HCDはイノベーションを生み出せるか 4 of 4
イノベーションには事業的イノベーションと技術的イノベーションがあるが、前者を抜きにして後者だけで全体的なイノベーションを成功させることは難しい。HCDやデザイン思考は、後者に関して、それを少なくとも改善のレベルで成功させることには関係している。
(「HCDはイノベーションを生み出せるか 3 of 4」からの続き)
シュンペーターとドラッカーに学ぶべきこと
前回ドラッカーについて書いた内容を振り返ると、イノベーションの条件として重要なことは、発明発見よりも、いかに企業組織の内外における機会を逃さずに利用したり運用したりすることができるかというマネージメントの問題のように思える。事実、彼も「アイデアはイノベーションの機会としてはリスクが大きい」とか「アイデアによるイノベーションのうち、いずれに成功のチャンスがあるか、いずれに失敗の危険があるかは誰にもわからない」と書いている。
さて、そうなると、HCDがイノベーションを生み出せるか、という問いかけの妥当性、ないしは曖昧さがそもそも問題にされるべきだといえるのではないだろうか。HCDの分野で活動している人達が、イノベーションという言葉にどのようなニュアンスを込めて語っているのかは定かではないが、たとえばKA法を適用することによって生活者の価値観を発掘し、そこから新規な製品やサービスのアイデアを生み出す、というようなことをイノベーションとして言っているのであれば、少なくともシュンペーターやドラッカーとは(もし彼らが生きていたとして)話が合わないだろう。逆にお説教を食らってしまうかもしれない。更に言えば、いろいろな発想法の類も、アイデアを生成するのには有効だが、それがイノベーションにつながるには、シュンペーターやドラッカーが言及している組織の内外の条件を見極めた適切なマネージメントが企業家によって行われなければならないだろう。
でも、というご意見に
「いや、それでも革新的な技術が世の中を変えた例はいくつもあるでしょう」と言われるかもしれない。たしかにそう見えるケースは結構ある。いいかえれば、奥出直人の『デザイン思考の道具箱』(2007)のように「イノベーションには、開発における成功と商業化における成功という二つの課題がある」と考える方がバランスが取れているのかもしれない。
さらには「シュンペーターもドラッカーも昔の人じゃないか」という意見もありそうだ。しかし「だから、現代では技術的イノベーションが世の中を牽引していくんだ」という言い方になると、いやちょっと待て、といいたくなる。僕の頭に染み込んでいる「温故知新」というテーゼが頭をもたげてくるのだ。デザイン思考に焦点を当てた著作の中でも、奥出は最後の部分でシュンペーターの話を持ち出して来ているではないか。
そこで、技術革新の意味合いでのイノベーションに話を限定するなら、奥出が示唆しているように、そこには、改善型イノベーション、デザイン駆動型イノベーション、ラディカルイノベーションという3つのイノベーションを区別することができるだろう。以下に、それぞれについて少しずつコメントしたい。
改善型イノベーション
改善型イノベーションというのは、特にイノベーションを付けずにシンプルに改善と言ってもいいだろう。ただ、これはKAIZENとして海外にも知られた日本の技術的スタンスであり、「改善なんて小さい、小さい」と馬鹿にしたものではない。これは、既存の人工物をより良くすることであり、この話になれば、ようやくHCDとの接点が見えてくる。たしかに新しい市場を開拓することには繋がりにくいが、最近流行りのワークショップなんかででてくる実現性のあるアイデアは、大方この部類に属するといえる。それでも地道な努力によって、じわじわと改善を行うことはとても重要だと、僕は思っている。
デザイン駆動型イノベーション
次のデザイン駆動型イノベーションというのは、新たな技術開発によって新たな製品やサービスを市場に投入することである。そのためにはd-schoolのアプローチやIDEOのやっていることなどは参考になるだろうが、これは徹底したUX調査と優れた洞察を含んだHCDやデザイン思考などの拡張によってはじめて可能になるといえるだろう。それが事業的にも成功すれば、それは既存の人工物と並存するような新しい市場を開拓することにつながるだろう。
ただ、奥出が書いているようなフィールドワークやコンテクスチュアルデザイン(彼はコンテキストデザインとしている)やプロトタイピングという手法だけでは、デザイン駆動型イノベーションにするのは難しいだろう。それらは基本的には改善の手法である。iPodもシアトルスタイルカフェもマクドナルドも、それをデザイン駆動型イノベーションとカテゴライズすることはできるが、そのアイデアや着想は、まず優れた洞察力の所産である必要があるし、さらにはそれを活かす事業化のためのイノベーションが伴わなければならない。なまじのHCDやデザイン思考で達成できるものだとは僕は考えない。特に技術的イノベーションだけでは絶対に無理である。
ラディカルイノベーション
三つ目のラディカルイノベーションだが、僕は、これは天才の領域に属するものだと思っている。またそうであるから、企業的技術管理の中から生み出せる技術的イノベーションではないとも思っている。天才は企業的に管理できるものではない、と考えているからだ。ブッシュによるMemex、エンゲルバートによるマウス、ケイによるノートパソコン、ザッカーバーグによるフェイスブックなどは、概念を提示した人とそれを事業家した人が別であるか、あるいはそれこそ起業家によって普及したものだ。アップルもマイクロソフトも大企業の一部門から生まれたものではなく、ガレージの中から生まれ育った企業である。したがって、既存の製品やサービスを駆逐して、世の中を一新してしまうようなラディカルイノベーションは、HCDやデザイン思考とは別レベルの話だと考えている。
この連載のまとめ
最後にこの連載をまとめると、イノベーションには事業的イノベーションと(多くの場合、その一部としての)技術的イノベーションがあるが、前者を抜きにして後者だけで全体的なイノベーションを成功させることは難しい。そして、HCDやデザイン思考は、後者に関して、それを少なくとも改善のレベルで成功させることには関係している、ということになる。
目次
- HCDはイノベーションを生み出せるか 1 of 4
- HCDはイノベーションを生み出せるか 2 of 4
- HCDはイノベーションを生み出せるか 3 of 4
- HCDはイノベーションを生み出せるか 4 of 4(本稿)