ブログ的投稿ではなく、論説を書こう

世界最高レベルの専門的知識を披露したいなら、手っ取り早く書き上げた底の浅い投稿はしないように。むしろ、有料ユーザを集められるくらい徹底した付加価値の高いコンテンツを用意することに時間をかけよう。

最近、私は“コンサルタントのコンサルタント”として仕事をする機会があり、ある分野での世界的な第一人者に対して、今後のウェブサイト運営に関するアドバイスを行った。その専門家がとりわけ気にしていたのは、自分もそろそろブログを始めるべきかどうか、という点だった。その疑問に、私はノーと答えた。

みなさんは私自身のインターネット戦略をもうご存知なはずだから、ブログではなく、彼が定期的に公開している徹底した論説を書くほうに時間をかけることを勧めたと知っても、驚きはしないだろう。時間に限りがある以上、ブロゴスフィアの中で絶え間なく沸き起こっている議論のあれこれについて、無数のちょっとした感想を述べるために無駄な労力を使わないということである。

いくつかの表彰モノのイントラネットの事例が証明しているように、ブログはビジネス上、特にプロジェクト管理用ブログの場合などに、存在価値を発揮する。またブログは、低額商品を販売するウェブサイトにも向いている。この手のサイトの場合、コンバージョンが容易に達成できる場合が多く、サイトのおもな課題はとにかく商品の認知を高めることである。たとえばピスタチオを販売しているサイトなら、ピスタチオの情報を検索している人々が引っかかりやすくなることを見込んで、ピスタチオ関連のコンテンツをできるだけたくさん掲載するはずだ。そのような訪問者のうち何パーセントかは、サイトへのアクセス中にピスタチオを購入するだろう。

コモディティ状態に陥るべからず

セールスサイクルが長いB2Bサイトの多くでは、コモディティ的なコンテンツへのアクセスによるクイックヒット(ちょっとした成果)を狙うだけでは足りない。このようなサイトでは、十分な配慮に基づく長期的な顧客関係を築く必要性のほうが高い。

例として、私自身のビジネスの場合を挙げてみよう。私が主催するユーザビリティカンファレンスで参加者のみなさんの話をうかがうと、長いこと参加したいと願っていたものの、つい最近まで上司の許可が下りなかったとおっしゃる方が多い。この問題に対処すべく、われわれは“上司を説得するために”というセクションをカンファレンスサイトに追加して、ユーザビリティ関連のトレーニングに費用をかけるメリットを解説した。ただし現実的に考えると、私のサイトの読者になった方と顔を会わせるまでには、3年から5年はかかりそうだが。

ブログ的投稿は必ず、コモディティ的コンテンツになってしまうものだ: 他人の言うことにちょっとした意見を返すことで生み出せる価値には限度がある。その手の投稿は論争を起こしたり短期的なトラフィックを増やしたりするのは得意だし、確かに手軽に書ける。しかし、持続可能な価値を生み出しはしない。ウェブで何かを検索して、何年も前に起こった議論の途上での短い投稿のやり取りにたどり着き、それらが今ではもう的外れだと分かった時にどれほどがっかりするものか、思い出してほしい。

リーダーシップを見せつけよう

ここからの議論の糸口として、あなたが自分の専門分野での世界的なリーダーだと仮定してみよう。数値的には、その分野に関するウェブサイトを所有している1,000人中でトップの専門家だとしよう。言い換えれば、あなたのパーセンタイル順位は99.9位ということだ。

(ライバルは1,000人どころではないと思うかもしれないが、ウェブは専門的なコンテンツで繁栄するものだ。だから、あなたが100万人中でもやはりトップだと言えるほどの地位にいるのでなければ、細分化された一回り狭い分野でのリーダーだと想定した方がよい。)

専門的知識は、知性、教養、経験、正しい方法論、プロフェッショナリズム(たとえば、罰当たりな言動や政争を避ける態度など)、率直であろうとする意欲などの組み合わせとして測定可能である。ここでは精密な測定結果にこだわらなくてよい: 各自がその専門分野の中でどのレベルにいるのかを、定量的に知る手段がひとまずあるのだと考えよう。測定結果はおそらく正規分布に従っており、その1,000人が下図のような専門レベルに位置していることになる:

1,000個のデータポイントが示す正規分布
著者1,000人の専門レベルを示すヒストグラム。ドット1個が著者1名を表す。
愚者は左の方に、賢者は右の方に位置している。

