ステイクホルダー中心設計?

人間中心設計の「人間」がユーザを意味するなら、ユーザ中心設計の方が明確である。反対に、経営者や株主などのステイクホルダーを含んだ意味であれば、利害対立が含まれた設計アプローチということになってしまう。

  • 黒須教授
  • 2017年1月10日

ステイクホルダー

ステイクホルダー(stakeholder)という単語は、利害関係者と訳されることもあるが、一般的には関係者と訳されている。製品やサービスに関してステイクホルダーという場合には、当然ユーザも含まれる。それはISO/IEC 25010に定義されたような直接ユーザと間接ユーザを含んでいると考えてよいだろう。ただし、広い意味でステイクホルダーといった場合には、それだけではなく、設計開発の関係者である企画担当者、デザイナーや技術者、品質保証部門の担当者、さらには営業担当者やコールセンターの担当者も含むし、経営者、そして株主までも含まれる。

当然のことながら、企画担当者や営業担当者、経営者は売り上げの向上を重視するし、株主は業績の向上を重視する。それに対して、品質保証部門の担当者やコールセンターの担当者は顧客重視の視点を持ち、売り上げの向上も考慮しつつ、そのなかでの品質向上に重点を置く。また技術者は、バグがなく信頼性の高い製品づくりに力をいれる。デザイナーは新規性や斬新さに重きを置く。つまり、同じ企業に所属するステイクホルダーの間には、価値観の異なる複数の関係者集団がいることになる。

ステイクホルダー中心設計

ISO 13407以来使われるようになった人間中心設計(HCD)という表現は、曖昧さを含んでいて、その辺が個人的には気に入らない。その人間という部分がユーザを意味するのであれば、むしろユーザ中心設計(UCD)といった方が明確である。

反対に、ユーザ以外のステイクホルダーを含んだ意味で使われるのであれば、そこには明らかな利害の対立が含まれてしまうことになり、利害対立を含んだ設計アプローチ、ということになってしまう。

たとえば、売り上げや利益を重視する経営者などの人たちは、余分な費用や工数を省いて原価を下げ、利益率をあげようとする。それに対してUCD担当者は、常識外れの値付けには同意しないが、必要と思われるユーザベネフィットのためには必要な費用や工数をかけることを主張するだろう。

そして製品やサービスが市場にでてきたとき、ユーザが期待したとおりの行動をしてくれず、あるいはその製品やサービスに対して不満や不快感を表明するようになってしまった場合、当然原因追及がなされるのだが、たとえば宣伝の仕方がまずかったとか、営業努力がたりなかったからだとか、方向違いの問題指摘に走ってしまうこともある。売り上げを、その内実に迫らず、単に数値で追いかけているだけでは、何が本当の原因であったのかは分からないからだ。ERMのような手法によって、ユーザの経験したエピソードをきちんと分析するようなスタンスが確立していないと、いつまでたっても同じような愚行を繰り返してしまうことになる。

そう考えると、株主や経営者の腹のなかを探って、その方向に合わせたものづくりをすることは、結局、その企業体を弱体化させてしまうだけで、ユーザを離反させ、他社にメリットを与えてしまうことになるだろう。

もちろん創業社長がアイデアマンであり、トップダウンに設計を牽引するような場合もあるが、それであれば、ステイクホルダー中心設計という表現をわざわざ用いる必要はないだろう。どうしても言いたければアイデア中心設計といっても良いが。

生産現場の労働者への配慮か

ステイクホルダー中心設計という言い方は、Nigel Bevanが2000年頃に僕に語っていたものだったが、当時も今も、彼に尋ねても曖昧な返事しかこないので、彼の真意は分からずにいる。もしかすると製造現場で働く労働者の作業環境にも配慮しようという、人間工学的な観点だったのかもしれないが、その場合にステイクホルダー中心設計という表現を使うことは適切とはいえない。その言葉を使った途端、一気に多様な価値観をもつ関係者が幅広く含まれてしまうことになるからだ。

ただ、たとえばISO 9241-210などのISO規格について議論をしていると、時にステイクホルダーというキーワードがでてくることがある。僕としてはそれを危険信号だと認知するのだが、それとは反対に、もっと広く関係者を含めた方がいいんじゃないか、という意見があったりもするのだ。労働者の作業環境に配慮するのは人間工学として悪いことではないが、含めようとしている人々が労働者に限定されるのなら、他の言い方を考えるべきだろう。労働環境と利用環境は異なる文脈であり環境であるのだから。