プランニングと問題点

シナリオやジャーニーマップはあくまで企画の手段であり、実際の評価を得てマイナス要因を排除する仕組みが必要である。今回は、あるアミューズメントパークのアトラクションを体験するユーザがどのような経験ジャーニーをたどるかを例として考えてみた。

  • 黒須教授
  • 2015年9月14日

企画のためのツール

シナリオにしてもジャーニーマップにしても、企画のためのツールであり、あくまでも製品やサービスを提供する側が予想し期待している内容を具体的に描写したものである。特にジャーニーマップは分析的に見える面があって(事実、結構分析的な作業を必要とする)、一見すると、物事はこのとおりになるんですよ、と予告しているようにも見える。しかし、そこに含まれるタッチポイントごとの顧客の反応は、予想ないし期待していることを分析的に検討した結果にすぎず、実際の顧客の経験がそのとおりになるという保証はない。この点については誤解しないようにすることが大切だ。

なお、シナリオにはas-isシナリオとto-beシナリオがある。それらは、シナリオベーストデザインの提唱者であるCarroll, J.M.の言い方を使えば、問題シナリオ(problem scenarios)と活動シナリオ(activity scenarios)に対応する。ただ、問題シナリオについては関係者の分析(analysis of stakeholders)やフィールド調査(field studies)をもとにして作成するものであり、そこには既存の人工物の利用に関わる問題などが含まれているものの、本稿で取り扱うような企画のツールではない。むしろその前段階で利用する現状の問題分析のためのツールといえ、Holtsblattのワークモデルや、GTA、SCATなどと同類のものと位置づけられる。本稿では、企画に焦点を当てているので、ここではシナリオと言った場合、活動シナリオないしto-beシナリオに限定していることをお断りしておく。

こうした企画のツールは、製品やサービスを利用する場合の顧客に経験してほしいストーリーを期待を込めて描いたものである。実際の場面では、それを利用する過程のなかに多数の落とし穴がある。その多くはインタフェース設計ガイドラインや経験知などの形でまとめられたり知られていることなのだが、いちいちそれを気にして細かいことを書いてしまうのではメインストーリーが書けないし浮き彫りにならないという事情も理解できる。たしかにメインストーリーを描くことは大切だ。しかし、だからといってメインストーリーに対してガイドライン的なチェックを怠ってはいけない。メインストーリーをリアルに実現できるようにするためには、たとえ小さくとも、起こりうる問題点を予想し、それらへの対策を講じておく必要がある。だから、まずはメインストーリーを書き上げ、それから多面的なインスペクションによって、起こりうる問題点をチェックしていくという手順を辿ることが大切である。それと、リリースの後にユーザ調査を行って、実際の経験についての情報を集め、それが企画したストーリーとどのように違っているか、違ってしまった原因は何だったのか、それはどうすれば改善できるのかを考えることも重要だ。

ハッピーなシナリオは幾らでも書ける。ただ、そのストーリーに現実性を持たせるためには、メインストーリーを書く段階で想定される主要な課題(予想される問題点)をストーリーのなかに織り込んでおき、それをどのようにして克服し、最終的にポジティブな経験に導いていくかを考えておかねばならない。そうすれば、企画段階のストーリーメイキングとしては、そこそこ適切なものが出来上がる。

しかし、それでもまだ十分とは言えない。落とし穴に陥らないためには、その原因として無数の要因が考えられるので、それをひとつひとつ検討し、どのようにして落とし穴に落ちないようにするかを考えておく必要もある。このようなストーリーメイキングと落とし穴チェックとが合わさってシナリオやジャーニーマップは完成ということになる。

メインストーリー作成段階の課題予測

例として、アメリカの著名なアミューズメントパークを挙げよう。あるアトラクションを体験したいというユーザがどのような経験ジャーニーをたどるかを考えてみるわけだ。

まず、そのパークでは、人気のあるアトラクションにはファストパスというものがあり、それをあらかじめ取っておけば、指定された時間にファストパス専用の行列に入れ、短い待ち時間でアトラクションを体験できる仕組みになっている。この仕組みは当然ポジティブに作用する筈である。だからこのことは当然メインストーリーに織り込んで置くべき内容のひとつだ。ところが実際にはファストパス発行機がどこにあるのかが分かりづらかったり、あるいは見つけたけれどもう発行時間を過ぎていたということがある。これらはメインストーリーに織り込んでおくべき課題の一部だろう。

