病院のユーザビリティ

私は、ヒューマンインタフェースという日本でよく使われている用語が、世界的に使われているヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)という用語よりも気に入っている。その理由は、前者には、人間に関するインタフェースの問題をコンピュータに限定せずに考えよう、というニュアンスが含まれているからだ。たしかにコンピュータが生活や仕事のさまざまな面に入り込んできているのは事実だし、またそれがいろいろな問題を引き起こしていることも事実だけど、HCIと言ってしまうと、コンピュータが入っていない問題を扱えないことになってしまう。その意味で、個人的にはヒューマンアーティファクトインターフェース(HAI)、すなわち人間と人工物のインタフェースを扱う、という言い方を提唱している。

HAIが取り扱う対象は、もちろんHCIの部分もあるけれど、それ以外に、可視的な人工物のうち機器という形態に集約されており、感覚的に対象化しやすいもの、たとえば自転車とか鍋釜とかをすべて含む。これらを可視的対象物と呼ぶことにしたい。また可視的な人工物でも、巨大なもので、感覚的に対象化しにくい面のあるもの、たとえば建築物や都市なども含む。これらは可視的環境と呼ぼう。さらには、非可視的な人工物としての病院というシステムや保険というシステム、政治や経済のシステムなども含むものと考えている。これらは非可視的人工物とよぶことにする。これらの非可視的な人工物は、病院であれば機器や建物として、また保険であれば保険証という形で可視的な人工物も含んでいるが、それ以外の約束事や決まり事といった側面の果たしている割合が大きい。逆に可視的な人工物であっても、非可視的な意味規則や暗黙知などによって影響を強くうけている。したがって、人工物を扱うときには、こうした両面をバランスよく扱うことが必要だと考えているわけである。

さて、今回は病院というシステムを例に取り上げてみたい。可視的対象物としては、病院で使われている様々な機器や文書などが考察の対象となる。現在の病院で使われている機器は、実用性や機能性を重視するあまり、人間的な暖かみに欠けているのは周知のことであるが、我々は患者という形で医者の世話になる受け身的な立場にあるため、普通は、それに文句をいうことはしない。それを知ってか知らずにか、医療機器メーカーも機能的な面にだけ重点を置いた機器の開発を続けている。一部のメーカは、たとえばMRIという機器に対する患者の不安を和らげるために、そのデザインに丸みをとりいれたりして暖かく優しさのあるデザインを心がけているが、こうした例は少数である。不細工な器具に点滴をぶらさげたまま廊下を歩いている患者、冷たい金属製のベッドに寝かされている患者、辛うじて視線を遮蔽しているが声は素通しになってしまうカーテンで話をさせられる患者、ただのソファーにぎゅうぎゅうづめで座らされている沢山の待合い患者、こうした姿を見ると、病院で使われている機器は、患者を人間としてではなく、ただの病気をもったモノとして扱っていることが良くわかる。彼らを効率的に処理することが病院の目的であることが嫌でも分かってしまう。

建物のような可視的環境にも問題は多数ある。古い病院の場合だと、建て増しをしているケースが多く、その全体構造のメンタルモデルを作るのが大変である。うねうねした廊下を歩いていって階段やエレベータを上り下りして移動しなければならない。床の上に目的地に対応した色別の導線を書いているところもあるが、すりきれていたり、途中でとぎれたりしていることもある。それだけでなく、大抵の大病院では、初診の時に、まずどこの窓口にいって、それからどのような順番でどこを回ればいいのか、そのためのサイン計画が十分にされていないことが多い。

非可視的人工物の面では、患者と医者との関係の問題がある。患者が何かを知りたいと思っても、そのための情報が適切には提供されない。もちろんそのタイミングは最悪で、待たせる、ということが大原則になっているかのようである。また良く指摘されることだが、大学病院では、患者は研究の対象になっていて、特に偉い大先生にとっては、患者を人間として見るという視点が欠落している。そもそも病院というシステム自体が患者に対する概念設定を間違えているところに問題の根がある。

こうした状況を改善するためには、もちろんユーザ工学を適用すればよいのだが、ユーザ工学は機器を開発している当事者、システムを運用している当事者にまず改善のための動機付けがなければならない。方法はあっても、その運用のための状況設定がまだできていない。そうした動機付けを起こさせるための問題提起もユーザ工学の役割の一つなのだが、頑迷な伝統文化に支配されている病院システムに立ち向かうのは大変である。もちろん少しずつ、こうした問題提起をし、アプローチをしていくことは必要であるが。

公開:2001年8月27日
著者:黒須教授

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