認知的作業としての編集とメディアのUX
今回は新型コロナウイルス感染症について情報を得ようとテレビを見、ネットを調べていて思ったことを書くことにする。話の焦点にしたいのは、情報の編集ということである。
テレビとネットによる、新型コロナウイルスについての情報探索
最近、世の中は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)一色に塗りつぶされてしまった感があるが、今回はそのことについて情報を得ようとテレビを見、ネットを調べていて思ったことを書くことにする。
テレビのワイドショーは連日のようにコロナ、コロナで大変な騒ぎである。いつテレビをつけても、どこかのチャンネルでは必ずコロナ関連の話をやっている。しかし、パソコンの前にきてネットで情報を調べようと思うと、当然のことながら適切な検索語を検索エンジンに入れないことには情報がでてこない。もちろん「コロナ」だけでもいいのだが、そうやってでてきた情報が、この騒動全体のどの部分に位置しているものかがわかりにくい。
それ以上に困るのは、ネットでは情報の鮮度がわかりにくい。いや新しい情報を見つけるのが結構大変なのだ。最新の情報を調べようと思っても、出てきた情報はひと月前のものだったり、数日前のものだったりする。日ごとに状況の変わるなかでは、今日の、しかも午前中にテレビで見た話しではなく、それよりもっと最新のニュースが知りたい、というようなことが多いのに、そういうことでは困るのだ。
それともうひとつ。ネットでキーワードを入れて検索すれば、そのキーワードに関しては情報がでてくるが、新たな断面で情報を得ようとしても、その断面に的中するキーワードを入れないと情報が得られない。どのような断面が新たに開かれたのかを知らなくては検索の効率が悪い。
そんなわけで、筆者の場合、コロナ関連の情報を得るのはテレビのニュースやワイドショーからが多くなった。もちろん、コロナについて何かを「調べる」という場合にはネットが有効である。たとえばCOVID-19が何の略なのかが知りたくて、Corona Virus Disease 2019の略だということを知るような場合である。こうした検索はテレビには向いていない。ネットの得意技ということになる。
ただし、「韓国においては感染者の増加は何時峠を越したのかどうかを調べたい」というような場合のネット検索はやっかいである。シンプルに「韓国 感染者数」でイメージを検索すると、たしかに色々な折れ線グラフがでてくるが、あるグラフは20日ほど前のものだったり10日前のものだったりする。グラフの曲率が変化しつつあるだろう最新のグラフがなかなか見つからない。欲しい情報をネット検索で見つけるには、それなりの工夫や技量が必要になるのだ。
木構造に編集された情報
しかし今回、話の焦点にしたいのは情報の検索についてではない。情報の編集ということである。人間の認知システムは、さまざまな情報を相互の関連性によってネットワーク構造のなかに位置付けている。その中から、特定の主題に添って情報を整理して抽出すると、それは多くの場合、木構造になる。そして人間は、そうした表現を「わかりやすいもの」とみなす。いや、別に木をイメージしていただかなくても、資料室のように分類された棚があり、それぞれの棚にフォルダボックスがあり、個々のフォルダに情報が収まっているような場所を想像していただいてもいい。ともかく、正確にいえば「木構造型の情報構造を提示することは人間をわかったという気持ちにさせる」ということであるし、そこからの情報の検索性も向上する、ということだ。
その時、ネットで得た情報の多くは木構造のひとつのノードに関するものであるが、そのノードが木構造全体のどこに位置付けられるものかがはっきりしないと、分かった気持ちにはならない。木構造全体を森に例えるなら、木を見て森を見ずということに近い。
そのための情報提示はネットでもテレビでも可能である。ネットの場合であれば、個別の検索によって得た情報を自分で木構造にまとめるのではなく、最初から木構造に編集してある情報を提示すること、つまりポータルサイトを提供することによって、それが可能になる。編集といっても「NAVERまとめ」のような素人の編集ではない。「NAVERまとめ」にも、よくできたものはあるが、多くは関連した情報を脈絡なく連ねただけのものである。それは編集といえるものになっていないし、閲覧者の認知的満足をもたらすものでもない。
