HCDはイノベーションを生み出せるか 1 of 4
現在のバズワードのひとつにイノベーションがある。イノベーションという概念を再定義して、世の中にポジティブな動機付けを広めたのは、経済学者のシュンペーターである。当初、彼はイノベーションという代わりに「新結合」という表現を使っていた。
イノベーションの流行
現在のバズワード(流行り言葉)のひとつにイノベーションがある。それに関連して、デザイン思考、IDEO、d-school、アブダクション(編注: 仮説的推論)、感性工学などが語られている。一昔前なら、水平思考とか、ファジーとか、カタストロフ理論などが、関連して語られていたところだ。イノベーションに縁が薄い人達は、こぞってそうしたビジネス書を読んでいる。要するに、一種の魔法としてイノベーションというキーワードに惹かれてしまうのだろう。そうした本の累積の売り上げを想像すると、なんとも忌々しい感じがする。(もちろん、そこには、そんな本を読むくらいなら、もっとまともな本を買って欲しいという、筆者のひがみも含まれている)。
そして、その火の手はとうとうHCDにまで及んできて、HCDがイノベーションに有効であるか否かが論じられるようになってしまった。先日、HCD-Netのイベントで、それをテーマにした場があったので、ひとくさり論じてきたところだ。
イノベーションという概念とシュンペーター
そもそもイノベーションという概念を再定義して世の中に普及させ、世の中にポジティブな動機付けを広めたこと自体が最初のイノベーションともいえるのだが、それをやったのはよく知られているように、現在のチェコに生まれた経済学者のシュンペーター(Schumpeter, J.A. 1883-1950)である。
当初、彼はイノベーションという代わりに「新結合」という表現を使っていた。『経済発展の理論』第二版(1926)において、彼はまずその前提を次のように述べている(塩野谷祐一他訳 1977)。
「経済という生命もまた同様な変化を経験するが…純粋に経済的-『体系内部的』-なものでありながら、連続的にはおこなわれず、その枠や慣行の軌道そのものを変更し、『循環』からは理解できないような他の種類の変動を経験する。このような種類の変動およびその結果として生ずる現象こそわれわれの問題設定の対象となるものである」
いいかえれば、「同一の均衡状態に向かう傾向としてとらえるものではない」というように、まったく循環的に同じ均衡状態に留まることは、生命体としての経済にとっては発展のない循環状態であり、彼は経済活動が目指すべきものとはしていないのだ。本書の第一章に書かれた循環状態にある経済は、第二章に書かれた発展状態にある経済とは異なり、ある意味ではミニマリズムやサステイナブルな社会を論じる人達が理想と考えるものに近いのかもしれない。
それはともかく、次に彼は新結合という概念を導入する。
「生産をするということは、われわれの利用しうるいろいろな物や力を結合することである。生産物および生産方式の変更とは、これらの物や力の結合を変更することである」
さらに
「新結合が非連続的にのみ現れることができ、また事実そのように現れる限り、発展に特有な現象が成立するのである」
と書いている。このように、彼にとっての新結合(イノベーション)とは、経済が、そしてその波及効果がおよぶ世の中のすべてのことが「生きて」いくためには、不断の新結合が必要だ、という考え方である。
ただ、この新結合という言葉は、ドイツ語ではneuer Kombinationenで、英語でいえば文字通りnew combinationであり、したがって新結合という訳は正しい。しかし、結合というのは普通、既存の要素があり、それがつながることを意味している。その意味では、既存のものの繋がり方を変えればそれでいいのか、それでイノベーションといえるのかという疑問はでてくる。新しい要素を創造することは彼の新結合の概念には含まれていないのだろうか。もちろん分子やその活動のレベルで考えれば、新しい結合により、新概念や新システムや新製品が創造されることも新結合といっていいのだが、彼が分子レベルのことを考えていたのかどうかは分からないし、まあどうでもいいことだろう。
目次
- HCDはイノベーションを生み出せるか 1 of 4(本稿)
- HCDはイノベーションを生み出せるか 2 of 4
- HCDはイノベーションを生み出せるか 3 of 4
- HCDはイノベーションを生み出せるか 4 of 4