心理学とUCD(後編)

日本心理学会の全国大会には「公募シンポジウム」という枠がある。今回は、「経験サンプリング法による心理学研究の新たな展開-スマートフォンを介して日常を探る」と「実学としての実験心理学6-応用と科学のジレンマを越えられるか」で考えたことを述べる。

  • 黒須教授
  • 2015年11月4日

(「心理学とUCD(前編)」からのつづき)

経験サンプリング法による心理学研究の新たな展開-スマートフォンを介して日常を探る

次に紹介するのは、AllAboutUXのサイトでもUX調査法の一つとして紹介されているESM (Experience Sampling Method)に関するシンポジウムである。これを提唱したCsikszentmihalyiがポジティブ心理学という心理学の提唱者のひとりであったことから、この手法が心理学会で取り上げられたのは自然な流れといえる。ただし、心理学においても必ずしも十分に知られていない手法であったことから、会場は関心のある参加者で満席の状態となっていた。そうした事情から、手法の概説と適用事例の紹介がこのシンポジウムの中心となっていた。なお、Csikszentmihalyiは日本ではフローという概念で著名になっているが、ESMについては、彼も著者に入っている“Experience Sampling Method: Measuring the Quality of Everyday Life” Aug 18, 2006 by Joel M. Hektner and Jennifer A. Schmidt, SAGEあたりを読まれるのがいいだろう。

編集部注: ESM (Experience Sampling Method)とは

Experience sampling is a method for collecting experiences “in situ” and immediately, thus there is no disturbance because of memory effects.(拙訳: 経験サンプリングは、「その場で」すぐに経験を収集するための方法の1つ。そのため、記憶効果による乱れがない)

Participants get ESM questions on a specific device and have to answer these questions.(参加者は、特定のデバイス上で示されるESMの質問に答える必要がある)

Experience Sampling Method (ESM) – AllAboutUX

企画代表者である東洋大学の尾崎先生は、心理学的な調査法としてのESMの適切さについて、132名の大学生と105名の一般成人に対して、7日間にわたって毎日7通、回答要求のメールを送るというやり方を行い(インセンティブは50円/回)、その回答に関する統計的な分析を行ったことを報告した。この結果は、東洋大学の研究年報12号(2015.3)に報告されている。その他、セルフコントロールや主観的幸福感、鬱病の調査、マイノリティ研究に用いた事例などが報告された。

焦点のひとつとなったのは、回想法(DRM: Day Reconstruction Methodのように手法としてきちんと規定されたものがあるわけではなく、一般的な意味合いで過去を回想してもらうという手法のことを意味していた)との比較であった。回想法によって再生した過去の記憶が歪曲されてしまっていることは、Ross (1989)やWilson and Ross (2003)などで指摘されているが、そうした歪曲から逃れるためにはリアルタイムでデータを取得する必要がある…だからESMがいいのだ、というのがこのシンポジウムの基調であった。

ただし、もちろんリアルタイムでデータを取得できる範囲は一生涯にわたったものはもちろん、過去数年におよぶものも、いや現実的には数ヶ月間にわたるものでさえ、取得が困難であり、UXの観点からみて7日間程度しか妥当なデータが取れないというのでは、ちょっと困りものではある。もっとも、たとえば臨床心理学的な場面で一日一回に回数を減らして長期間データを取得することは不可能ではないだろうが、しかしそうなると日記法との甲乙が付けがたいことにもなってしまう。日記法に対しては、「日記をつけなければいけない」という観念が一日中頭にあることになるから、それから自由になれる点でESMの方がいいのだ、という意見であったが、多少こじつけ的な印象を受けた。ESMだって、いつ連絡が来るか分からないことが気になる人だっているだろうからだ。

ちなみに、僕がUX CurveやUX Graphを使っているのは、そうした記憶の歪曲があることは致し方ないとして、中長期的な経験を測定する手法として利用しているのだが、もちろんそうしたバイアスを除去するやり方がないかどうかには関心はある。

終わってから尾崎先生に日記法、特に僕のTFD (Time Frame Diary)についてはどう思うかを聞いてみたところ、たしかにESMでは一日の時間の流れのなかの点についてしか情報が得られないから、線としてのデータを得る方法も検討したい、と言ってくれた。さっそくAPCHIで発表した抜き刷りを送ってPR、PRということになった。

実学としての実験心理学6-応用と科学のジレンマを越えられるか

もうひとつのシンポジウムは、こういうタイトルのものだった。ユーザビリティUXの関係者には心理学出身者も結構いるし、僕自身、昨年の大会で同様の趣旨のシンポジウムを企画したこともあり、ちょっとのぞいてみた次第。ただし、基礎と応用、科学と工学、実験室と現場という対立軸が混乱しており、まず概念整理が必要かと思われた。

このシンポジウムには途中から入ったので、全体はよく分からなかったが、どうも基礎研究を応用場面で活かすには、科学を工学で活かすには、実験室研究を実践現場で活かすにはどうしたらいいか、という発想が基軸となっていたように受け取れた。これ、ちょっと変じゃないですか、というのが僕の印象だった。基礎研究を応用場面に活かしたいという発想があるから、開発に「貢献」できたかできなかったかが問題になってしまうわけだけれど、そもそも現場から出発していれば、そんなことはない筈だ。どうも心理学をやっている人達は、基礎であり、科学であり、実験室的である心理学をいかにして活用するかという方向しか考えられていないように感じた。心理屋としてのアイデンティティのあり方に問題があるんじゃないだろうか、とも思えた。

なにも応用などと言わなくても、また工学という枠組みにこだわらなくてもいいじゃないか。ともかく現場で仕事をしようよ。そして、仕事をしている中で、経験が積み重なり問題が抽象化できるようになったら、そこから基礎的な科学研究をしてもいいんだから。僕はそのように感じた。そもそも応用という言い方がいかんのではないか。現場における実践活動(もちろん研究といってもいい)が基本になるべきなのに、そのあたりを誤解しているようにしか思えなかった。このマインドギャップを突き崩すのは結構大変そうだな、という印象を受けた。