それに対して、適切な編集を行ったポータルの例は、NHKのものである。NHKが提供している「特設サイト 新型コロナウイルス」は、実によく編集されており、わかりやすい木構造になっている。適宜、木構造をたどることによって閲覧者は望みの情報に容易にアクセスすることができる。たとえば、毎日、いや次々刻々と変化する情報の最新のものを得たければ、「最新ニュース」というタブをクリックすれば良い。難をいえば、サイト内検索用の入力ボックスがないことだが、ともかく、この木構造の中を適宜たどってゆくことにより、我々は自分の脳内にもそれなりの木構造を構築し、あるいは既にできている木構造に新たな情報を追加したり更新したりすることができる。
もちろん、この形での編集にも問題はある。それは、脳内にできあがった木構造がNHKの木構造とほぼ同等のものになってしまうことである。つまり、NHKの報道に多少のバイアスがあった場合には、そのバイアスに気が付かずに満足してしまう可能性があるということである。特にNHKという組織の性格を考慮するなら、政府系のバイアスが完全に排除されているとはいいがたい面があるため、政府によるマインドコントロールを受けてしまう危険性もなくはない。その意味では複数のポータルにアクセスすることが望ましいのだが、NHKほど力を入れているサイトはなかなか見つからない。たとえば日本経済新聞は、「新型コロナウイルス UPDATE新型コロナ」というページを用意しているが、最新ニュースの雑多な集合体になっているので、構造が明確になってはいない。このあたり、ネットに情報を提供しているメディアには考慮していただきたいところである。
線形構造に編集された情報
線形構造というのは、直線的に情報が配列されているものである。テレビのような時間的メディアは必然的に線形構造となる。そのため線形構造を提供するテレビなどでは、あらかじめ木構造に編集した情報を線形に変換して提示している。ただその際に、全体の情報を適切に分割し、まず全体を俯瞰し、ついで各項目を順に追ってゆく形で情報提示すれば、視聴者の方も、それを各自の木の形をした認識構造に収納することが容易になる。「木構造情報の線形構造変換」と「線形構造情報の木構造変換」という組み合わせである。我々がテレビを視聴している時の認知プロセスはそのようになっていると言っていいだろう。
さらに、テレビの場合には何よりもまず即時性という特徴がある。何かが変化した場合、テレビでまずそのことを知り、必要ならネットでそれを確認する。我々はこのような形で情報受容をしていることが多いだろう。
振り返ってみれば、筆者自身、COVID-19のために自宅待機をするようになってから、テレビの報道番組を視聴することが増えた。ただ、テレビの場合、視聴者には時間的コントロールの権限がないので、たとえば世界地図で各国の状況が報道されているとき、もっとみたいと思ってもそこでテレビを止めるわけにはいかない。そんな時には、ネットで同じような地図を見るわけだ。
テレビとネットの共存
衰退が指摘されるテレビではあるが、報道、特に今回のような事案に関しては前述したようにネットに対する長所もある。編集された最新の情報を受容できるのはテレビ報道のメリットである。そしてネットはそれを補完するメディアとしての意義がある。このような組み合わせは常に成立するわけではなく、テレビの衰退傾向は今後も続くかもしれないが、COVID-19のような世界的大事件の場合には適切な連携関係が成立しているといえるだろう。
なお、今回は、テレビ同様に衰退が指摘されている新聞については言及しなかった。新聞には、紙面におけるランダムアクセス性という利点はあるものの、朝と夕方にしか配布されないという時間的制約や、たとえば筆者の場合であれば、家庭欄や株式市況やスポーツや広告など興味もなく必要もない情報のために紙ごみがどんどんたまってしまうというデメリットがある。いや、新聞について言及しなかったのは、そもそも前述の理由から筆者が新聞の購読を辞めてしまっているからでもある。