公共空間として問題あり…下北沢駅の場合

下北沢駅は二つの鉄道会社の交わる駅だが、かつては井の頭線のホームからスムーズに移動して小田急に乗り換えることができた。しばらくご無沙汰をしていて最近あらためて利用する機会があったのだが、駅の改築工事が完了して、その構内のわかりにくさに混乱させられることになってしまった。

  • 黒須教授
  • 2020年3月30日

昔の下北沢

かつて下北沢は筆者の遊び場所のひとつだった。京王井の頭線と小田急線の交わる場所で、渋谷からも新宿からも、また時には吉祥寺からもアクセスが良かった。駅をでると、飲み屋や食事をする場所や小劇場や、何やらよくわからない店やらが雑多に集合していて、ちょっと歩くと住宅街のなかに入ってしまう。その住宅街との境も曖昧で、住宅のなかにそこらの植木を借景したような隠れレストランがあったりした。その日の気分でいかようにも行動できる街、それが昔の下北沢だった。

二つの鉄道会社の交わる駅ではあったが、井の頭線のホームから階段や通路を移動してトントンとゆくと小田急に乗り換えることができた。その間はスムーズに移動することが可能だった。

驚愕の変貌

いいかげん遊ぶ年齢でもなくなったので、しばらくご無沙汰をしていた下北沢だが、最近あらためて利用する機会があった。渋谷から井の頭線でやってきて、小田急で狛江の自宅に帰ろうとしていたのだ。しかし駅の改築工事が完了した後だったので、その構内のわかりにくさに、混乱させられることになってしまった。

井の頭線を降りた。階段を降りるとまず改札があった。え、連絡通路は別の場所にあるのかな、とちょっとキョロキョロしてしまったが、それはない。どうやら改札を通過しなければならないらしい。ということはまたどこかに小田急の改札があるということなのか、それとも都営地下鉄と営団地下鉄の乗り換えのように、二つの路線の境目に改札があるというだけなのか、それがわからなかった。要するに、改札を通過したけれど、まだ駅構内にいるのか、それとも駅の外にでてしまったのかがわからなかったのだ。

似たようなことは、新幹線でも経験したことがある。東海道新幹線を東京駅でおりて、在来線に乗り換えろうとする時、二種類の改札があることに最初のうちは混乱させられた。ひとつの改札は新幹線モードから脱出するが、まだJRモードには残っているというもので、そのまま在来線に乗ることができるものだった。もうひとつの改札は新幹線モードとあわせてJRモードからも出てしまうもので、要するに駅から外部にでてしまうものだった。それが多くの乗客にとってわかりにくかったのだろう。改札の近くに駅員がたっていて、前者の改札口では、切符がでてきますので、お取り忘れのないようにご注意ください、とアナウンスをしていた。

これは、いわゆる二重モードエラーというもので、一重モードなら、あるモードに入ったら、あとはそこから出るだけなのだ。大抵の駅の場合はこの一重モードになっているから問題はおきない。ところが便宜性を重視して、一気に二重モードに入ることができるようになっている場合…たとえば京都駅では外部から一気に新幹線構内に入ることができたりするが…そうした時、自分は今JRのモードにいるのか、新幹線のモードにいるのかがわからなくなる。出るときも同様の問題が発生するというわけだ。

下北沢の改札は一重モードではあるが、井の頭線の改札を通過することで、外部にでたのか小田急モードに入ってしまったのがわからない。で、最近、年のせいもあって臨機応変な行動がとれずにいる筆者は、後者の仮説を採用して、手近にあるエスカレータにのってしまった。しかし、それは地下にあるはずの小田急に向かわず、上の方に移動してしまう。いくらバカな僕でもおかしいことは分かる。それですぐにくだりのエスカレータで下におりた。

そして、よく見たら、となりに小田急線の改札があったのだ。ははん、今僕は駅の外にいるのだな、と理解した。理解が遅くてもそのくらいは理解できます! それで改札を通って、ようやく小田急モードに入ることができた。

プラットホームの選択

しかし、問題はモードだけではなかった。改札のあと、ホームに降りるエスカレータが二本ずつ設置してあるのだが、それが「準急」「各駅」というエスカレータと、「急行」「快速急行」というエスカレータになっている。たいていの駅、いやほとんどの駅では行く先別にホームが別れているはずだけど、ここでは列車種別でホームを選択するようになっているようだ。僕は新宿ではなく小田原方面にゆきたかったわけだが、さて、どちらのエスカレータを選べばよいのか、しばらくの間、二つの表示を見て考えざるを得なかった。

ちなみに京王線の調布駅は、二層構造になっているが、行く先別(新宿方面と反対の高尾山口や橋本方面と)に層が別れているので、認知的負荷は軽い。どちらかの層を選んで、やってくる電車の種別を選べばいい。まちがえても、反対の方角に行ってしまう心配はない。

で、半ば自棄、半ば不安な気持ちで「準急」「各駅」のエスカレータにのった。そしてエスカレータが降りた先には、ホームの右側が新宿方面、左側が小田原方面となっていることを知り、ようやく安心できたのである。そういうことだったのだ。

しかつめらしく認知心理学的にいえば、これはフレームの問題ということになる。通常の駅で使用しているフレームは行き先でホームが別れているというものだが、そのフレームが通用しない場面に遭遇してフレームを破棄せざるをえず、代わりのフレームを新規に構築しなければならなかったのだ。

図
複々線化後の下北沢駅の構造(小田急電鉄「小田急線の複々線化事業について」パンフレットPDFより)

公共場面の設計の問題

久しぶりに公共場面のユーザビリティやアクセシビリティの問題に直面させられることになったが、残念ながら僕以外にまごついているような人はいなかった。僕の頭がよっぽど硬くなってしまっていたからなのか、そこにいたほとんどの人たちがリピータで間違うことなどないということだったのか、それはよくわからないが、とかく高齢になると自罰的になる。ああ、頭が固くなったんだ、柔軟に新規事態に対応できなくなったとは大いに嘆かわしいことだと自己反省することになった。

しかし、やはりここで「しかし」と言わずには気がすまない。公共場面の設計をする際に、こういうややこしい設計をすることは望ましいことではない。ましてや2020年、世界からいろいろな人達がやってくる。彼らはちゃんとこの駅を利用できるのだろうか、心配でもある(編注:この原稿は、2020年1月にいただきました)。

外の景色にタワービルのようなランドマークがあれば、こうした場合に多少は役に立つ。それとの相対関係で自分の位置や方角を知ることができるからだ。しかし、多くの地下街や地下駅にも共通した問題だが、外界が見えない場所では、頼りになるのはサイン表示だけである。メンタルモデルのつくりようがないのだ。

建築家はいいよな、勝手にデザインして見てくれがよければそれで金もらえるんだから、などというヒガミ根性もでてきてしまう。いまだに建築の世界では認知心理学のイロハも理解されていないんだ、という気持ちを新たにする経験であった。そういえば、以前、建築学会の会員だったころ、建築と認知工学などというワーキンググループを提案したことがあるが、まるきり反応がなかった。

そんなこんなで下北沢問題はなんとかクリアしたが、次の問題は渋谷である。その日、渋谷を歩いた時にはすぐに外にでてしまったので問題はなかったのだけど、新しいタワーがどんどん建っているあの複雑なビル街を縦横に歩き回れる新人類(古い言葉です)たちが羨ましい。こういう時、やはりノスタルジーが湧いてくる。昔は良かった…と。