UXデザイン教からの脱却

UXデザイン教は、UXという概念を適当に解釈して使っていても受け入れてくれる、とても素晴らしい教義の世界のように思われる。しかし、きちんと編纂された教典もないようだと、早晩雲散霧消してしまうのではないか、と危惧している。

慶応大学の増井俊之さんはいつも鋭い指摘をしている。その中のひとつ、「ユーザインタフェース研究者という仕事」には次のように書かれている。

作曲家という仕事という記事を読んで、こんなことを考えてしまった。
(中略)
いまだに変なユーザインタフェース研究が生き残っているというのは、どうなっているんでしょうか?
(中略)
つまり「システムの有用性」だけで生き残るのは不可能であると言うことになってしまったんです。では、どうするか?と言うと、互助会的な(むかしのフリーメーソンみたいな)組織を作って、架空の「権威」を作るしかない。ユーザインタフェース研究教を信じる秘密結社みたいなものですね。
まず、「使えないから流行らない」というのを逆手にとって、「使えないのではない。高度なので専門家にしか分からないのだ」という詭弁を繰り出す。そして、「一般の人には無理でしょうから、ユーザインタフェースの専門家が審査し評価します」という閉じられた世界を作ってしまい、その中で「学会」や「賞」をお互いにやり取りするわけです。それによって、ユーザインタフェース研究教に入信していれば、その世界で生きられるという構造を生み出したわけですね。

これには全く同感するし、僕も似たようなことを書いてきた覚えがある。さて、UXデザインを、それと同様にUXデザイン教とラベリングしてみてそこに話を転ずると、これはUI研究教とはちょっと事情が異なる。現代音楽教やUI研究教は外部の人々にはわからない「閉じた世界」を作っているが、UXデザイン教の場合はとてもオープンな世界を作っている。そして「何となく」であればとてもわかりやすいし、誰でも受け入れてくれる優しい雰囲気がある。誰がどう使おうと文句は言われない。とても素晴らしい教義の世界のように思われる。

実はそこにこそ問題があるのであって、UXという概念をもやもやしたまま、適当に自己流に解釈して使っていれば、それでもUXデザイン教の信者になることはできる。僕はそうしたあり方が嫌で、UXについての小難しい理屈をこねくり回している(ように見える活動をしている)のだが、残念ながらあまり積極的な賛同を受けているようには思えないし、僕的に嬉しい批判的意見をいただくこともない。

ともかく「開けた世界」を作っているUXデザイン教ではあるが、「システムの有用性だけで生き残るのは不可能である」となってしまっているのはUI研究教と同じような状況といえよう。ユーザビリティが客観的品質特性の一つであり、従属変数としてのUXに対して独立変数に位置づけられる、という僕の考え方からすれば、独立変数としてのユーザビリティだけでやっていこうとするのではなく、従属変数としてのUXに焦点をあてようではないか、という考え方は、それなりに適切には思える。ただ、独立変数を放置しておいて従属変数であるUXをいきなりデザインしようという、数式的に考えればちょっとメチャクチャなアプローチがあるようで気にはなっている。さらにいえばUXという概念を振り回すことで、ユーザビリティは手垢にまみれた古い概念であると忘れ去ってしまおうとしているような動きがあることも気になっている。

すべて結果ありき、結果がすべての世界であることは確かだし、結果としてのUXに焦点化しようという考え方は分かるのだけど、そこに影響している独立変数を特定し、どのようにそれを操作するかを明確にしないことには結果を論じることもおぼつかないだろう。同時に、UXに関する評価も色々と試みはあるものの、まだ混沌とした状況であるといえ、その概念定義をベースにしたアプローチが必要だといえる。

僕のこういう話は耳たこかもしれないが、神殿の奥にはUXと書かれた紙っ切れしか置かれておらず、きちんと編纂された教典もないようだと、UXデザイン教は早晩雲散霧消してしまうのではないか、と危惧している。ISO 13407を初期の教典としていたHCD活動の危機でもあると思う。UXデザイン教に対しては、HCDという包括的アプローチから早く教典をまとめ、当然だが、その前提になるロジックを確立することが必要だろう。そうなれば宗教ではなく、論理的で科学的な取り組みができることになるだろう。

他方、独立変数としてのユーザビリティについては、研究することはもう残っていなくて、あとは実践するだけなのだろうか、という問いを発する必要もあるだろう。この分野については、学会発表的にはたしかに「面白くない」研究が多くなっているようにも思うし、その点では、先に紹介した増井さんのいうHI研究教に近い状況ともいえる。しかし、たとえば例のプロセスの図で、ユーザ調査からどのようにして着想に至るのか、というあたりは、直観やセンスに任され、いわば放置されている状態に近い。こちらもきちんとしたテコ入れが必要なんだろうと思う。

公開:2014年6月2日
著者:黒須教授

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