社会システムのデザイン(1) 多数決のあり方を例にして

その人工物を利用する人々の視点にたって、どのようなあり方が適切で望ましいかを考えることは、デザインの基本である。これまでは主に製品やサービスを対象にしてデザイン活動が行われてきたが、社会システムについても同じようなマインドセットで取り組むべきである。

  • 黒須教授
  • 2018年10月9日

製品・サービスのデサインから、社会システムのデザインへ

デザインの視点は、それが新規なデザインであろうと、既存のもののリデザインであろうと、人間がデザインしている人工物すべてに向けられるべきだ。その人工物を利用する人々の視点にたって、どのようなあり方が適切であり、望ましいかを考えることは、デザインの基本である。利用者視点という方向から、これまでは主に製品やサービスを対象にしてデザイン活動が行われてきたが、社会システムについても同じようなマインドセットで取り組むべきである。

ここで社会システムというのは、社会的なレベルでいくつかの要素が結合して連動するもののことで、よく言及されるものとしては、医療システム、輸送システム、交通システム、政治システム、経済システム、教育システム、自治体システムなどがあるが、たとえば医療システムの中には、医薬品在庫管理システムや電子カルテシステムなどが含まれているように、それぞれの社会的システムは複数の下位の社会的システムによって階層的に構成されている。

また、これらの他にも、地上資源再利用システムとか、廃棄物処理システムなどの工学的技術を利用したシステムもあるし、家族や姻族のシステム、差別や対立解消のためのシステム、刑罰システム、学会発表や論文査読のシステム、エコシステムなどの社会科学的な枠組みに工学的技術が応用可能な、あるいはこれから検討すべきシステムもある。いずれの社会的システムも、それを人間の知恵と洞察によってデザインすべきものであり、デザインの力は今後ますます適用領域を拡大するといえるだろう。

ちなみに、2018.7.21-25に開催されたAHFE 2018 (the 9th International Conference on Applied Human Factors and Ergonomics)という国際会議のキーノート講演では、Thatcher, A. (University of Witwatersrand)の“Human Factors and Ergonomics in Solving and Coping with Global Problems”という話があり、人間工学の分野でも、こうした社会システムの問題への関心が高まっていることに共感を覚えた。

製品・サービスのデザインと、社会システムのデザインの違い

製品やサービスのデザインと社会システムのデザインが異なるのは次の3つの点だ。

ユーザの位置づけ

まず、製品やサービスの場合には、それらの人工物とユーザとは対峙するものとして位置づけられる。そして人工物をデザインする人々はユーザとは立場を異にする。だから設計者ないしデザイナーがマインドを切り替えて、ユーザ調査を実施したり、ユーザによる評価を実施したりする必要がある。その場合、ユーザは設計に協力する立場ではあるが、自ら設計を主導する立場ではない。

これに対して、社会システムの場合はユーザ、というよりは人々といった方がいいだろうけれど、それは対象とする社会システムを構成する一部である、という点だ。その社会に属する人、その社会システムを利用している人は誰でもその社会を構成する一部であり、その社会システムをより良いものにしていくことができるし、そうすることが人々の努めであるといえる。それはもはや参加型デザインというレベルの問題ではない。参加している、あるいは参加してしまっている、あるいは参加させられてしまっている社会システムを自らの考えにもとづいて設計していくことなのだ。したがって、社会システムのデザインは、すべての人々のすべての人々によるすべての人々のためのデザインなのだ。

理知的側面の重要性

製品やサービスのデザインと社会システムのデザインが異なるもうひとつの点は、つい最近も書いたように、社会システムのデザインにおいては、直感と感性とスキルよりは、洞察力や論理的思考(推論)能力のような理知的側面が重要になるという点だ。製品やサービスのデザインも社会システムのデザインも、ともにそれを利用している人々、ここでそれをユーザと言ってしまってもいいのだが、それらの視点を重視するという点においては共通している。その意味で、社会システムについてもデザインのアプローチが重要になると言えるわけだが、問題を把握するためにはユーザ調査という形で他人を調べることも重要だが、まずなによりも当事者としての自分自身を振り返る洞察力が必要になる。

