改めて経験工学を
2. 等価性にもとづく工学

設計担当者が切り出した目標達成には提供可能性というバイアスがかかり、ユーザ当人もそうした制約条件を無意識的に自分に課している可能性がある。近未来の開発につなげるには、そういった制約条件を頭から排除して、ユーザの目標をじっくり分析し、それを実現しうる等価な人工物を考えることが必要なのだ。

ユーザ工学から経験工学へ

僕はこれまでユーザとしての主体の経験を重視したものづくりやことづくりのあり方を重視し、それをユーザ工学と呼んでいた。HCDやUCDという言葉を使ってこなかったのは、ひとつには設計やデザインという範囲に留まらない視野の拡大が必要だと考えていたからだ。特に多様な特性をもつユーザが、多様な利用状況のなかで、製品やサービスに対して金銭を支払った後の長期間にわたる利用時に経験すること、つまりユーザの内的経験としてのUXを重視したかったからである。

しかし、検討対象を製品やサービスに限定せず、世の中の仕組み全体に広げ、人間の経験することをより良いものにしていくためにどうしたらいいかを考える枠組みとして、ユーザ工学という概念はいささか狭いものだった。

そこで、経験全般を対象にする工学として経験工学という立場を措定することにした。放送大学研究年報(2017.4刊行)に掲載する論文で、そのことについて述べている。そこでは、社会的なできごとを主に取り上げて、そうした問題にもユーザ工学のようなアプローチが必要だろうと述べたのだが、まだ近未来の開発につなげる工学的視点は十分ではなかった。

ただし、素朴に目標を設定してその達成を目指すのではなく、経験という内面的な視点から人間の行っている活動を見直し、目標概念を再検討するというスタンスは、今後も継承していくべきものだと思っている。

目標達成の等価性とは

すでに述べたように、人間の行動は設定した目標を達成しようとして行われるものだが、僕はその際の内面的な主観的経験にもっと焦点化すべきであると考える。外部から観察すればエラーを犯すこともなく短時間で目標に到達できたから良かったではないか、と思われても、当人の主観的満足感はそれほどでもない、ということがある。そのために設計の開発を振り返り、どのような要素を考慮すべきだったかを考える、というアプローチが現在利用されているシナリオやジャーニーマップなどの取り組み方だと思う。しかし、それ以上に重要なのは、設定された目標がそもそも当人にとって本当に目標といえるものだったのか、それともその一部を提供可能な人工物にあわせて切り出したものであったか、そして目標達成時にユーザの内的経験はどんなものだっかのかという点だ。

人工物進化学の視点からすれば、人間の抱く自然な目標は単線的なものではなく複合的なもののこともあるし、経験工学の広い視野からすれば、入手可能な人工物だけでなく、社会的制約条件などのため現在は実現不可能と思われることも含めて目標のことを綿密に調べる必要がある。

いいかえれば設計担当者が切り出した目標達成には提供可能性というバイアスがかかっている可能性があるし、ユーザ当人ですらそうした制約条件を無意識のうちに自分に課してしまっている可能性があるのだ。

すなわち、そうした制約なしに目標というものを考え、それがどのような人工物によって現在以上の水準で達成可能であるかを虚心に考えることが必要なのだ。制約条件を頭から排除したうえで、あらためて目標について考えること、つまり制約条件を取り払って等価な人工物を複数考えてゆくことが必要なのではないかと考える。複合的かもしれないし大きな話すぎるかもしれないし、まだぼんやりとしているかもしれないが、ともかくそうした状態でのユーザの目標というものをじっくり分析し、それを実現しうる等価な人工物を考えることが必要だといえる。それは開発者だけでなくユーザ自身にとっても必要な態度である。

兆し

たとえば自動車が売れなくなったといわれて久しい。それに対して、乗用車を利用する様々なシチュエーションを考え、車載容量を増やしてみたり、センターピラーを外してみたり、豪華さを売りにしてみたり、と自動車会社は様々な工夫を試みているがなかなか販売台数は増加しない。しかしその一方で、近年、カーシェアリングがじわじわと増加する動きを見せている(たとえば、大和総研グループのコラム「普及するカーシェアリング)。

従来からレンタカーという仕組みは存在していたが、最短の利用時間が6時間とか8時間という具合に比較的長い時間に設定されていて、1,2時間という短時間での利用には料金が割高になるというデメリットがあった。そこで短時間の利用にはシェアリングが便利であるという認識が浸透していった。月に1,2回といった週末のドライブや、大きな荷物の運搬などにはレンタカーを利用すれば良い。そうすれば乗用車を保有する必要性はぐんと低くなる。

当然レンタカー会社も短時間利用向けのプランを作るだろうし、シェアリングには利用したい日時が重複してしまうというデメリットもありうるから、今のままでシェアリングが伸びてゆくとは考えにくい。

しかし、ここで重要なのは、自家用車を利用するという目標の達成のあり方を考えるときに、車を保有することと等価な手段としてのシェアリングがありうることがわかり、さらにそれぞれが得失をもっていることがわかり、その得失に対するメンタルな計算の結果、シェアリングが選択される場合がでてきたということである。いいかえれば、製造業としての自動車産業がサービス業としてのシェアリングと天秤にかけられる事態が生じたのである。これは産業構造の変革につながりうる、新たな兆しといえるだろう。

公開:2017年4月18日
著者:黒須教授

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