ユーザビリティとUX

ユーザビリティ関係者の関心が、ユーザビリティからUXに拡大し、もしくは移行するようになってから既にかなりの時間が経過した。UXにおいては実用的品質と感性的品質の両方を考慮すべきだというHassenzahlのモデルが受容されていることは理解しやすい。

  • 黒須教授
  • 2011年6月20日

ユーザビリティ関係者の関心が、ユーザビリティからUXに拡大し、もしくは移行するようになってから既にかなりの時間が経過した。もちろんユーザビリティというキーワードが死滅した訳ではないし、UX全盛という訳でもない。ただ、この推移は興味深いことであると同時に、いささかの危険性をも伴っているのではないかと思っている。

Normanが、ユーザビリティという概念では何か言い尽くせないことがあり、より広い概念を求めてUXという言い方にたどり着いた、とどこかに書いていたように記憶しているが、それは関係者の気持ちを代弁している言葉でもあるだろう。特にウェブデザインの関係者においては、機器デザインの場合とは異なって、ユーザビリティだけを切り出して論じることが難しく、またそれだけでは意味がないこともあって、UXという概念は特にこの領域で急速に広まったように思う。ウェブの場合には、目の前に見える画面がユーザにもたらされる刺激のすべてであり、ユーザが行動する場所のすべてであるため、ユーザビリティに属する操作性や認知性だけでなく、その審美性や魅力も同時に考慮する必要がある。いいかえれば、ユーザが引きつけられるようなデザインでなければ、ユーザは触ってもくれずに他のサイトに飛んで行ってしまう。その意味で、実用性と審美性の両方が重要であり、UXにおいては実用的品質と感性的品質の両方を考慮すべきだというHassenzahlのモデルが受容されていることは理解しやすい。ただ、Hassenzahl自身はウェブだけでなく、プロダクトについても語っているのだが。

ここに一つの危惧がある。実用的品質と感性的品質の両方を真剣に検討するのであればそれはそれでいいことなのだが、しばしば後者を強調するような論調が目立つのが気になっている。いわゆる経験デザイン、もしくはエクスペリエンスデザインという言い方は、本来なら当然のことながら実用的品質と感性的品質の両方を重視すべきものなのだが、デザイナの人たちがもともと感性的品質に関心が高かったことからか、経験デザインといった途端に感性的品質を重視する動きになってしまう傾向がある。極端な場合には、優れた感性的品質は実用的品質の欠陥を隠してくれる筈だという期待まででてきてしまうことになる。このように感性的品質を過剰に重視する傾向には注意する必要があると考えている。

僕にとってUXという概念は、モノの品質特性という独立変数から、ヒトの経験という従属変数に焦点を移すという意味で興味深いものだった。この話をするときに良く使う喩えがラブレターだ。ラブレターがいかに心を引きつけるように書けたとしても、それは恋が成就することを保証しない。だから恋を成就させることを目標とするなら、ラブレターの品質だけを考えていたのでは不十分だ、という話だ。まあ、今時、ラブレターなどという古典的メディアを利用する人がどれほどいるのかは分からないが、実はそこにコトの本質があるともいえる。ともかく、話の筋としては理解していただけるだろう。

ところで、心理学などでは、独立変数(independent variable)が従属変数(dependent variable)にどのように影響しているかを調べるとき、従属変数に影響しているが当面は研究の焦点になっていない変数を剰余変数(extraneous variable)といい、剰余変数をうまくコントロール(統制)して、その影響がない事態で独立変数の効果を調べようとする。しかしUXのような現実生活の場面では、剰余変数を統制することは殆ど不可能に近く、いいかえれば、どのような変数が従属変数に影響しているかを可能な限り検討しておかねばならなくなる。そのため、探索的重回帰分析のように、関連ありそうな変数をすべて独立変数として考慮の対象に入れることになる。UXについては、最低限、実用的品質と感性的品質の両方(といっても、それぞれは単独の変数ではなく複合的変数であるが)を考慮する必要があるといえる。

つまり、恋の成就を従属変数としたときに、ラブレターだけを独立変数と考えるのは視野狭窄状態であり、不十分である。現在の彼氏の有無、彼女の抱く関心の程度、自分自身の魅力(外見、経済状況、将来性等々)、様々な制約条件(勤務地、親子関係等々)などについても独立変数として考慮する必要がある。

UXの場合も、現実世界の出来事であるから恋の成就と同様の面はある。また恋の成就はエンゲージリングという単一の目標に(象徴的に)集約することができるし、マーケティングの立場からすれば、当該製品の購入という目標を設定することも可能ではある。

ただ、UXの観点からすると、ハードウェアやソフトウェア、サービスなどは単一目標として考慮するだけでは十分とはいえない。それぞれ多面的、多機能的なものであり、そうした多面的な特性(変数)の総体としての人工物であることを考えると、単に購入してくれたから、単に使ってくれたから、単に満足だと言ってくれたからで良しとするだけでは十分ではない。UXの話をするときに、実利用環境での長期的利用のことに触れるのはそのためである。

そして、独立変数がユーザビリティだけではないというだけでなく、従属変数も満足感という単一指標で把握するには多面的なものであることに常に留意しておく必要がある。独立変数としては、実用的品質であるユーザビリティ、すなわち操作性や認知性などからなる有効さや効率、そして状況適合性、さらには故障率や互換性、安全性など、また当然のことながら感性的品質に関係する新規性や色彩、形状なども考慮しなければならない。この両者のバランスを考慮する、あるいは漏れ落ちのないように気をつけるべきことは前述の通りである。また従属変数としては、満足感、信頼感、安心感なども考慮すべきだろう。これは、ISO 9126-1における「外部および内部品質」と「利用時の品質」、SQuaREにおける「システム/ソフトウェアの製品品質」と「利用品質」の考え方に対応するものといえる。その意味で、統計モデルを考えるなら、独立変数と従属変数が共に複数ある正準相関分析のモデルが該当するのかもしれない。

なお、感性品質というものが独立変数サイドのものなのか、従属変数サイドのものなのかについては議論の余地がある。これについてはまた稿を改めて触れたいと思う。