ユニバーサルデザインと「指定されたユーザ」

ユーザビリティとユニバーサルデザインの考え方を融和させる方策は、「最も幅がある人々」を分割したセグメントごとに想定ユーザを明確にする、というものだ。しかし、企業活動のなかで、それらの複数のユーザセグメントが全体として集合的に悉皆的なユーザ集合を構成しているのか、という疑問が起きる。

(前回「『指定されたユーザ』という考え方」からの続き)

ユニバーサルデザインの考え方とspecified userの考え方

ユニバーサルデザインないしはDesign for Allの考え方に立つと、そもそもユーザビリティデザインのintended userという考え方はユーザの中に壁を設けることになり、好ましいことでない、とも思える。ユニバーサルデザインの考え方をspecified userという言い方で表現するなら、ユニバーサルデザインにおける「指定されたユーザ」は「可能な限りすべての人々」ということになり、直接的には共用品というアプローチに近いものとなってしまうだろう。

共用品のアプローチは、同じものをみんなで使うようにしよう、そうすれば特別なものを作る必要がないために生産コストも抑えられ、みんなが使えるようになるからいいじゃないか、というものと僕は理解している。それはそれで悪くないのだが、そううまくいかないケースは数多くある。シンプルな例でいえば、洋服にSS, S, M, L, LL, 3L, 4Lがあるような場合だ。ゴム製の伸縮自在な洋服なら一つだけで共用品になるかもしれないが、そうもいかないだろう。

ユーザの範囲

そこで気になってくるのが、specifyされたりidentifyされるユーザの範囲だ。ISO 9241-210にはアクセシビリティについても記してあるが、それによるとISO 9241-171から引用した形になっていて「能力に最も幅がある人々にとっての、製品、サービス、環境又は施設のユーザビリティ」(また前掲資料による)と定義されている。この「最も幅がある人々」の部分は原文では「people with the widest range of capabilities」となっている。いいかえれば「all the people」にはなっていない。

ユニバーサルデザイン(UD)の本家であるノースカロライナ州立大学の該当ページの記述では「to the greatest extent possible by everyone」となっており、ここでも「all the people」とはされていない。つまりUDやアクセシビリティでは、最大限可能な限りの人を対象としよう、と考えられているわけで、限界があることも意識されている。それはそれでいいと思う。つまり、多様な人間のなかで対処可能な範囲に限定しているわけである。

しかし、それと比べるとユーザビリティデザインのspecified userやidentified userの考え方は更に限定的である。これをそのまま理解しようとすると、理想主義のユニバーサルデザインと現実主義のユーザビリティデザインとの違いのように思えてくる。ユーザビリティデザインやアクセシビリティデザインにおけるspecified userやidentified userの概念を、幅広く捉えすぎてしまうと、素朴に考えると共用品のようなものしか考えられなくなってしまうのではないか、と。

あるべき方略

そこで「想定されるユーザ」の考え方とユニバーサルデザインの考え方とを融和させる方策は一つしかないだろう。つまり、「people with the widest range of capabilities」を幾つかのセグメントに分割し、各セグメントごとに想定されるユーザを明確にする、というアプローチだ。先ほどの洋服のサイズのようなものだ。このユーザセグメントを集めたものが、可能な範囲の「すべての人々」を漏れ落ちなく含むなら、実質的には同じ効果が得られる。ただし、セグメントの数が多ければ、それだけ製造コストはかさんでしまうが。

疑問点

そこでさらなる疑問が起きる。たしかに洋服のサイズのような場合には関連した特性の次元が「サイズ」という一次元だから簡単で、それなりの対応がとりうるし、全体集合としては「可能なすべての範囲の人たち」がもれなく含まれている。しかし、その他の種類の製品、たとえばスマートフォンでもいいし、ATM端末でもいい、そうした製品やサービスを提供する企業活動のなかで、ユーザをセグメント化したうえで各セグメントをspecified userやidentified userとしている場合、それらの複数のセグメントが全体として集合的に悉皆的なユーザspecified userやidentified user集合を構成しているのか、という問題である。

実際問題として、携帯電話を製造している会社が、高齢者用の携帯電話を開発するようなケース、酷寒の地における暖房機をそうした環境向けにカスタマイズして開発するようなケース、大量の砂埃が屋内にたまる砂漠地帯向けの掃除機を開発しているようなケースなどもあるが、それらのケースだけで多様なユーザ特性のすべてを集合的にカバーしているとはいえない。「一般ユーザ」に対して、ちょっと目につく「特別ユーザ」の幾つかを取り上げているだけではないのか。両者の間に漏れ落ちはないのか。

人間の特性は多様である。多数の次元が関わって、その多様性ができている。そう考えたとき、現在の企業努力はまだ十分なものとは思えない。もっと多種多様なユーザの多様性にも目を向けるべきだと思われる。漏れ落ちがないのかをもっと気にする必要がある。言語や文化、宗教、性別などの多様な特性や状況を考慮して、それぞれの特性を備え、またそれぞれの状況に置かれたユーザをspecifyし、またidentifyし、必要ならセグメントとして分離し、そのセグメントに真摯に対応していくことが必要だろう。

要はMECEの話である。ユニバーサルデザインやアクセシビリティデザインを進める際には、相互排他的(mutually exclusive)であり、かつ集合的に悉皆的(collectively exhaustive)であることが必要であり、そうした考え方にもとづいて範囲設定されたユーザセグメントに対して「指定されたユーザ」の考え方を適用して行われるべきなのである。現在の企業活動は、特にMECEのCEの点に関して抜けが多すぎるように思う。

公開:2017年8月29日
著者:黒須教授

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