そろそろエビデンスを共有しよう

ユーザのことを知り、ユーザにもとづいた設計を行うというHCDの理念は、ひとつの信念体系であり、HCD教と言われても仕方ない側面もある。しかし、実証的なデータをもって科学的方法論として世に提示できれば、その主張の信憑性は増すし、より多くの人々が採用することになるだろう。

  • 黒須教授
  • 2021年1月25日

HCDを適用して効果のあった事例

1999年のISO 13407の制定前後の時期、HCDに関する講演をすると、「HCDをやって成功した事例を教えて下さい」といった質問が必ずといっていいほど出てきたものだ。まだHCDが殆ど知られていない時期だったので、何やら新しい枠組みができたらしいけど、どの程度の実効性があるものなんだろうという素朴な疑問が湧いたためだろう。残念なことに、当時は、まだHCDの理念やアプローチを伝えることが必要な段階であり、それを適用した実践事例はなかったため、「これこれのことになると思われます」という言い方しかできず、歯がゆい思いをしたものだ。

しかし、最近は、少なくとも僕が担当している講演やレクチャーではそうした質問がでてこなくなった。参加している人たちの間に、それは「やるのが当然」という意識が浸透してきているようにも思え、HCDをやることはあたりまえのこととして、さてどのようにやればいいのか、ということを具体的に知りたくて参加している人が多くなったのだろう…そのように思っていた。

しかし、友人のコンサルタントと話をしていて、そうした傾向が見られるのはいわゆる意識高い系の企業の人々においてであって、意識低い系の人たちにはHCDというキーワードすら知られておらず、そもそもの問題意識もないということを知り、さらにそうした人々が結構多いのだということを知り、ちょっとした衝撃を受けた。「ユーザ調査」だとか「ユーザビリティ評価」とか、とりあえず要らない、ないしはどうでもいいから、ともかくチョチョッとをいじって「改善」してくれないか、というようなクライアントがまだまだ沢山いるらしいのだ。

そうした人々は、その「チョチョッと」がどのようなものかを知らず、当然、どれだけの時間や費用がかかるかも知らず、「うまく」デザインしてくれれば、何となく魔法のような形でサイト改善ができるように思っているらしい。こうした態度は、以前はしばしば見受けられたパターンだったけど、それが未だに結構生き延びているということに驚いた。

HCDという枠組みを信仰体系のようなものとみなしてしまえば、「信ずるものだけが救われる」というような話になってしまうだろうが、HCDは宗教ではない。理念ではあるが、宗教とはちがう、否、少なくともそうあるべきである。まあ、残念ながらHCDを唱えている人たちの一部には、HCD教の伝道師のようになってしまって、とにかく良いものなんだから、それを信じてやってみることが必要なのだ、といった論旨を振りかざしている人もいる。しかし、それではいけないだろう。

たしかにユーザのことを知り、ユーザにもとづいた設計を行うという理念は、ひとつの信念体系であり、その意味ではHCD教と言われてしまっても仕方ない側面もある。しかし、ちゃんと実証的なデータをもって科学的方法論として世に提示することができれば、当然、その主張の信憑性は増すし、より多くの人々が採用することになるだろう。

HCDのエビデンス

そこで考えられるのが、HCDの実践事例をエビデンスとして示すことだ。たとえばウェブサイト改善を例にとれば、改善の前後でのサイトの月間アクセス数やユーザの評価やコメントをとることは可能だろう。「HCDを適用する以前はこの程度でしたけど、HCDを適用してデザインし直したらこのようになりました」と言うことができるはずだ。

すでにHCDという言葉が使われはじめて20年近くが経過している。HCD-Netが設立されてから数えても15年が経過しているので、HCDを適用した事例、たとえばサイト改善の事例はこれまでに十分すぎるほど溜まっているはずである。したがって、ほんとうにHCDが有効であったかどうかを具体的な事例を通して説明することは可能なはずだ。

しかし、残念なことに、現状では、そうした事例が共有されているとはいいがたい。HCD-Netのウェブサイトを見ても、HCDの普及をうながすような情報は多数掲載されているのに、HCDのエビデンスを紹介するコーナーはない。大変残念なことである。もはや、HCDの理念やアプローチを伝える時期から、エビデンスを提示し「そうか、そうだったのか。それなら適用しなきゃだめだな、損しちゃうし」と言わせるような時期に入ってきている筈だ。

もちろんU-Siteのこのエッセイで紹介できるなら喜んでしたいところだが、残念ながら筆者は現在、企業からの依頼作業を行っていないため、手元にはそうしたデータはない。HCD-Netでなくても良いから、どなたか志のある方々が、HCDの効果を示すエビデンスを公開してくださることを、強く期待している。そうした情報を企業機密と考える立場があるかもしれないが、むしろ同業他社に対する優位性をアピールする機会になるはずなので、ぜひ積極的に公開していただきたい。

なお、1,2個の事例だけを示すと、たまたまうまくいった例だけを持ってきたのでしょう、と見る向きが多いとも思う。だから、懐疑的な人々をも納得させられる程度の数、具体的には20か30くらいの事例をまとめ、コスト/ベネフィットを整理して提示していただけるとありがたい。そのようなスタンスで活動するのに最適な組織は、やはりHCD-Netだと思うので、ぜひ関係者には御一考をお願いしたい。

注記

なお、筆者はHCDよりもUCDという表現を使うようにしているが、本稿ではISO規格の話やHCD-Netに言及することがあったため、HCDという表現を使ったことをお断りしておく。

編集部注

HCDの効果を示すエビデンスとは少し異なるかもしれませんが、HCD-Netでは、HCD活動における共有価値の高いナレッジ・ノウハウを表彰する「HCDアウォード」が毎年開催されています。「HCDアウォード表彰制度」のページでは、受賞作品などが年ごとに紹介されています。