あなたがこんなに優秀だとしても、顧客を得るにはそのことを顕示しなくてはならない。そして、ブログはそのための方策ではない。著者の場合とは対照的な、投稿の分布状況を図にしてみれば、それが理解できる。

ブログ投稿のクオリティのばらつき

著者1,000人が、それぞれ10件ずつブログ投稿を書くとしてみよう。その結果である10,000件の投稿は、前の図よりも広範囲な分布を見せるだろう。投稿のクオリティに極度のばらつきがあるためだ。

ある特定の著者による投稿のクオリティは、その人の専門レベルを表す平均値と、一般的な専門的知識の場合と比べて3倍の標準偏差を示す正規分布に従うと仮定してみよう。実勢値は分からないので、これは大雑把な見積りに過ぎない。しかし以下のような理由で、投稿のクオリティは専門的知識よりもばらつきが大きいとみなすのはもっともだと言える:

  • ブログへの投稿は、瞬時にできることもあれば、何時間もかかることもある。
  • 自分が何ヶ月も関わっている問題にばったり出くわした場合などは、その話題についてたまたま多くの情報を手軽に入手できる。その逆に、手持ちの情報が皆無だという場合もある ―― そんな場合でも、ブロガーたちが口を閉ざすわけではないが(笑)。
  • 時には思いがけない幸運に恵まれ、まばゆいばかりの鋭い見解がひらめくこともある。そうでなければ、とりあえず義務感にかられて投稿していることが多い。

以下の図は、私が実行した1回のモンテカルロ式シミュレーションで得た、10,000件の投稿のクオリティの分布を示している:

10,000個のデータポイントの分布。ドット1個がブログ投稿1件を表し、クオリティの低いものから高いものへとランク付けされている。
10,000件のブログ投稿のクオリティを示すヒストグラム。
ドット1個が投稿1件を表し、トップレベルの専門家の投稿は赤色のドットで示している。
馬鹿げた寝言は左の方に、見識に満ちた意見は右の方に位置している。

言うまでもなく、シミュレーション回数を増やすほどヒストグラムは滑らかになるだろうが、全体的な形状はほぼ同じはずだ。

上図のヒストグラムでは、小さなドット1個がブログ投稿1件を表している。大きな赤いドットは、(ここで想定している、ブロガー1,000人中で第1位を占めるような)トップレベルの専門家による10件の投稿を表している。彼はおおむねよい投稿をしているが、もっと下位の人々の中には、時には彼よりも優れた投稿をするブロガーも少数ながら存在する。

たとえあなたが世界トップレベルの専門家だとしても、最低の部類に属する投稿は平均を下回るはずだし、あなたのブランドの正当な価値に負の影響を及ぼすだろう。私のアドバイスに逆らってあえてブログを始めるならば、せめて投稿のスクリーニングくらいはしよう: 公開するまで少し時間を置き、書いた内容を読み返して、それが月並みかそれ以下だと思ったらアップロードしないことだ。(月並みなコンテンツさえ、あなたのブランドに傷を付けてしまう。他の人々が書く平均的な内容を上回るものではないコンテンツを投稿することで、情報汚染に加担しないように。)

私のシミュレーションでは、この専門家によるもっとも優れた投稿は、上から数えて25番目にランクインした。次に良い投稿は300番目だ。10,000件のブログ投稿の中で、クオリティの低い方からみて9,700位と9,975位の投稿の著者であることは、申し分ないように見えるかもしれない。しかし実は、それには程遠いのだ。

ブロゴスフィアの美点とは、それが自己組織化システムであるということだ。何かよいことが書かれれば他のブログがそれにリンクし、システム内で伝播してどんどん人目につきやすくなっていく。それゆえに、この専門家のまさにベストと言える成果を上回った24件の投稿は、たとえ全般的には彼より専門レベルの低い人々が書いたものであっても、より注目を浴びるようになるのだ。

新規の顧客となる見込みがある人々は、それら24件の投稿をすべて読む暇さえないはずだから、ランク順のブログ投稿の一覧を見ても、専門家である彼のベストな投稿にまで決してたどり着かないだろう。

インターネットに打ち勝つ

インターネットに戦いを挑むのはほぼ無理な話だ: 喜んでタダ働きをしようとする何百万もの人々に立ち向かうことになるのだから。しかし、あなたはそれをやってのけなければならない。支配的なウェブのパラダイムの内部でビジネスをする場合、検索エンジンにコンテンツの価値の98%を奪われてしまうことになるからだ。コンテンツビジネスに携わっていないならば、それでも問題はない。前述したピスタチオのサイトの場合、おいしいピスタチオアイスクリームのレシピから儲けが出ないことは気にしないのだ。あくまで、ピスタチオ自体が売れている限りは。