また、そこでは入場待ちの列にどのくらい待つことになるかどうかという予測時間が表示してある。一般に予測時間よりも実際の待ち時間が短ければ顧客は好感を抱くし、そのようになっているケースが多い。しかし僕の経験した例では20分の予測に対して50分も待たされることがあった。つまり予測を間違えたのだ。こうしたことも課題として予想しておくべきだし、対策を講じておくべきだ。

さらに、行列がある程度進んだ段階で、technical problemによって当面動きません、というアナウンスの流れることが一日のなかに二回もあった。これは技術の信頼性の問題ではあるが、顧客としては大いに不満を感じさせられる出来事だ。

また、南カリフォルニアの暑い日差しのなかで待たされる顧客はかなりげんなりとしているだろう。建物の中に入れば、幾つかの予備的擬似体験のようなものがあり、それなりにわくわくとした期待感を高められるようになっているが、そこに行き着くまでが実は大変なのだ。

そして乗り場に近づいてゆく。大抵のアトラクションでは乗り場の様子が見られるようになっていて、これまた期待感を高めるための仕掛けとしては有効と思われる。ただ、意図してかどうかは分からないが、体験を終わった顧客が出て行くルートが待ち行列のルートとは離れた場所に設置されている。これはちょっともったいない感じがする。体験済みの顧客が興奮して話しをする様子を間近で感じれば、さらに期待感を高めるのに有効な仕掛けになっただろうに、と思う。

そしてアトラクションの乗り物に乗る。その道中は緩急に富んでおり、いくつかの山場が設定してある。このあたりはアミューズメントパークとしてはお手の物だろう。

乗り物から降りると「首が痛くなっちゃったよ」とか「すごい悲鳴を出していたね」とか、いろいろな話をしながら顧客はそのアトラクションを後にする。こうした他の顧客の反応を効くのも楽しみを増すことに有用であるといえる。

総じて、アトラクションジャーニーは基本的には良くデザインされているとは思うし、さすが世界に名高いアミューズメントパークだと思えるのだが、細かいところでまだ改善を要する課題が山積しているように感じた。

落とし穴チェック

ここでは特定のアトラクションについてではなく、アミューズメントパーク全体の印象についてのチェックポイントについて話をしたい。つまり、個々のアトラクションがどれだけポジティブなものであっても、パーク全体の印象にネガティブなものがあれば、全体としての経験値はマイナス方向に引っ張られてしまうからだ。

そのような事例はまずトイレだった。男性用トイレで便器が詰まってしまっていたことがあった。実に不潔な印象がした。こういうことは即対応すべきことだが、どの程度の頻度でトイレの状態をモニターし、何時間おきに清掃をしているのだろう、と思わされた。

次に、ゴミである。ゴミのないパークとして有名なそこでは結構多くの清掃担当者が掃除をしている。しかしあるブロックに行ったとき、地面にゴミが散乱していることがあった。うーん、これでは場末の遊園地と大差ないではないか、という印象を受けた。

さらに、午前中は冗談を言ったりしているアトラクション入り口の係員も午後も半ばになってくると疲労が溜まってきたのか、応対がぞんざいになってきた。どうぞお入りくださいという態度ではなく、笑顔も見せずに肩越しに手のひらを奥に向けてひらひらさせて「入りなよ」という感じになってきたことが多かった。これは社員教育の問題でもあるし、またシフト時間の設定の問題でもあろう。

などなど。これらは有名なファストフード店が凋落しつつある原因として、ネットに紹介されていた事例に酷似している。夜になってパークを後にするときに、ポジティブな経験だけを感じられるようにデザインすることは大変なことだとは思う。客が多い日もあれば少ない日もあるだろう。どの日に合わせて要員配置をするかという計算も難しいだろう。ただ、顧客のジャーニーを満足できるものにするためには、こうした落とし穴についてのチェックも重要なのだ。

企画から評価へ

さて、そのパーク、顧客からフィードバックを得る仕組みがどこまでできているのかが分からなかった。少なくとも僕らはそうした評価を求められることはなかった。もちろん全数調査をするのは大変だから、サンプリングが必要になるが、そうした経験値の変動を実際の場面で調査し、評価値として改善につなげてゆく努力がどれだけなされているのか、その点も気になった。

要するに、ジャーニーマップはあくまでも企画の手段であり、実際の事後評価を得て、それとの差分に注目し、マイナス要因を排除するような仕組みは絶対に必要である。企画の良さを活かすも殺すも、そうした事後評価をきちんと実施することにかかっていると思われた。