UXの、3つのキーポイント
UXについては、まだ妙な解釈が大手を振って闊歩している。それを、製品を手に入れた時の感動と混同したり、製品の魅力と勘違いするようなことをしないよう、きちんとその概念を理解しておく必要があるだろう。
UXについては、まだ妙な解釈が大手を振って闊歩しており、綾塚祐二さんの「地味で地道なUI/UX論」のようなまともな論述にぶつかるとホッとする程だ。
先日、インドネシアのバンドンで開催されたCHIuXiD 2015でキーノートを頼まれたとき、UX and Quality Characteristicsというタイトルで話をしてきたが、その内容が僕の最近考えているUXのポイントだった。聴衆の皆さんからは頭がすっきりしたというようなフィードバックを頂いたので、ちょっといい気になって、ここでその内容をかいつまんで紹介することにしたい。
僕がUXについて重要と思っている点は次の3つである。
- ユーザビリティは製品品質に属し、UXは利用品質と関係している。
- UXには客観的品質特性と主観的品質特性が共に関係している。
- UXは長期間にわたる経験である。
以下にこれらを少し詳しく説明したい。
1. ユーザビリティは製品品質に属し、UXは利用品質と関係している
ISO/IEC 25010はソフトウェアに関する規格だが、その考え方は一部を除き、ほとんどすべての人工物に当てはめることができると思う。僕がこの規格を気に入っている点は、製品品質(product quality)と利用品質(quality in use)を区別している点である。製品品質について、僕はしばしば人工物品質という言い方をしているが、ここでは一般的な表現として製品品質と呼ぶことにする。
この製品品質は、製品が備えている品質である。したがって、実際に使った時に、それがどのように受け取られるかということとは違う。それは利用品質の方である。たとえばユーザビリティはuse+ablityから構成されているが、それはあくまでも可能性(ability)であり、製品品質はそうした考え方にもとづく概念なのだ。これに対して利用品質は、実際にそれを利用した時の品質のことである。
その意味で、UXのうち、利用前の期待感は製品品質に関係しているが、手に入れてから廃棄するまでの利用している間の経験は利用品質と関係することになる。
2. UXには客観的品質特性と主観的品質特性が共に関係している
満足感やそれに近い概念は、Shackelのlikeability以来、NielsenもISO 9241-11もISO/IEC 25010も言及している。Jordanのpleasureもそれに近い概念であり、いずれも主観的な品質特性と位置づけられる。すなわち、ユーザビリティや信頼性や安全性、互換性などの客観的な品質特性とは異なったもの、主観的品質特性というべきものである。Hassenzhalもpragmatic aspectsとhedonic aspectsという区別によってUXにおける二種類の品質特性の区別を行っている。ちなみに、僕は主観的品質特性に関する集約的な概念として満足感を位置づけている。
なお、美しさや可愛らしさについて、僕は、主観的な製品品質として位置づけている。美しく描かれた絵や可愛らしい顔や姿をしたぬいぐるみなどは、製品品質として作り込まれた特性であり、それが見る人によって美しく感じられるかどうかといったこととは関係がない。人によっては美しいとは思えなかったり、あざとさやわざとらしさを感じることもある。反対に美しいや可愛らしいという印象は利用品質の側に位置づけられる。それは見た人の印象であり、経験であるからだ。なお、好き嫌いや楽しいという経験は感情体験であり、対象の属性として対象に投影されたものである感性的品質とは異なる。
また主観的品質特性をポジティブな側面についてだけ考え、その度合いを測定しようとする態度は間違っている。感情と関係の深い感性には、ネガティブなものも含まれているからだ。満足があれば、不満足もあるのだ。
3. UXは長期間にわたる経験である
UX白書にも書かれているように、購入したり手に入れたりする前の期待感というものはUXの一部であると考えられる。次いで購入したり手に入れたりした段階での印象-それは大抵ポジティブなものである-がある。そしてそれを使い始めて感じる印象、さらに長期間にわたる使用の間に感じる様々な経験がある。これらは白書で言われているエピソード的UXに対応する。さらにこれまでを振り返って感じる経験の総体があり、これは白書の累積的UXに対応する。もちろん、長期的なUXの一部を切り出して、一時的なUXについて論じることも不可能ではないし、多くのサービス活動の場合にはその一回性の故に短期的なUXにしかならないのだが、製品の場合のように長期にわたるUXの場合には、一時的なUXについて論じることは長期的な変動を無視することによる誤解の危険性がある。
これらの点については、白書を読んだ人はきっと同意するだろうと思うのだが、世の中には、そうした長期間にわたるUXのことを忘れてしまい、短期的にそれを評価しようとする傾向がある。短時間の評価でしかなく、かつ実験室的な状況で行われるユーザビリティテストをUXの評価として用いるのは、その点で間違っている。専門家によるインスペクションも違う。なぜならUXはユーザの感じる主観的な経験であり、勝手に他人が推測すべきものではないからだ。
さらに、これらの点は、人工物を手にいれた直後の印象や、短期間的な評価は長期的なUXを予測する上ではあてにならないし、少なくともそれだけでUXを判断してはいけない、という重要なポイントにも関係してくる。
僕は、UXについて語る時には、これらの点について注意する必要があると思っている。UXについて、それを製品を手に入れた時の感動と混同したり、製品の魅力と勘違いするようなことをしないよう、きちんとその概念を理解しておく必要があるだろう。