ビジネス志向が強すぎる危険性

HCD活動にビジネス的な観点は重要なものではあるが、そこに過度にウェイトをかけるのではなく、生活や業務における意味性とユーザビリティを保証することを忘れてはならない。

  • 黒須教授
  • 2013年7月29日

特にUXがHCDの中心的なキーワードになった頃から、HCDの活動がビジネス的な成功に重きをおく傾向が強くなっているように思う。HCDという概念は、1999年にISO 13407が制定されてから使われるようになったものだが、1980年代から1990年代というユーザビリティ工学の発達期には、HCD活動の対象はビジネス的な成功よりはエンドユーザの満足だった。ユーザが苦労しないように、ということがHCD活動の目標だった訳である。もちろん、これはいわゆるスモールユーザビリティ的な観点であり、これだけではHCDが現在のように普及することは起こりえなかっただろう。

ISO 9241-11の定義を援用したISO 13407が普及することによって、ビッグユーザビリティという考え方が登場し、機能性や性能を含めた利便性としての意味合いが強くなることで、2000年以降のHCDの普及発達が起きたといえる。またウェブユーザビリティに関する活動が活性化した背景として、ウェブのユーザビリティがビジネス的な成功に直結するという考え方もあった。この頃から、ユーザビリティに製品としての成功を関係づけようとする動きがでてきた訳である。さらにユーザビリティよりも広義な概念としてUXが出てくることにより、HCDはUXを目指すものであるというISO 9241-210の表現が受け入れられる素地ができた。また、設計の上流段階の重要性が認識されるようになり、マーケティング活動との連携も強くなった。このようにして、HCD活動のなかでビジネス的な視点の占める割合は徐々に大きくなってきた。

HCD活動に関わっている人々の大半が企業に属して働いていることを考えると、ビジネス的な成功を目指す姿勢は自然なものであり、彼らの活動が企業で認知されるためにも、またHCD活動に対する企業内の認識が高まるためにも、ビジネス的な考え方が強まることはある面で必要なものだったといえる。エスノグラフィックなアプローチによって売りにつながる製品特徴を見いだすことができれば、当然ビジネス的には評価される結果となるわけである。

ただ、ここで考えておかねばならないのは、狩野の品質モデルである。狩野の提唱した魅力的品質は、ゼロからプラスを目指すことと同じであり、また当たり前品質は、マイナスからゼロを目指すということと同じものである。ここで、UXのアプローチやビジネス志向のアプローチは、とかく魅力的品質を目指すことになりやすい。そこには魅力が売りにつながる、という考え方がある。しかし、注意すべきは、魅力的品質は、当たり前品質の欠落を補填するものではない、ということだ。このことは、しばしば忘れられてしまっているようで、多くのユーザビリティ部門がUX部門と名称変更をしたりしたこともあり、従来のユーザビリティ活動に対する消極的な見方が広まってしまったように思われる。

たしかに魅力によって顧客を惹きつけ、その製品を購入させることができれば、それはビジネス的には成功したように見える。しかし、それはマーケティングの観点である。マーケティングのスコープが製品購入をいちおうの集結点ととらえてしまうのと同じように、HCDのスコープがそこを完結点としてしまうようではいけない。実環境でユーザとなった顧客が、目標達成を有効に効率的に行うことができるか、というユーザビリティに関する基本的命題を忘れてはいけない。長期的モニタリングを行って、ユーザの実環境における使い方の変化を調べ、そもそもその製品がユーザにとって意味のあるものだったかを確認することを忘れてはいけない。本来のUXは、そうした長期的レンジをもった観点であり、単に魅力を開発して売り上げに貢献することだけではないからだ。

現在のビジネス重視の観点は、ISO 13407やISO 9241-210に掲載されているHCDのプロセス図の誤解であるともいえるだろう。たしかに適切なユーザ調査を行えば、ユーザのニーズをより的確に把握することができ、それに適合した製品をつくりだすことができるが、それはHCDプロセスの前半だけである。よしんば、そのプロセス全体を回したとしても、そのプロセス図は、設計段階における評価だけを含めたものであり、長期的レンジでのユーザの使い方を評価することを含めてはいない。

大切なことは、HCDのプロセスを回し、ポジティブな評価結果が得られたとして、それは売り上げという形でビジネス的な成功には結びつくかもしれないが、ユーザの観点からの実環境でのポジティブな評価を保証するものではない。もちろん、人間工学や認知科学を母体として発達してきたユーザビリティ工学を適用すれば、そのポジティブな評価が確実になるという保証もない。基本的には、ユーザにとって意味のある製品かどうか、ということが本質的な重要性を持っているといえるが、そのためには、HCDプロセスをまわし、きちんとユーザビリティ工学のアプローチをとることが大前提である。同時に、HCDプロセスの特に前段におけるユーザ調査は、ユーザにとっての意味性をも確認する作業である。さらにいえば、場合によれば、エスノグラフィを利用したユーザ調査は、現状のままで、つまり新しい製品なしに意味のある生活が送れるのだ、という結果を明らかにすることになってしまう可能性もあるのだ。

ビジネス的な観点は重要なものではあるが、過度にそこにウェイトをかけず、基本的品質としてのユーザビリティを保証し、生活や業務における意味性を保証することを忘れてはならない。

Original image by: Sarah B Brooks