなくとも、すべての子どもは学校で一度はそれを試すべきだと思う。テストの運営は、多数のユーザビリティの重要概念についての認識を深める、シンプルかつ効果的な方法だからである。例えば、先生は子どもたちにさまざまなトピックについての小さなウェブサイトを作らせて、そのサイトがどのくらいうまく情報を伝えられているかを確認するためにお互いにテストさせればよい。他の子どもが自分のサイトの内容を理解できない様子を見るのは、先生の赤ペンの入った自分のエッセイよりも、ずっとやる気をおこさせるものである。

The New Division of Labor: How Computers Are Creating the Next Job Marketという著書の中で、Frank LevyとRichard J. Murnaneは将来、海外に移転されたり、自動化されたりする可能性の低い重要なスキルが3点あると強調している。それは、問題解決スキル、概念同士の関係を理解するスキル、対人コミュニケーションのスキルである。今回、私が概説している生涯にわたるコンピュータスキルも、そうしたスキル同様、グローバル化が進んでも持続可能なキャリアを生徒が身につける準備となるだろう。

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Original image by: Collin Knopp-Schwyn

2013年4月22日修正

4月15日の記事初出時、”We shouldn’t turn everyone into a programmer”を、「誰も彼もがプログラムを書けるようにする必要はないが」と訳しておりましたが、@abee2様からのご指摘を受けて、4月22日に「誰も彼もプログラマーにならせる必要はないが」と修正いたしました。

また、”Just as all kids shouldn’t have to become programmers”も同様に、「すべての子どもがプログラムを書けるようになる必要がないのと同じく」と訳しておりましたが、「すべての子どもがプログラマーになる必要がないのと同じく」と修正いたしました。

ご指摘いただきましてありがとうございました。