ホームドクター制と患者中心設計

重篤な患者優先のため、軽度な患者は地元の医者に診てもらうホームドクターの考え方には落とし穴もある。UCDを医療に適用した患者中心設計の立場からそのことを考えてみたい。

  • 黒須教授
  • 2015年7月15日

大病院の混雑を避け、重篤な患者を優先的に診られるようにするため、症状の軽度な患者は地元の医者に診てもらうように、というホームドクターの考え方があるが、そこには落とし穴もある。ユーザ中心設計の考え方を医療に適用した患者中心設計の立場からそのことを考えてみたい。

その理由は、ホームドクターとなる医者がきちんとした判断のできる程度に有能である、という前提が崩れてしまったら元も子もなくなるからだ。また、そもそも患者の側に、この症状が軽い病気に関係するものか、重い病気に関係するものかが的確に判断できるかどうか、という問題もある。

命に関わる誤診や見落とし

僕の母親の話だが、以前、発熱したためにホームドクターの内科医院に通っていた。その医師から、これは風邪でしょうということで解熱剤を処方されていた。しかし何日たっても熱が引かないということで別の大きな病院に連れて行ったところ肺炎だという。即入院となり、抗生物質を点滴され、結果的には回復した。高齢者の肺炎は死に至ることもあるので、慎重な対応が求められるところだが、その開業医は肺炎の可能性を疑ったのかどうか、ともかく病院への紹介状を書くようなことすらしなかった。

その後、今度は自宅で転倒して頭を打ったらしく(記憶が定かではないため、実際のところはどうだったのか良くわからないのだが)激しい頭痛と嘔吐の症状を示した。そこで脳神経外科の小さな病院に連れて行った。そこでCTを撮られ、その画像をみた医者は、特に出血もしていないので、ただの頭痛でしょう。CT画像を見せられたが、その見方が分からない素人の僕には判断がつかなかった。まあ二、三週間してもまだ痛いようだったらまた診ましょう、ということで痛み止めを飲むように言われた。

その後、三週間ほどして、母親はまた同じ症状を示した。今回は症状が強かったので、救急車にきてもらい別の大きな病院に連れていってもらった。すると、そこでの診断はくも膜下出血ということだった。転倒は関係ないでしょう、とも言われた。そこで撮ったCTの画像を見せてもらうとたしかに出血している。念のためということで、以前の病院で撮ったCT画像をCDに焼いてもらって、そこの医者に見てもらうと、やはり出血してますね。ただこの時はちょっと軽いので、見過ごしたかもしれない、という。改めて出血の部位を指し示してもらうと、たしかに脳の両側で濃さが違っている。そうやって教えてもらった画像の読み方をすれば、その部分は素人の僕にだって見過ごすことのない程度の濃さの違いだった。

できすぎた話なのだけど、肺炎を風邪と誤診した医院と、くも膜下出血を見逃した医院とは連携して何とか会というものを組織していることがわかった。愚者は寄り集う、などというのは言い過ぎかもしれないが、僕の怒りの気持ちはそのくらい強かったのだ。ともかく両方とも命に関わることだった。それを見過ごしてしまい、本格的な検査や治療のできる病院に紹介せず、自分の手の内で済ませてしまおうとするようなことは許されないと思う。これではホームドクターなんて危なくって、と思うようになっても仕方ないだろう。

ホームドクター制は医療の問題を解決できるか

こんなことがあると、病気になったらやはり大病院か大学病院へ、という多くの一般の人たちが持っているであろう発想も理解できてしまう。いや、もちろん大きければいいというわけではないだろうけれど、どの職業だってそうなのだから、医者にも優秀な医者とそうでない医者がいることは認めなければならないだろう。そして、ホームドクターがフィルターとしての役割を果たしていないのでは、話にならない。

反対に、僕が中心動脈閉塞症で右目が見えなくなった時、最初に出向いた小さな病院の院長は、即、紹介状を書いてくれた。症状が明らかだったからかもしれないが、迅速な対応だった。僕はその日のうちに医大の病院に向かい、そこで5日間連続して血液の凝固を溶かすという点滴を受けて、なんとか視力0.3にまで回復できた。このケースでは、ホームドクターがその機能を果たしたと言えるだろう。ただ、その小さな病院は人気があるのか、患者が大勢待っていたから、その混雑を避けるためには、さらに小さな開業医をホームドクターにするのが望ましいのかもしれないが、しかし、そうなるとたらい回しの問題が発生してしまうだろう。小さな開業医から、小さな病院へ、そして大病院へ、と回っているうちに症状が悪化してしまうかもしれない。

要するに大病院や大学病院の混雑は、ちゃんとした医者が少ないことの現れであって、開業医や小さな病院の多くを信用していない人が大勢いるということの証拠なのではないだろうか。もちろん大病院だから優秀な医者がいる、とは限らないし、開業医や小さな病院にはレベルの低い医者しかいない、ということでもないだろう。ただ、確率の問題ではあると思う。単なる主観確率かもしれないし、根拠がないだろうといわれれば、患者の手元には誤診の統計データなんかないのだから、明確な根拠を示すことはできない。しかし、何とはなしにそう思う。

ともかくホームドクター制度をきちんと確立するためには、医者の優秀さを何らかの評価指標をもって格付けをすることも必要なのではないか。いや、そうしたら格付けの低いところはすぐにつぶれてしまうから、それも問題だという言い分はあるかもしれない。しかしそうした淘汰は必然だろうと思うし、文句をつけるべきことではないようにも思う。実際にはそうした制度化は困難なんだろうけれど、現在のような医療制度のままでは、いつまでたっても患者中心設計にはならないだろう。