クライアント中心設計のもう一つの事例

イランで銀行のオンラインシステムを設計している企業の人たちと話をしている時に、ん、これはクライアント中心設計ではないのかな、と思えたので、そのことを紹介したい。僕と彼らの間には、想定ユーザの違いとユーザビリティの定義の違いがあった。

  • 黒須教授
  • 2015年7月27日

先日、イランに滞在した折には、大学での講演の他に、現地の企業でも講演を行った。その中に銀行のオンラインシステムを設計している企業(あるいは銀行のオンラインシステム部門なのかもしれなかったが、ともかく彼らは銀行をクライアントとしてとらえていた)があった。そこで話をしている時に、ん、これはクライアント中心設計ではないのかな、と思えたので、前回に引き続き、そのことを紹介したいと思う。

想定ユーザの違い

彼らにUCDの考え方を説明していて、どうも彼らから出てくる質問がずれているような気がした。色々と探りを入れてみると、彼らが想定していたユーザというのは、銀行内でそのシステムを利用する銀行員のことであって、ATMを操作する一般の人たちのことは想定外なのだということが分かってきた。

たしかに、ISO/IEC 25010の整理しているユーザの分類では、直接ユーザのうちの一次ユーザとして、オンラインシステムの運用に関してインタラクティブ操作をするのは、この場合、銀行の社員のこととして理解できる。しかし、もちろんATMの利用においてもインタクションは発生するのであり、一般の人たちも一次ユーザとして想定すべきところだ。いいかえれば、インタラクションの起きる場面をどのように想定するかによって、誰を考慮するかという問題について齟齬が生じてしまうわけだ。

だから、たとえばユーザの調査をしてるでしょうか、と聞くと、たしかにやっている、という回答が来る。そして、どういう点に問題があるかも把握している、という回答が来る。ああそうか、と思って、たとえば機器操作のどんな点に問題があったりするんでしようかと尋ねると、機器としてはパソコンを使っているから云々という話が返ってくる。ここらで、あれ話がずれているな、と気がついた次第である。

彼らにとって重要なのは、クライアントである銀行であり、彼らはユーザ中心設計を行っているのではなく、クライアント中心設計を行っていた、ということになる。クライアントの意向を重視し、クライアントの評価を重視する設計。それが彼らの行っていた設計だったわけである。

ITILのユーザビリティ

さらにユーザビリティについての話をすると、ここでもずれが見えてきた。ユーザビリティは大事だと思いますか、というと、もちろん大事である、と回答が返ってくる。しかし話をしているうちに気がついたのは、彼らが言っているユーザビリティとは、ITIL (Information Technology Infrastructure Library)におけるユーザビリティ要件のことなのだった。僕は不勉強にしてITILのことは知らなかったので、彼らがITILのベストプラクティスに対応すべくがんばっているという言葉をきき、その場でITILのことをさっと調べてみた。そしてITILは、

「ITサービスマネジメントを実現するため、ITサービスの品質向上、中長期的なコストの削減などを目的として実在する企業、サプライヤ、コンサルタントなどからITサービスに関する実際の運営方式やノウハウを収集し、書籍化したもの」
(ウィキペディアによる)

であることを知った。

ただし、ITILにおいては、アプリケーションの要件として機能要件、非機能要件、ユーザビリティ要件の三種類があること、可用性(availability)という非機能要件もあるが、それは信頼性、保守性、サービス性、パフォーマンス、セキュリティによって決定されるものであり、ISO 9241-11の言っているような可用性(ユーザビリティ)とは異なるものであること、ユーザビリティという概念は、アプリケーションや製品、ITサービスにおける使いやすさのことであること、などなどを知ったのは帰国してからであった。

だから、ユーザビリティを使いやすさとして理解するという点では双方にずれはなかった筈なのだが、僕と僕をイランに呼んでくれたイラン国立大の先生とはISO 9241-11の意味でユーザビリティを考えており、彼らはITILの意味で考えていたにも関わらず、双方の話は食い違ってしまった。イラン国立大の先生は、興奮して顔を赤くして熱弁をふるっていたほどである。

彼らの口からITILのユーザビリティ要件についてはあまり重視していないという発言は出てこなかったが、それでも話にずれが生じてしまったのは、やはり彼らがクライアントである銀行のことを中心に考えていたからだろうと思う。クライアント中心設計というものは、結構根深く企業の人たちの中に浸透しているのではないか、などとも思う。