HCD-Netのこの10年

HCD-Net(人間中心設計推進機構)設立後、それを取り巻く状況には、ウェブユーザビリティの隆盛と、ユーザビリティからUXへのシフトという、大きな変動が起こった。2015年で10周年を迎える今、HCD-Netの成立とその後を振り返ってみる。

  • 黒須教授
  • 2015年5月27日

韓国政府の補助を得て、同国でもHCDに関する資格認定制度を作ろうという考えがあるということで、先日、韓国の関係者のヒアリングを受けた。そこでHCD-Netの資格認定制度を説明するなかで、まずHCD-Net(人間中心設計推進機構)のようなベースになる組織がある必要性を説いた。振り返ってみればHCD-Netは2015年で10周年を迎える。そこで設立当時の資料などを探して、その成立とその後を振り返ってみることにした。

HCD-Netの設立

具体的には2004年3月に設立準備委員会が発足し、9月に設立総会を行い、翌2005年1月にNPOとしての認証を受け、各官庁の届け出を行って組織として成立している。ただ、設立の中心メンバーは1995(1994?)年度から2004年度まで開催されていたヒューマンインタフェース学会(2005年9月に学会として独立するまでは計測自動制御学会のヒューマンインタフェース部会)のユーザビリティ専門研究会として活動してきた実績があり、その研究会参加メンバーの多くに新規発起人が加わってのスタートであった。。

結局、ユーザビリティ専門研究会は廃止となったのだが、その後も、ヒューマンインタフェース学会には「インタラクションのデザインと評価」専門研究委員会(SIG-DE)ができ、その全国大会であるシンポジウムでは複数トラックでユーザビリティ関連の発表がなされていることから、ユーザビリティというテーマが日本のヒューマンインタフェース関係者にとって重要な中心領域の一つであることがわかる。

さらに遡って、日本においてユーザビリティ研究が活性化した切っ掛けを考えてみると、ISO 13407 (1999)の成立とJIS Z 8530 (2000)の発効が大きな役割を果たしたといえるだろう。HCD-Netが人間中心設計という、当時はまだ目新しい表現を組織名に付けたのも、ISO 13407に影響されてのことである。名称については、当初「日本ユーザビリティ推進センター」という案があったが、HCDにしたことは結果的に良かったと思っている。ともかく、こうした基礎があってこそのHCD-Netの成立であった。こうした点は韓国の人たちにも良く理解していただく必要がある。

設立当時のメンバー構成は、企業におけるユーザビリティ担当者、人間工学の専門家、テクニカルコミュニケーションの専門家、デザイナーといった人たちであり、現在でもそうだがコンピュータサイエンス(いわゆるHCI)の専門家は数少なかった。また企業における実践家が多く、アカデミアや行政サイドの人々が少なかったのも特徴的であった。

HCD-Netの変貌

その後、HCD-Netを取り巻く状況には大きな変動が二つ起こった。一つはウェブユーザビリティの隆盛であり、もう一つはユーザビリティからUXへのシフトである。

ウェブユーザビリティの隆盛は、HCD-Netの成立した時点とほぼ同期していたと言っていいだろう。どちらかというとプロダクトを対象にしたデザイン関係者などが多かったHCD-Netに、ウェブ関係者の比率が徐々に増えてきたのも設立当初から見られた傾向であった。結局、ウェブユーザビリティの隆盛が、ユーザビリティという概念の重要性を世間に認識させる役割を果たしてくれたので、HCD-Netは幸運な時期に立ち上がった、ということもできるだろう。

ユーザビリティからUXへのシフトは、目新しい概念の好きな人たち(ポジティブにはイノベータと言うべきだろう)が「ユーザビリティはもう古い、これからはUXだ」と言うことによって、その普及に拍車がかかった。ただ、ずっとISO 13407をベースにしていたHCD-Netでは、UXの位置づけについて苦労したのも事実である。ISO 9241-210が出てくるまでは、独自の解釈が乱立する状況となっていた。ISO 9241-210も、ようやくJIS化への動きがでてきた現在であるが、そうした混乱状況を収める力を持っているようには思えない。HCD-Netの中では、その状況に対して、HCD-Netとしての標準を提示しようという考えもあったが、結果的には、中心メンバー(主に理事)の各々がそれなりの解釈をもって並存している状態である。

もう一つ、大きな変化はHCD-Netの内部で起きた。それは専門家認定制度である。この切っ掛けを与えてくれたのは、2008年度の内閣官房における電子政府のユーザビリティの欠落に関する委員会だった。そこではユーザビリティ専門家の必要性が重要とされたが、そもそも公的な性格をもったユーザビリティ専門家が存在しないのなら、自分たちでその資格を制度化しよう、となったのである。人間中心設計専門家のコンピタンスとは何かという議論や、どのような審査方法が適切かという議論が積み重ねられ、2009年度から認証活動はスタートした。認定された専門家の年間維持費とHCD-Netの年会費を同じくし、HCD-Net会員であれば維持費を払う必要がない、というアクティビティモデル(ビジネスモデルと言っても良いのだが、HCD-Netは非営利法人なのでこう呼ぶことにする)が成功を収め、HCD-Netの会員数は当初の160人程度から600人以上(2014年度の認定数を含まない)にまで成長した。

HCD-Netの今後

設立から10年を数え、HCD-Netはいろいろな面で様変わりをした。ウェブやUXの隆盛によってデザイン関係者の比率が増え、マーケティング部門の人たちも参入してくるようになった。当初心配された人間工学会の資格制度との混同も、それなりに整理されてきたように思う。つまり、これまでの「成長」の10年間を第一期とすれば、これからの10年間は「維持・拡大」であり、同時にそのスケールサイズに見合った活動内容の充実である。

細かいことを列挙すれば、ウェブサイトはまだ使い易いとは言えないし、十分に活用されているとも言えない。またサロンや講習会などのイベントは数多く実施しているのだが、キャパシティの問題から参加したくても参加できない会員が増えてきている。かなりの企業にユーザビリティやUXという概念は流布したように思えるが、まだ設計などの現場にきちんと浸透したとは言えないままである。

人にはそれぞれの得意な分野がある。革命家として成功した人間が政治家として成功するとは限らない。これまでの10年間、かろうじて機構長や理事長を務めてきたものの、もうこれからは他の適任者に交代してもらうべきだろうと考えたのはそうした理由からである。もとUPAであったUXPAのアクティビティモデルは必ずしも成功しているとは言えないが、見習うべき点は多々ある。そうした先行事例などをよく見て、今後も適切な運営に心がけてもらいたいと考えている。