Macintosh:25周年
Macは、個々の機能は目新しいものではなかったが、各機能をまとめ上げ、GUIの可能性を示し、インタフェースの統一を図った。
Macは1984年1月24日に発売された。Macが最初に製造されたのはカリフォルニア州フレモントのビルであるが、実はNielsen Norman Groupが現在入居しているのがそのビルなのである。
個々のユーザーインタフェースのどれをとっても、Macが先駆けとなったものはなかった。Macの最たる象徴であったマウスは、すでに1968年にDoug Engelbart氏によって発明されていた。研究室を出て一般に用いられるまでに16年を要したという事実は、技術業界の動きがどれほど遅いかを示す顕著な例である。特に、マウスという奇妙なデバイスを普及させるとなればなおさらである。
(最初のマウスがとりたてて魅力的でなかったことは認めざるをえない。初期モデルを自分で使ったこともあるが、押しにくいボタンがひとつついた、まさに重いレンガであった)
Macのグラフィカルユーザインタフェースは、ウィンドウ(Window)、アイコン(Icon)、メニュー(Menu)、ユーザーがコントロールするポインター(Pointer)の4つ(WIMP)を特徴とするが、これとても、それまでになかったものではない。
Macが登場するまで、私はThree Rivers Computer社のPERQというワークステーションでGUI関連の仕事をしていた。数多くのユーザーテストをおこなったが、特に思い出深いのは、「1画面に表示しきれない情報を表示するときに、どのような操作体系にするのが人間にとって最も理にかなっているか?」というメンタルモデルを調べるユーザーテストであった。何がわかったかって? 人は、内容量の多い長いドキュメントを見るとき、“下のほうが見たい”と思うのだから、下向き矢印で操作するのが最も理にかなっている。このことは、いまスクロールバーを利用しているユーザーにとっては驚くに当たらないかもしれないが、ドキュメントの末尾に向かってスクロールしたときに画面は実際には上に向かって移動するのである。当時の研究の成果は、それ以前には明らかになっていなかった。
GUIのガイドラインは今やすっかり定着しており、当世のアプリケーションデザイナーはそれに従うだけでよい。しかし、こうしたガイドラインが出来上がるまでには、グラフィカルなインタラクションをめぐる黎明期の実験を経なければならなかったのである。UIに関する初期研究は、PARC(パロアルトリサーチセンター)をはじめ各所でおこなわれた。また一部は、Apple社のLisaプロジェクトでもおこなわれた。
このような研究を経て、Macは以下の3つの大きな進歩を達成した。
- すべての機能を一体化した: さまざまな機能を寄せ集めるという手間を省いて、すべての機能を1個のパッケージにまとめてユーザーに提供したのである。バラバラであった各種機能をあとでまとめ上げるよりも、最初から1個のパッケージとして提供したほうが機能的にはずっと優れていた。
- GUIは、Macにとってはオプション機能ではなく、なくてはならない基本機能であった。基本機能どころか、当初のMacにはカーソルキーさえついておらず、アプリケーションはマウスで操作せざるをえず、すべてのMacにはマウスが標準品として同梱された。他の多くのコンピュータでもマウスを使うことはできたし、事実、Microsoft社製のマウスが発売されたのはMac登場の前年であった。しかしMac以外ではそもそもUIとしてGUIは期待されておらず、ユーザーがマウスを持っていることをアプリケーションの設計者は当てにできなかったため、Mac以外のアプリケーションは大半が、長いあいだキャラクタベースのままであった。
- Macがヒューマンインタフェースの基準となり、各ソフトウェアベンダーは、“Macらしい”アプリケーションにするためにこの基準に従わざるをえなくなった。その結果、Mac用のどのアプリケーションにも通ずる統一感が生まれ、新しいアプリケーションを覚えるときの負担が減り、ユーザーはますます多くのソフトウェアを買うようになったのである。多いどころか、MacユーザーはDOSユーザーに比べてコンピュータ1台あたり約2本も多くアプリケーションを購入したのである。
どんなにすばらしい発想でも、ただ思いついただけではダメで、それを実現することのほうが重要なのである。これが世の習いである。
ユーザビリティの勝ち負け?
