AIと個人中心設計(PCD: Person Centered Design) (2) 多数のAIの同期と統合的ユーザ像

現在、AIの利用はその機器がある場所から行う。そのような形態は個人中心ではなく機器中心ではないか。屋内にいるなら、ユーザは機器をもちあるかず、いろいろな場所でAIを利用できるようにしたらどうか。

  • 黒須教授
  • 2025年6月4日

AIと個人中心設計(PCD: Person Centered Design) (1) 近年のAIアシスタント」からのつづき

どこからでもアクセス可能なAI

現在、AIを利用しようとすると、パソコンまたはスマホからアクセスすることになるだろう。スマホの場合は、屋内外でどこにでも持ち歩いている人が多いだろうが、パソコンの場合は、パソコンのある場所で利用することになる。もちろんノートパソコンであれば持って行った場所が利用する場所ということにはなるが、いずれにせよ、その機器の存在する場所から利用することになる。

この点に関してまず最初に浮かぶ疑問は、PCDといった場合に、それでいいのだろうかということだ。利用者に対して、その個人が機器のもとに赴いてAIを利用する、あるいは機器を携帯してAIを利用する、という形態がそのままでいいのだろうかということである。そういう形であれば個人中心ではなく機器中心ということになってしまうのではないだろうか。

たとえば屋内にいる場合であれば、ユーザは機器をもちあるく必要がなく、身一つでいろいろな場所に移動し、AIを利用できるようにしたらどうか。もちろんキーボードやマウスのような器具を使わず、基本、音声でAIと対話することになる。しかし、利用目的によっては音声対話もせず、ただ、居たい場所にいればいいかもしれない。屋内に多数設置されたカメラやマイク、センサーの類がユーザの行動を観察し、それをAIに集約するような仕組みだ。これを監視ととるか観察ととるかはユーザの意識の持ち方とデータの利用法によるだろう。もちろん、収集されたデータは特定ユーザの管理する範囲に限定されるものとし、外部流出を避けるための方策がなされているという前提である。

単純な例でいえば、センサーライトのようなものである。その仕掛けは単純なもので、センサーの感知範囲にゆけばライトが自動的に点灯する。その利便性は、たかがライトスイッチを押す手間が省けるだけのことでありながら、利用してそれが当たり前のことになると、もうライトスイッチを押すというワンアクションすら面倒に思うようになってくるのだ。我が家の屋内では廊下とトイレ、リビングにそれが設置してあるが、自動点灯するのが当然のこととなってしまっており、それがない生活は考えにくいほどのものになってしまっている。屋外であれば、ライトで照らされた範囲をカメラが撮影するようになっているので、防犯の面でも安心できる。カメラで撮影された光景をAIが認識すれば、誰がどこで何をしていたかも記録されることになる。

このような仕組みは、ひところ話題になったライフログのようなものである。ただ、ライフログ研究の多くが、何のためにログを残すのかという目的を明確にできていなかったのに対し、PCDでのログはAIによってその行動の「内容」や「意味」さらには「意図」までもが記録される(もちろん、そうした能力をAIが獲得できるということが前提にはなっているが)ため、後刻、ユーザと対話をするなかでその行動に言及する際に、統合的な自我としてのユーザの像が構築されることになるだろう点が異なっている。

また、カメラで記録された情報以外にも、室内のいろいろなモノに付属させられたナノチップ(RFIDタグのようなもの)による情報も付加され、全体的なユーザ行動が記録されることにもなるだろう。この点では、いわゆるユビキタスコンピューティングの一種とも考えられるが、ナノチップによる情報取得が機器やシステムの操作という目的に利用されるだけでなく、他の情報と統合されて、ユーザの自我全体の行動の記録になり、さらにはそこからユーザの次の行動への意図の推測が行われる、ということも可能性として考えられる。

