社会システムのデザイン(2) 一人一票から評定方式へ

社会システムのデザインには、まず気づきが必要である。現在のシステムが果たしてそれが最適なものになっているかどうかという問題に気づくことが出発点となる。今回は、多数決のシステムという例をとりあげたい。

  • 黒須教授
  • 2018年10月11日

(「社会システムのデザイン(1):多数決のあり方を例にして」からのつづき)

一人一票ルールの問題点

ふたたびアメリカの大統領選挙を例に取り上げるが、2000年の選挙では、実質的にブッシュとゴアの対決となった。この場合も接戦となり、一般投票では、ブッシュが50,456,002票(47.9%)、ゴアが50,999,897票(48.4%)と僅かにゴアが優勢であったが、選挙人投票では、ブッシュが271人(50.4%)、ゴアが266人(49.4%)と、僅差でブッシュが勝利した。

ただ、この選挙について注目したいのは、消費者運動家のネーダーが立候補し、一般投票で2,882,955 (2.7%)の票を獲得したことである。つまり、ゴアの所属する民主党の考え方に近い緑の党に所属するネーダーが立候補することによって「票の割れ」という現象が発生し、ネーダーが出馬しなければゴアに入っていたであろう票がネーダーに流れたのである。陰謀論としては、ブッシュ陣営がゴアの得票を割るためにネーダーを出馬させたという話もあるが、それはさておき、ともかく「票の割れ」という現象が発生したわけである。

こうした票の割れという現象は、一人が一票しか持っていないことによる副作用としては大きなものであり、一人が複数票を持っていればゴアはもっと多くの票を獲得していたと考えられる。しかし、それでは一人は何票持っていればいいのか、となると難しい。世の中には「持ち点方式」という考え方がある。一人がたとえば10点をもっていて、それを自分がいいと思う候補者に分割して投票するというものである。そうすれば、民主党の考え方に近い人たちは、ブッシュに0点、ゴアに6点、ネーダーに4点と入れることができる。しかし、共和党支持者はブッシュに10点入れるだろうから、10対6ではやはり民主党系が弱くなってしまう。そこで考えたのが「評定法」である。

評定法の考え方

これはまだ学会で発表してはいない。どの学会に出すのがいいのかわからないからだ。HCIというほどにはComputerを活用することにはならないし、政治学の学会だと全くご縁がない。だから、このU-Siteを初出にしてしまうことにした。引用される方は、この記事を出典としていただきたい。

さて、心理学が開発した評価法に評定尺度というのがある。これはすでに皆さんがおなじみのもので、1 2 3 4 5とか、とても嫌い、やや嫌い、どちらでもない、やや好き、とても好き、のように、評定段階を決めておいて、その中の一つを選ばせるというやり方だ。このデータの処理には正規分布を想定したちょっと面倒な計算方式もあるが、粗点をそのまま使ってしまっても面倒な方式と大きな差はでないため、一般には粗点が使われている。

評定法は、この評定尺度で、選好の度合いをすべての候補者に対して行うものであり、その選好度の合計が10点とか100点とかに固定されていないので、持ち点方式とは異なっている。

やり方はごく簡単である。すべての候補者について個別に評定を行う、それだけである。評定段階は5でも7でも10でもいい。ただ、都知事選の時に我々が経験しているように、候補者の中には泡沫候補といわれる人たちがたくさん出てくる。それに対していちいち考えて評定を行うのは面倒なので、すべての候補者に対する評定はデフォルトを1にしておく。つまり、いいなと思った候補者に対してだけ、その評定値を1から所定の評定値に変更すれば良い。

5段階評定だったとすると、先の大統領選挙の例でいえば、民主党に近い考え方の人たちは、たとえばブッシュは1のまま、ゴアは5、ネーダーには4という評定を行うことになるわけだ。共和党支持者なら、ブッシュが5、ゴアとネーダーは1のままにしておく。こうすれば、面倒なこともなく、しかも自分の意向を忠実に反映した投票が行える。

そして得票のカウントにおいては、それらの粗点をすべての候補者について合計し、ポイントの最高値を得た候補者が選出されるというわけだ。こうすれば少なくとも票の割れ現象は起らない。もちろんこれを投票用紙でやっていたのでは集計が大変だから、コンピュータ画面で入力をすることになる。その意味ではHCIの一事例ということもできるだろう。

ボルダ方式について

なお、一人一票の考え方に対する代案として、ボルダ方式というものがある。18世紀の数学者で政治学者であったジャン=シャルル・ド・ボルダによって考案されたもので、ボルダ得点とも言われる。これはn人の候補がいたときに、それらに順位をつけ、1位の候補者にn、2位の候補者にn-1、3位の候補者にn-2、というように得点を与え、それを集計して各候補者の総得点を求めるものだ。

しかし、この方式には2つの問題点がある。ひとつはn人の候補者の下位のほうの候補者、つまりもうどうでもいいと思えるような候補者についても順位づけをしなければいけないという点と、それより大きな問題として、順位尺度水準のデータを距離尺度水準の数値として単純に扱ってしまっていることが指摘できる。

順位尺度というのは、オリンピックの金メダル、銀メダル、銅メダルのようなもので、順番をもとにした水準の尺度である。しかし、この水準の尺度の問題は、たとえば金メダルの競技者の実得点を8.3とした時、銀メダルの競技者の実得点が3.4であっても8.2という僅差であっても、最高点の8.3をとっているから金メダルが決定してしまうという点である。順序というのは、その間の距離尺度水準での差を無視したものになってしまうのだ。

こうした点を考えると、ボルダ方式は現実的ではなく、また適切な方式でもないといえる。それよりは、最初から距離尺度水準での評定を行わせる評定法の方が優れているといえるだろう。

社会システムのデザイン

今回は、多数決のシステムという例をとりあげて、社会システムのデザインを考えた。社会システムのデザインには、まず気づきが必要である。現在、これこれのシステムになっているけれど、果たしてそれが最適なものになっているかどうかという問題に気づくことが出発点となる。今の生活のままでもいいじゃないか、という考え方からは社会システムのデザインはできない。この点では、製品やサービスのデザインと共通しているといえるだろう。

ただ、製品やサービスはユーザに相対しているものであるのに対し、社会システムのデザインはそのシステムのユーザでもある自分がデザイナーの立場にもなるという点が異なっている。そして、もう一つ重要なのは、社会システムのデザインを行うためには、直感と感性とスキルよりは、洞察力や論理的思考(推論)能力のような理知的側面が重要になるということである。

今回、取り上げた多数決システムでは、ちょっとした論理的思考や心理学的尺度水準に関する知識が必要だった。このように社会システムのデザインを行うには、従来のデザイン活動とはちょっと違った側面が必要になり、その意味で、従来のデザイナーではない、新しいデザイナーが必要とされることになるかもしれないだろう。