もしあなたが、世界の知(※1)に自分の知識を付け足していくことを生業としたいと考える専門家ならば、検索によるトラフィックに左右されるページ単位のアクセスに頼るような、いま主流となっているウェブのモデルを超える必要がある。居候たちが集うようなウェブサイトを作るのは簡単だが、それは決してあなたにふさわしいアプローチではない。あなたはゲームのルールを変えて、ビジネスユーザが喜んで対価を支払うくらい価値のあるコンテンツを生み出さねばならないのだ。

また、あなたより下位のコンテンツ提供者たちが、暇を見てたやすく作ることなどできないようなコンテンツに注力すべきである。

徹底したコンテンツを生み出すことができれば、これら2つのニーズはどちらも満たされる。

徹底したコンテンツは付加価値の高いコンテンツ

流行りの議論についてブログに投稿するには小一時間しかかからないかもしれないが、他にもかなり多くの人々が同程度のことを書いている可能性がある(実際は、すでに説明したように、他人の方がよい投稿をしている場合もある)。そして顧客は、そんなちょっとした知識の水増しにはお金を出したがらない。確かに、サイトのコンバージョン率を上げる凄いアイデアが文章の一節に含まれていて、それはたとえ購読料が100万ドルかかっても読みたいというユーザがいたかもしれないほどのクオリティだった、というケースもなくはない。しかし、顧客があらかじめそれを知る術はないのだから、対価を支払うことはない。

それとは対照的に、作成するのにもっと時間がかかる徹底したコンテンツには、あなたよりレベルの低い専門家たちの能力は及ばない。1,000匹のサルが1,000時間かけて書いたものをすべて合計しても、シェークスピア作品になりはしない。実際に彼らが作り出すのは、まとまりに欠け、(たとえ読者がその1,000個のブログすべてを辛抱強く読みあさったとしても)その話題についての包括的な理解をもたらすわけでもない、平均以下のクオリティしかない1,000件の投稿となるだろう。

徹底的に書かれたコンテンツの付加価値は、顧客が喜んでその対価を支払ってもよいと考えるレベルを上回ることがある。それができているかどうかが、持続可能なビジネスの真の尺度だ。

あなたは非線形効用関数が出現する機会を見きわめなければならない:つまり、作成コストが約10倍かかるコンテンツについて、有料ユーザが10倍を上回る価値を見出すような機会である。一昔前の、オープンソースに関するマニフェスト『伽藍とバザール』は、いまだ多くの真実をはらんでいる: もしあなたが君主ならば、バザールでコーヒー豆を売って何かを買うことはできない。バザールの商人たちが必ずもっと安く売ってしまうからだ。この場合、あなたは伽藍を建設すべきなのである。1,000個のテントも、ノートルダム寺院にはかなわないのだから。

以下の図は、私の会社におけるもう一つの例を示している: メールニュースレターのユーザビリティに関するレポートの初版から第3版までについての、おもな統計値の推移である:

レポート各版のページ数、価格、販売部数の推移。3つの数値はすべて、版を重ねるごとに増えている。
メールニュースレターのユーザビリティに関するレポートの初版から第3版までの統計。
いずれの数値も、初版の場合を100とする基準値を用いて算出している。

この図が示すとおり、レポートが分厚くなるほど、売れる部数も増えている。もちろんページ数(青いライン)は、顧客が対価を支払う真の目的である、レポート内の知見の量を大まかに示すものでしかない。最新版のレポートでは、アイトラッキングによるヒートマップを多数掲載して、さまざまなニュースレターをユーザがどのように読んでいるかを示しており、これら多くの図がページ数を大幅に食う原因となった。とは言え、このレポートは版を重ねるごとに、前の版より相当多くの情報を含むようになっているのは間違いない。

レポートの価格は、ページ数ほどは上昇していない: 調査を続けるにつれて、作業効率が向上しているからだ。版を重ねるごとに、顧客が対価と引き換えに入手できる情報の量が増えているから、それが理由で販売部数も増えているのだという意見もあるかもしれない。しかしその見方が妥当なのは、レポートがより包括的であるほど、顧客がそこにより特別な価値を見出しているという事実がある場合に限られる。だからいずれにせよ、徹底したコンテンツは売れるという結論となる。