Macは、登場してから10年間、他のパーソナルコンピュータ(DOS、Windows、OS/2)より明らかに優れたユーザビリティを提供していた。PCがMac並のユーザビリティに近づき始めたのは、Windows 95が登場してからのことである。
このようにMacのほうが進んでいたにもかかわらず、1984年以降毎年毎年PCのほうが圧倒的な売れ行きを誇り、Macは1桁の市場占有率を超えたことすらない。
Macの売れ行きが悲惨なほど低調なのは、ユーザビリティに大きな問題があるせいではないのかという気もする。売れていないのだから、気に病むこともないのだが。
こういう反論もある。すなわち、ユーザビリティに優れているからこそMacは生き延びたとする意見である。MacはPCに比べて値が張ったし、専用のアプリケーションもごく少なかった。Apple社の冷淡な経営姿勢にも苦しめられた。
ではなぜ、人は高い金を払ってまで見劣りするものを買おうとしたのであろうか? Macのほうが使いやすかったからである。
それでも、Macのささやかな商業的な成功が、トータルなユーザーエクスペリエンスの重要性を強調している。PCのほうが専用のアプリケーションも多かったし、サポート体制も幅広かった。価格もまた大きな問題である。1980年代のMacは、高級な高解像度ディスプレイがついていたせいで、PCに比べてずいぶん高価であった(そのぶん売れなかった)。
現在、コストとユーザビリティとの間に対立はない。ウェブサイトの場合は、ユーザビリティが高くなるように設計したほうが結局は安くつくことが多い。なぜなら、(ユーザビリティが高くなるようなデザインは、)余計に作り上げられたメニューアイテムやダイアログ要素よりも、シンプルさとインタラクションの標準規格を重視するからだ。ソフトウェアアプリケーションの場合は、出来の良し悪しにコストは左右されないことが多い(加えて、ユーザビリティのROIは高い。特にウェブサイトは、UIが難しければユーザーは離れていくのだから、なおさらである)。
大規模な開発予算に比べれば、ユーザビリティ調査のコストはバカバカしいほど安いのだから、自分たちの顧客にとって何が役に立つのかを調べない言い訳にはならない。一度知ってしまえば、通常、ユーザビリティ上の発見を実装するコストは、うまくいかない何かを発明するのにかかるコストに比べればかからない。しかもユーザビリティはアジャイル開発手法と相性が良いため、ローンチを遅らせることもない。
アンチMacintosh UI
1995年に私はDon Gentner氏とともに、Apple社の主要なヒューマンインタフェースガイドラインのひとつひとつをすべて逆にすることにより、アンチMacユーザインタフェースを開発した。二人ともMacファンではあったが、80年代初頭のデザインをいくら拡張したところで、インターネット時代の需要にはそぐわないと思っていたのである。
アンチMac UIの基本原理は以下のとおりである。
- 言葉に中心的役割を担わせる。
- オブジェクトの内部表現をもっとリッチにする。
- 表現力に富んだインタフェースにする。
- 上級ユーザーを対象とする。
- コントロールの共有化を図る。
ユーザーが検索に頼り切っている現状を見れば、言葉がすでに中心的役割を担い始めているのは間違いない。それどころか、我々が現在おこなっている携帯電話のユーザビリティ研究によれば、むしろ携帯電話からウェブサイトにアクセスするときのほうが遙かに検索に頼っているようである。
表現力に富んだインタフェースも、ゆっくりとではあるが進化している。たとえばVistaでもOS Xでも、小さなサムネールが使われているし、Office 2007ではリボンUIが導入された。このリボンUIは、最近のいくつかのアプリケーションで使用されてもいる。
共有コントロールは多くのソーシャルネットワーキングサイトの特徴のひとつで、そのユーザーの個人ページは、他のユーザーからの投稿をつなぎ合わせるという形で構成されている。アンチMac構想としては、コンピュータエージェントがもっと活躍してくれる様を描いていたのだが、まだそこまでは至っていない。
今よりもリッチな内部表現は、セマンティックウェブ(Semantic Web)の運動の夢と言えるが、現実世界ではまだ大きな弾みはついていない。同じことは上級ユーザーについても言える。その証拠に、ほとんどの人はどのウェブページも一度きりしかアクセスしないというので、最初のユーザーエクスペリエンスこそが重要だとされるようになっている。
これまでのところ、MacはアンチMacよりもよい状態を維持しているが、アンチMacのアイデアの多くはいつか日の目を見ると思う。
(余談だが、アンチMacプロジェクトでは、ビジョン工学の優れた手法を紹介している。思考実験として通常とは逆のシステムを作りあげる、というのがその手法である。たとえば、記事の載っていない新聞社サイトや、商品を発送しないネット通販サイトなどを考えてみるのである)
iPhoneはモバイルのMacか?
いま歴史が繰り返されようとしている。Apple社は、Macを通じてデスクトップにGUIを普及させたのと同じように、今度はiPhoneを通じて携帯デバイスにGUIを普及させようとしている
マウスはユーザーにカーソルを操作させ、ユーザーの個人的な画面上の代理人としての役割を果たす事で、UIに直接的な影響を与えている。同じように、タッチスクリーンを使えば、携帯電話のUIをじかに操作できる。我々は現在、携帯電話ユーザーのウェブサイトへのアクセス方法をテストしている最中だが、それによると、画面を移動するのに何度もボタンを押さなければならないことがどれほど不愉快であるかがわかる。フィーチャーフォンはもちろんだが、ボタンで操作する立派なスマートフォンなども、タッチフォンに比べれば、間接的なユーザーエクスペリエンスしか得られず、機能的に劣っている印象を与えている。
一から歴史を繰り返すのはやめてほしい。携帯電話のユーザビリティを改善するのに、PCのときのように11年も待つのはよそう。それと、Apple社の設計思想(今ならタッチスクリーン、昔ならマウス)の上っ面だけをなぞるのはやめたほうがよい。次のようなことも実現するべきだ。
- スムーズなGUI
- 統一感のあるユーザーエクスペリエンス
(クリップボードや、切り取り/コピー/貼り付け機能などを含む。この機能はMacの最も重要な機能のひとつであったにもかかわらず、Apple社はiPhoneに搭載していない) - ユーザーがどこにいても直接操作できるようなプラットフォーム
- ユーザビリティガイドラインの遵守