改めて「デザイン思考」を考える

デザイン思考というキーワードが、現在のビジネス界のバズワードのひとつになっている。言葉というのは、その意味が拡散するにつれ、何でもありの世界に入っていってしまうが、ここは一つ、当初の概念に立ち戻り、それが何だったのかを考え直すようにしたい。

バズワード

流行というものは、それが登場してきた時の新奇性によって人々を興奮させる。もちろん新奇なものなら何でも流行するわけではなく、タイミングや状況、そして当のモノの質にもよる。そうした淘汰の段階を経て流行となったものは、しかしながら数年から長くても十年ほどで新しい流行に取って代わられる。これが流行という現象だ。

デザイン思考というキーワードは、こうした点で現在のビジネス界のバズワードのひとつになっている。UXもバズワードのひとつだったが、今やかなり拡散してしまい、バズワードの戦列から離脱しつつあるようにも見える。

UXもそうだったが、バズワードの多くは明確な定義を欠く。特にビジネス分野で用いられ始めると、多くの人が勝手な使い方をするようになるから、それも必定である。デザイン思考も同様で、一部のまじめな人達が定義を試みてはいるが、それでも「流行っているけど、なんだか良くわからない」と愚痴をこぼす人たちが圧倒的に多い。そこで今回は、デザイン思考という言葉について改めて考えてみることにする。

訳語としてのデザイン思考

もちろんデザイン思考はdesign thinkingの訳である。しかし、この訳語を作った人がどれだけ深く考えて「デザイン思考」という表現をとったのか、そのあたりに疑問を感じる。

design thinkingという概念の初期の経緯についてはWikipediaに詳しく書いてあるが、1987年にPeter Roweが『Design Thinking』(Reprint: MIT Press)を出版した時、その訳者は『デザインの思考過程』(奥山健二訳、鹿島出版会 1990)という訳語を使った。現在、Wikipediaに掲載されている「デザイナーがデザインを行う過程で用いる特有の認知的活動を指す言葉」という定義は、それに近いモノになっている。

この考え方は、1996年にTerry Winogradが『Bringing Design to Software』(ACM Press)(『ソフトウェアの達人たち-認知科学からのアプローチ』瀧口範子訳、ピアソンエデュケーション 2002)で指摘しているものと軌を一にしている。彼は、この本で、デザイナー特有のユーザに対する接近法、ユーザを中心としたデザインアプローチの重要性を、特にソフトウェア開発者に向けて発信した。

このような流れを考慮すると、当初は、「デザイナー特有の、ユーザやその人工物の利用状況への取り組み方を、すべての人工物の開発において技術者も取り入れていこう」という趣旨であったといえる。そしてアブダクション(編注: 仮説的推論)やアナロジーなどが注目されるようになった。

次に、design thinkingを「デザイン思考」と訳すのが適切かどうかについて考えたい。これは訳語の問題ではあるが、そもそもどのような意味をもってdesign thinkingが提起されたのかという問題に関わることであり、原語の意味を問うことでもある。さて、たとえばvisual thinkingは「視覚的思考」という訳でいいだろう。visualは形容詞だからだし、訳語にも「的」と付いているからだ。しかしdesignという単語には形容詞の意味はない。したがって、デザイン的思考とするのもおかしいし、「の」でも若干意味不明瞭である。designには動詞の意味もあるが、thinkingをdesignする、ではちょっと趣旨がずれるだろう。だから僕は「における」がいいと思っている。

そしてthinkingである。ingが付いているから現在分詞か動名詞である。現在分詞だと考えるとdesignがthinkingしているという変な意味になるから、やはり動名詞であろう。つまり考えることとか考え方という意味になる。

これをまとめると、design thinkingは「デザインにおける思考法」とか「デザインにおける考え方」ということになり、デザイナーの行っている認知的実践の特徴を意味しているのである。「ああ、そういうことだとすれば分かる気がする」とすっきりした方もいるのではないだろうか。「デザイン思考」などという中途半端な訳語よりはずっと明確な表現だと思う。そしてその特徴は、ユーザに密着しようとする態度と、アブダクションのような思考法にある、と言われると、ああそうか、と思えるだろう。

さて、今からでも遅くない。「デザインにおける思考法」という訳語を使うようにしようではないか。考える主体を重視するなら「デザイナー的思考法」でもいいだろう。ともかく「デザイン思考」では訳がわからない。

デザインプロセスとして

ところが、この話がビジネスに入ってきたあたりから、更にややこしい状況がでてきた。初期のdesign thinkingは「デザインにおける思考法」と訳してもいいものだったのだが、Stanford大学にd.schoolができて前述のWinograd等が活躍し、IDEO (Tim Brown, Tom Kelly)でもdesign thinkingが注目されるようになると、デザインのプロセスが問題になってきた。ここでHCDの枠組みやPDCAやPDSAという既存の考え方を使ってくれればシンプルに済んだのだが、それなりの独自性を表現したかったためか、またもう一つ、新しいプロセスモデルが提示されてしまった。

Stanford大学のd.schoolが提示した、design thinkingのプロセスモデル(出典)。
Empathize、Define、Ideate、Prototype、Test(共感、問題定義、創造、プロトタイプ、テスト)の5つから構成される。

それが、empathize, define, ideate, prototype, test(編注: 共感、問題定義、創造、プロトタイプ、テスト)というd.schoolのモデルである。このプロセスモデルは、実際のところ、HCDやPDCAなどのプロセスモデルと大差がない。それなのに新しい言葉が使われるようになったから、混乱がさらに広まったのである。改めて言っておくとdesign thinkingのコアはプロセスではない。コアはあくまでも「思考法」であり、それが重要になる初期フェーズを強調するためにプロセスモデルが導入されたのだ。PDCAと比較してみれば、Pに該当するところにempathize, define, ideateと3つが含まれていることがその証拠であることが分かるだろう。

このような形で、design thinkingは、「『デザインにおける思考法』を重視した設計プロセス」ということになり、さらには、「『「デザインにおける思考法」を重視した設計プロセス』によってクリエイティブな発想にもどいたイノベーションを目指したアプローチ」のことを意味するようになった。こうして、概念の拡張と、その結果としての意味の拡散が始まった。そして、クリエイティブなデザインアプローチやイノベーションのことがdesign thinkingと同義に扱われるようになり、当初の思考法や考え方の部分が忘れられがちになってしまった、とすらいえる。

もちろんクリエイティビティやイノベーションは、それなりに重要なことだし、そのために「デザインにおける思考法」を重視することも有用である。ただ、言葉というのは、その意味が拡散するにつれ、何でもありの世界に入っていってしまう傾向がある。ここは一つ、「デザインにおける思考法」という概念に立ち戻り、それが何だったのかを考え直すようにしたいものだ。

公開:2016年5月19日
著者:黒須教授

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