直接的な利益との関係

第三に、社会システムのデザインは、製品やサービスのデザインのように、直接的な利益、単純に言ってしまえば売上というものに関係してこない場合が多い。その点で、社会システムのデザインは、それをやろうという動機付けを高めるのが難しい。誰でもお金が儲かる話には容易に動機づけられるが、お金以外の点では現在の暮らしでまあそれなりに満足しているという場合、社会システムのデザインに取り掛かろうという意欲がまず湧いてこない。そこに多少の不合理や不適切さ、さらには不自由さがあるとしても、「まあ」「そこそこ」現状で満足できていると思うと、人は動き出そうとしないものだからだ。

ただ、希望がないわけではない。災害時のボランティア活動のように、お金と引き換えではなく、何かをしなければ、何かをしてあげたいという気持ちから人々が動き出すことはあるからだ。ボランティア活動に向かおうとするその気持が自分自身の生活を振り返る視点と結合すれば、社会システムのデザインは実現可能となる。

多数決という原則

これらの三点に関して、製品やサービスのデザインと社会システムのデザインは異なっている。それでは、社会システムのデザインというのは具体的にどのようなことなのか。ここでは多数決のシステムのあり方を例題として取り上げよう。多数決というのは小学校でのクラス委員の選出から国政選挙まで、いろいろな場面で使われていて、我々は多数決原則というものを体に染み込ませる形で学習してきている。それだからこそ、逆に、そこに異を唱えようという気持ちにはなりにくい。現状で問題ないじゃないか、そこまでほじくり返してどうするつもりだ、という声もでてくることになる。今回は、そのあたりの問題意識も含めて議論を進めてゆきたい。

この問題については、坂井豊貴著『多数決を疑う』(岩波新書)といった書籍が刊行されているので、詳しくはそちらも参考にしていただきたい。過半数という概念は明確に定義されたものとはいえないが、基本的には、一人一票ルールと最高得票ルール(しばしば過半数ルールとなっている)とから構成される意思決定方式である。このルール、特に最高得票ルールに問題があることは「多数の横暴」という言い方が昔からあることで示されている。

たとえば2016年に実施されたイギリスのBrexitに関する投票では、国の将来方向を決める重大な投票であるにもかかわらず、イギリスのEU残留を支持する票が16,141,241 (48%)、EU離脱を支持する票が17,410,742 (52%)だった。僅差であるにも関わらず、これでイギリスのEU離脱の方向が決定された。

アメリカでも、2016年の大統領選挙では、一般投票では、クリントン候補が65,844,954票(48%)を獲得し、トランプは62,979,879票(46%)で、クリントンの得票率がトランプより高かったのに、選挙人投票となると、クリントンは227 (42%)、トランプは304 (57%)とトランプが逆転し、大統領に選任された。その結果、現在のアメリカの混迷状態が生まれてしまっている。多くのイギリス国民もアメリカ国民も、はたしてあのときの投票の結果が自分として受け入れ可能なものかどうかについて、今になって改めて反省する気持ちをもっていることだろう。

いずれの場合にも最高得票ルールにしたがっていたため、こうした僅差でも数が優勢な候補が選任されることになる。そして選任された意見や候補は、(ある意味)選任されなかった意見や候補が存在しなかったかのように、その方向性を無視して、自らの方向にぐいぐいと政治を引っ張っていってしまう。これが多数の横暴である。これは10%対90%という比率であろうと、48%対52%という比率であろうと同じである。

そのため、基準を過半数でなく、ある程度圧倒的優位といえる2/3あたりに設定する2/3ルールのような変法もありうるが、どの意見や候補も2/3を獲得できなかった場合、再度投票を行うことになり、それでも決着がつかない危険性もある。

いいかえれば、最高得票ルールでは、10%対90%の時と48%対52%の時の区別がなされず、反対の側の意見は等閑視されてしまうのである。これが公正な民主主義のあり方といえるかどうかあらためて慎重に検討する必要があるが、たとえば48%対52%のような時には48%側の意見もある程度取り入れて施策を案出する、というと聞こえはいいが、実際にはそれはかなり困難なことであり、人智の限界を感じさせる問題である。

次回は、この最高得票ルール(過半数ルール)についてではなく、一人一票ルールの方を考察したい。この一人一票というのは、選挙の時の呼びかけ「大切な一票」という言い方にも表されているように、しごく当然な大原則として人々の頭に刷り込まれてしまっているので、改めてそこに疑義を差し挟もうとする人はとても少ない。だが、そこにも大きな問題が潜在しているのだ。次回は、この問題点と、その改善案について論じる。

(「社会システムのデザイン(2) 一人一票から評定方式へ」につづく)