有料ユーザ(重要人物)は、なぜ詳細な情報に魅きつけられるのか? その情報が扱う対象が体系的かつ包括的であるほど、行動に移しやすいからである。また、何か重要な点を見過ごした際に生じる損失のリスクから、身を守ってくれるからだ。

前述のレポートの例において、ある企業のメールニュースレターを扱うインターネットマーケティング担当マネージャがいると想定してみよう。より高い評価を受け、より多く読まれるコンテンツがもたらす、購読率・開封率・クリック率の向上や顧客ロイヤリティの強化によって、多くの企業が手にする何百万ドルもの利益に比べれば、レポートの価格など微々たるものだ。自社のニュースレターについてこれらの主要な実績値を向上させるべく、このマネージャは1週間かけてネットサーフィンしながら、ニュースレターのデザインをめぐるちょっとした文章を1,000件ほど読みまくったとする。結果はいかに? 多くの重要な問題を無視した、不正確なアドバイスが雑多に集まっただけだ。そんなことをする代わりに、その話題をもれなくカバーしている、きちんと構成されたレポートをたった1冊読めば、1日だけではるかに深い理解を得られたかもしれない。業務上、4日間もの時間の節約は大いに値打ちがあり、それは付加価値の高い情報でビジネスユーザをターゲットとすべきだというもう一つの理由でもある。

徹底したコンテンツは数知れぬ底の浅い投稿よりも、少ない時間でより多くの価値をもたらす。それこそ、経験的に見てビジネスユーザが快く対価を支払う理由であり、あなたのコンテンツ戦略としてその数を絞り品質を高めることに重点を置くべきだという理由でもある。

専門的知識 vs. コンテンツのユーザビリティ

今回の記事は、多くの読者が分かりづらいと感じるような(標準偏差や効用関数などの)グラフや統計学的概念を盛り込んだために、かなりの長文になってしまった。徹底したコンテンツを推奨するのは、あらゆるウェブライティングのガイドラインに公然と刃向かうことを意味する。それらのガイドラインでは、なるべく少ない言葉で、ざっと目を通しやすい情報を記述することが求められているからだ。

コンテンツのユーザビリティガイドラインは正しい: それらはまさしく、大多数の人々にとってサイトをより使いやすくする手段だ。したがって、普通の事業サイトやイントラネットの場合は、(この記事を見習うよりも)それらのガイドラインを遵守すべきである。(私が“事業サイト”と言う場合、ECサイトや企業のマーケティングサイトはもちろん、政府機関や非営利団体のサイトも含んでいる。)

ほとんどのサイトの場合、コンテンツは要点ではない。そこにこだわるよりも、顧客の疑問にできるだけ素早く応じて、彼らがセールスサイクルに入って購入を開始するように(あるいは、寄付やニュースレター購読の申込みなど、何かしら期待通りの行動を起こすように)したいのだ。

選りすぐりの、専門的知識に基づくサイトは、そのルールには当てはまらない。これらのサイトの場合、ユーザの90%については気にしなくてよいのだ。それらのユーザはあなたが提供するほど高いクオリティは求めていないし、あなたのサービスにお金を出すこともないだろう。手っ取り早い答えや無償のアドバイスを探している人々は、あなたの顧客ではない。パンがなければお菓子をお食べ(※)―― すなわち彼らには、ウィキペディアを読んでもらえばよいというわけだ。

ただし、たとえ専門的知識に基づくサイトを運営するにしても、コンテンツのユーザビリティガイドラインの大部分には従うべきだ: できるだけ簡潔さを保つこと、箇条書きやキーワードの強調を行うこと、内容を適宜分割すること、分かりやすい見出し、小見出し、リンクラベルを付けることなどである。見込み顧客として有望なユーザの中には、少ないながらもF字型のパターンに沿って読み進む人々がまだ存在するので、通常のサイトと同様に、見出しの先頭の数語のほうが末尾の数語より重要である。

(※1)訳者注: 原文では「the world’s knowledge」。これは、世界最大級の蔵書を誇る大英図書館のスローガンでもある。

(※2)訳者注: 原文では「Let them eat cake」。フランス革命に先立って民衆が貧困と食料難に陥った際に、マリー・アントワネットが言ったとされる有名な言葉。ただし発言の真偽については諸説あり。

2007 年 7 月 9 日