ニーズ志向とはいいながら

短期的で小規模で、かつ既存の技術を利用して解決可能なことがらに対してはニーズ志向のアプローチは有効である。しかし、新しいシーズが、予想していなかったような形で潜在的ニーズを解消してくれることもある。

  • 黒須教授
  • 2016年12月21日

ニーズ志向かシーズ志向か

人間中心設計を推奨していた時期の僕は、このアプローチは従来の技術中心設計とは異なり、技術的シーズではなく、ユーザのニーズを探り、そこから出発するものです、といったことをしばしば語っていた。もちろん、人間中心設計やニーズ志向の考え方がでてくる以前は、技術的なシーズが新たな製品群をどんどん産出しユーザに受け入れられてきた、という人工物の進化の歴史があったことは頭にあった。ただし、ニーズ志向でいけば、それよりも歩留まりが良くなる効果があるのだ、というところをポイントにしていた。

しかし、現在でも、シーズから出発して開発された製品やサービスが、ユーザのニーズにマッチして拡散するという事例は多くみられる。

事例1. ソフトウェアのインストール

これまで、コンピュータを新しいものにすると、一連のソフトウェアをインストールしなければならなかった。僕はアプリケーションや周辺機器のドライバーは、購入したときのCD-ROMやDVDからハードディスクに移してあるので、いちいちメディアを入れ替えることなくインストールはできる。しかし、それでも結構面倒な作業だった。引っ越しツールというのもあるけれど、基本、新旧のパソコンを動作させながら行うため、それぞれに入出力デバイスが必要になるらしいのが面倒で、使ったことはない。

ところで僕は、携帯端末については、スマホでなくタブレットを使っている。タブレットは、いちおう(見てくれは悪いが)胸ポケットには入るし、スマホより画面が大きいので、太い指の持ち主としては誤操作が減るし、またテキストを読むのも楽だからだ。最近、以前使っていたアンドロイドのタブレットがタッチに全く反応しなくなって別の機種に買い換えたのだけど、買い換えた時点では、そこにアプリをストアで購入して再インストールするのが面倒だな、と思っていた。ところがGoogleの登録アドレスを入力したら、なんと全部のアプリが自動的にインストールされてしまったのだ。僕の場合、タブレットの買い換えというのは初めてのことだったので、既に皆さんにとっては周知のことかもしれないのだが、これには驚いた。ローカルデータ、たとえばブックリーダーで読んでいたページまでは、さすがに再現されなかったが、ともかくちょっと待っていれば元の環境が復旧されたのだ。この点はもっとアピールされてもいいんじゃないかと思うのだが、それまで耳にしたことはなかった。

こうしたことが可能になったのは、クラウドにより個人情報がサーバに保存されるようになったからだろう。クラウドというシーズの発達が、こういう形でユーザニーズを満たしてくれたのだ。

この例は、新機種に変えたらソフトのインストールに時間がかかるのは当たり前、というユーザの持っているあきらめを一掃してくれるものなのだが、果たしてユーザのニーズから出発してこうした技術が開発されうるだろうか。潜在ニーズとしては多くのユーザが持っていたことだろう。面倒くさいという不快感を持っていたことだろう。しかし、ユーザ調査によってそうしたニーズを掘り当てることができても、その実現方式までイメージできたかどうか。こう考えると、ニーズ中心アプローチの限界を感じてしまう事例でもあった。

事例2. 地図サービス

Googleマップは大変便利なツールで、頻繁に利用させてもらっている。以前、パソコンで地図を利用しようとすると、メディアが数枚入ったパッケージを購入してきて、それを長時間かけてインストールしなければならなかった。それが当たり前のことだと考えていた。しかし、そうやってインストールした地図は、無段階で拡大縮小できるわけでもなかったし、新しく橋や道路ができても、それがすぐに反映される訳でもなかった。当時は、カーナビでも、地図データを最新のものに更新しようとすれば、DVD-ROMを購入して差し替えなければならなかった。CDやDVDなどの媒体をベースにしたアプリの時代には、それが当然のことだった。そしてユーザは、そのことを「仕方ないこと」と思っていた。もっと簡単になればいいのに、と心の片隅で思っていたにしても。

そこにGoogleマップが登場した。そこにはストリートビューまであって、自宅を確認することもでき、来訪者への案内が格段に向上したし、自分がどこかを訪れるときもとても便利になった。そのほか、ピラミッドを確認してみたり、エリア51を空からのぞいてみたり、いろいろと地図を見る楽しみ方が増えた。Googleマップではないが、連動したシステムとして、昔の東京と現在の東京を重ねてみることができるようなサービスも登場した。

こうしたGISがどのようなアルゴリズムで動いているのか、詳細は理解していないが、ともかく格段の技術的進歩がそこにはあったのだろう。そして、人々が潜在的に持っていたニーズが満たされる結果となった。地図をもっと簡便に使いたいというニーズは、もちろん過去から気がつかれていただろう。しかし素朴なニーズ志向アプローチはそこで止まってしまう。強力なシーズ開発の努力がなければ、その実現は不可能だった。

あきらめられているニーズ

世の中には、人々がニーズとしては持っていて、しかし技術的には無理だろうとあきらめられているようなことが沢山ある。世界の人口爆発と食糧危機の問題、選挙における公約と政治家のそれに反する勝手な行動、民族間対立や宗教的対立など、巨大な問題が多々存在している。しかし、多くの人々は、基本的にその解決はあきらめている。そして現在と近未来だけを、さらに自分とその周囲だけを大切にして生きている。しかし、真剣にこうした問題を考えようとしている研究者や技術者はどこかにいるのだろうと思っている。そう信じている。そして、いつかそうした人々の開発したシーズが世界に拡散している潜在的ニーズを満たしてくれる可能性があると思っている。

もちろん、短期的で小規模で、かつ既存の技術を利用して解決可能なことがらに対してはニーズ志向のアプローチは有効である。それを阻害している社会的あるいは組織的な通念を打破することが、その活動の中心的アクションになる。だからニーズ志向のアプローチを矮小化して考える必要はないし、積極的に取り組むべきだとも思っている。しかし、新しいシーズが、予想していなかったような形で潜在的ニーズを解消してくれることもある、ということは忘れるべきではないだろう。