社会的デザインと、デザインにおける理知的側面

機器の外観やグラフィックのデザインの仕事には、直感と感性、そして描画や造形のスキルが重要だ。だが、近未来のデザイン領域のデザイナーにとっては、それらや、人間工学や認知工学の知識だけでなく、洞察力や論理的思考能力、つまり理知的側面が重要だと考えている。

  • 黒須教授
  • 2018年8月28日

直感と感性とスキルによるデザイン

ともすると、デザインの仕事は直感と感性とスキルで進めていくものだと思われがちだ。最近ではオフィスでの服装は比較的自由になってきたようだが、以前は、柄シャツやTシャツ姿で職場にいるような人たちは大抵デザイン部門の人と決まっていて、感性にあふれていることを服装でもアピールしていた。

たしかに機器の外観やグラフィックのデザインには、直感と感性、そして描画や造形のスキルが重要だ。しかし、それでも最小限度の人間工学や認知工学の知識は必要で、さらに近年ではユーザ調査のスキルも必要とされるようになった。そのため、僕はデザイナーの教育、育成には現在も力を注いでいる。

だが、それは現状までの話だ。さらに近未来のデザイン領域について言うなら、デザイナーにとって重要なのは、直感と感性とスキル、人間工学や認知工学の知識だけでなく、洞察力や論理的思考(推論)の能力、つまり理知的側面が重要だと考えている。

知識、気づき、洞察、論理によるデザイン

デザイン思考の、「共感」「問題定義」「アイデア創出」…といったプロセスの枠組みは、デザインのあり方に関する大きな誤解のもとになっていると思われる。僕は少なくとも「共感」と「問題定義」の間に、問題に対する気づきや洞察が必要だと思っている。そして問題を定義するには、論理的思考能力が必要だと思っている。それら無くして問題が定義できるはずがないと思うからだ。

Stanford大学d.schoolが提示した、design thinkingのプロセスモデル(出典)。
共感、問題定義、アイデア創出、プロトタイプ、テストの5つから構成される。

そう考えると、現在流行しているユーザ調査についても、場合によっては、他人を観察したりインタビューしたりするかわりに、日常生活を送っている自分自身を振り返って、そこから得られた気づきや洞察から出発するのでもいいと思う。生半可なユーザ調査ならやらないほうがマシじゃないのか、ということだ。

ユーザ、あるいは人間に関する知識の他に、気づきや洞察、そして論理的思考能力があれば、方向を間違うはずはないと思ってもいる。

もちろん具体的な形を生み出すためには、それだけでなく、直感と感性、そしてスキルが必要になるが、直感と感性だけでは、方向を間違えてしまったり、適切な解を求めることができず、無駄な努力をしてしまうことになりかねない。もっと人間性の本質というものを理解しなければいけないし、気づきや洞察をもって論理的に思考することが大切だと思う。

多少怪しげなユーザ調査でもやらないよりはマシともいう考え方もあるだろうが、知識、気づき、洞察、論理という力を持たずにユーザ調査を行っても、有用性の高いデザインが行えることになるかどうか疑問である。ときには、なまじの調査より、本を読んで得られる知識の方が役にたつことも多い。

またデザイン思考の言い方を使うなら、「アイデア創出」というのも、大まかで適当な表現な言い方だと思う。アイデア創出は直感と感性でやるもんでしょう、と思っている人は案外多い。もちろん直感や感性を否定するわけではないけれど、ここで重要なのは、前述したように知識、気づき、洞察、論理という能力である。まとめてしまえば、今回のタイトルにもある理性や知性ということになる。

社会システムのデザイン

こうした新しいデザインは、デザインの領域が、製品からソフトウェア、そしてウェブへと拡大してきて、次に社会的なシステムのデザインへのニーズが高まってくると急速に必要とされるようになるだろう。

社会的なシステムというのは、たとえば仮想通貨を含めた貨幣経済のシステム、適切な選挙のシステム、公平な法制度のシステム、現在も残されている社会的階層を解消するためのシステム、ビッグデータをベースにした医療診断システム、ロボット技術を取り入れた介護福祉システム、変化しつつあるプライバシー概念に対する保全のシステム、環境破壊を防ぐためのシステム、暗黙知となっている社会規範を顕在知とするシステム、異民族排斥の心理に対処するシステム、敵兵の殲滅を目的としない新しい形の軍事システム、爆発的状況にある研究成果の管理システム、IoTや人工知能を用いた教育システム、等々のことである。

いったい、これらの問題に直感と感性とスキルで取り組むことができるものなのかどうか、考えてみれば良い。明らかに、知識、気づき、洞察、論理が必要となるはずである。

新人類のデザイナー

今世紀に入ってからWebデザインが盛んになり、さらにサービスデザインだのソーシャルデザインといったようなキーワードが多く使われるようになった。どうもデザインが、ユーザビリティをめざしていた時代から、企業活動支援の方向にシフトしてきてしまったようにも思う。イノベーションやスタートアップの話なんかになると、ああ、そういうのもありだけど、ちょっと本来デザインが目指すべき方向とは違うのではないか、と思ってしまう。

いや、もちろん経済活動を活性化することは社会にとって必要なことではあるけれど、それと同時に人工物、特に社会システムの利用者についてもっと考えなければならないのではないか。ともかく必要なことは考えることである。知識、気づき、洞察、論理である。それまでに得た知識にもとづいて、理性的な気づきと洞察にもとづいた推論を行って、解を導こうとすることである。ただし、これは、多くの従来型デザイナーが苦手とするところではないかと思う。

しかし、世の中がAIRoboticsIoTの時代になり、人間中心という課題に対して、最新技術を含めた新たな視点から捉えることが必要になってくると、そしてさらには、人間を含む世界全体をどのような方向に進めるべきかを考える段階になると、理知的態度は必須のものとなる。

たしかに直感と感性とスキルをベースにした現在のデザインの方向は、一つの価値はあるものだが、これからのデザインの基本は直感と感性とスキルではなくなるように思う。知識、気づき、洞察、論理をベースにした理性的デザイン、これが社会システムを改善するために求められる今後のデザインの中心になるだろう。考えること、もっともっと考えること、これがデザインの基本になる筈だ。

直感と感性とスキルをベースにした在来型のデザインの仕事はそれなりに求められるだろうから、従来型デザイナーはその仕事を続けていてもいいだろう。そして新たなデザイン領域には、もっと理知的側面の強い新しい人材が入ってくるべきだろう。