ユーザに関する網羅的な情報取得

ユーザに関する情報は屋内で撮影される画像やタグによって得られたライブ情報だけではない。ユーザはSNSなどを通じて多数の情報を発信したり受信したりしているだろうし、スケジューラを活用して日々の予定や記録を残していることだろう。また、ブラウザの視聴履歴や所属していたり関係している組織に関する情報など、多数の情報の網目のなかで生活していることだろう。こうした情報がPCやスマホを通じてそこに保存されたりネットにアップされたりしているなら、それらの情報もまた重要な記録としてユーザの統合的自我像を構築するうえで有用なものになるだろう。

とにかく取得可能なユーザ情報はできるかぎりすべてを取り入れる。これがPCDを実現するための基本である。ユーザ個人に関する情報がなければユーザに適応的な世界を作ることはできないし、それが可能な限り多ければ多いほど、的確にユーザの統合的全体像を構築することができるからだ。

PCDで実現できるユーザとのインタラクション

それでは、こうして多様な情報を得たとして、AIシステムはユーザとの間にどのようなインタラクションを構成することができるのだろう。AIとの会話の例をとおして、それを考えてみたい。

  • AI「おかえりなさい、今日の会議は長くて大変だったでしょう」…と、これはしかしながらユーザの性格を考慮して発話されるべきである。ユーザがあまり干渉されるのを好まないタイプであれば、長い会議で疲れて帰ってきたことを察しながらも、特に言葉はかけないことが望ましいだろう。
  • ユーザ「何か急いで対応しなきゃいけない連絡は来てるか」、AI「特に緊急ではないようですが、Xプロジェクトの企画書の作成が明後日までに期待されているようです」…メールなどのチェックはユーザ本人もしているだろうが、帰社後に届いた連絡などをベースにして、ユーザに伝えておくべきことを伝えておくのがAIのマナーである。
  • ユーザ「小腹が減ったなあ」、AI「冷蔵庫に豆腐とヨーグルト、冷凍庫にグラタンがあります、どうされますか」、ユーザ「じゃグラタンを解凍してくれ」…ここから先はロボットとの連動になる。冷凍庫からグラタンを出して、電子レンジで解凍をし、皿にのせてユーザに提供する一連の動作はロボットが行い、AIはそのことを記録しておく。なお、冷蔵庫の庫内にある食料品については、ユーザの嗜好を理解しているAIが不足分を確認し、ネットオーダーをしておく。また、栄養の偏りを考慮して、プラスアルファで追加の品物を注文しておく。
  • ユーザ「音楽をかけて」、AI「これでよろしいですか」…AIは当然ユーザの嗜好を熟知している。ただし、好きな音楽といっても複数のジャンルがありうるので、ユーザの一日の行動履歴や疲労状態に関する推測をベースにして、適切なジャンルを選び、最近のリスニング履歴を考慮して、適切と思われる曲を流す。
  • ユーザ「Xプロジェクトの企画書の案を考えて」、AI「はい、…、これでいかがでしょうか」…先ほどユーザに伝えた企画書作成の依頼について、ユーザはこれまでの関連資料に基づいた企画書案の作成をAIに命じる。ユーザはその出来具合を確認した後、「このB案をベースにして、もう少し費用について具体的に書いてくれ」というと、AIは指示にしたがってB案の改訂版を作成する。
  • ユーザは寝室に行く。眠くなったらしい。AIはそれを察知して、寝室の照明を低照度に設定し、低音量で音楽を流す。もちろん、ベッドメイキングはロボットが完璧に仕上げている。翌日の予定を知っているAIは、翌日の起床時間と寝坊していい許容時間をもとに、アラームの設定を行う。

…のような感じである。

さらにいえば、AIとのインタラクションは、目的的行動のサポート、つまり何らかの目標達成のために行われる行動に限らない。非目的的行動、つまり何気ない会話の相手をすることも重要であり、それは長年連れ添った伴侶や昔からの友人との話のように、豊富な文脈を共有したうえでの会話となるわけで、阿吽の呼吸が通じる場ともなるはずだ。これはユーザの心の安定にも寄与するものであるだろう。

ロボットの必要性

このようなPCDを実現するためにはロボットが必要になる場面が多い。自立型で、ある程度の大きさで力もでるようなロボットである。そして、それはAIと完全に統合されているはずである。この点については、次回に触れたい。