マイナンバー制度はどこまで拡がるべきか
近年はプライバシー侵害への警戒感が強まってきている。現在マイナンバーにリンクされている情報についても、誰に開示されているか、誰が利用可能なのかが問題である。
普及への道のり
マイナンバー制度は2013年に法制化され、2015年に番号付与が開始されて全住民に12桁の個人番号が割り当てられた。2016年にはそれをICチップに収めたマイナンバーカードの交付が始まったが、このカードは当初は十分に普及するに至らなかった。行政サービスを一元化するマイナポータルは2017年にスタートしたが、それでも利用者数は伸びなかった。しかし、2020年と2022年に行われたマイナポイントのそれぞれ最大5,000円分と20,000円分の還元により、ようやくカードが普及するようになった。
2021年にはカードと健康保険証との一体化がスタートし、2024年には従来の健康保険証の新規発行停止が決定し、2025年になるとカードと運転免許証との連携も開始されるようになり、また2023年にはカード機能のスマホ搭載も可能になった。ただ2025年3月末時点でも、カードの普及率はまだ78.3%程度にとどまっているという。これが今日までのざっとした経緯である。
国民総背番号制への反発
ところで、国民ひとりひとりに異なる番号を割り当てて、個人の所得を正確に把握して行政活動の効率化を図ろうという考え方は1968年に「共通番号制度」として佐藤栄作内閣によって提起された。その発想は合理的なものであったといえるが、終戦からまだ20年少々しかたっていない当時は、戦前や戦中の国家による軍国主義的な管理国家のイメージが完全には払しょくされていなかったためか、感情的な反発を感じる国民も多く、「自分という存在を番号で管理されてたまるか」といった空気が国内に広がっていた。この空気感は、戦前派や戦中派に特に強く、ある意味でその世代特有のものだったともいえる。
その意味では、世代交代が進行した現在では、そのようなネガティブな感情的反発は少なくなったと考えてよいだろう。しかし、その反対に現在はネット社会ならではの不安感が高くなってきているといえる。特に近年はプライバシー侵害への警戒感が強まってきており、近所づきあいという形での以前の地縁的情報共有のあり方が、ネット上でのバーチャルな空間的情報共有へと変化してきている。言い換えれば、物理的距離感のとらえにくい範囲の不特定多数の人々による情報摂取とその利用という形に変化してきており、そういう状況において自己防御の本能が敏感にならざるを得ない時代であるということができる。
個人情報の安全性
そうした状況のなかで、保護されねばならないプライバシーというのはどのようなものなのだろうか、そしてマイナンバーないしマイナカードはその中でどのような位置づけになるのだろうか。
プライベートな情報というと、まず考えられるのが、氏名、住所、性別、年齢といったデモグラフィック情報だろう。これらが流出することによって困るのは、たとえば芸能人やYouTuberなどの住所が特定されることにより、熱狂的なファンなどが押し寄せたりすることなどが考えられる。一般人の場合であれば、それほどのことはないだろうが、しかしストーカーのような人物に住所を知られることを不安に思う人はいるだろう。もちろん戸籍名と通名が異なっている場合には、多少、可能性は低くなるだろうが全く安全というわけでもない。これらは名前から住所が特定された場合の話であるが、マイナンバーカードにはその両方が記載されている。さらに誕生日、性別も記載されており、写真まで載っている。だから、カードの紛失に対してはかなり神経質になっておく必要があるだろう。
その他の個人情報として、マイナカードにリンクされているものとして健康保険情報や運転免許情報がある。ただし、カード券面にはそれらの番号は印刷されておらず、それを確認するためにはマイナポータルにログインするなどの操作が必要になり、その際には暗証番号が必要になるため、紛失したというだけでは、カードにリンクされているそれらの情報が悪用される心配は少ない。反対に、メリットとしてはカード枚数が減るというだけでなく、住所変更などが一度で済むという点がある。
利用範囲拡張の危険性
現在マイナンバーにリンクされている情報についても、誰に開示されているか、誰が利用可能なのかが問題である。問題となるのは悪意、あるいは当人の意図とは異なる目的や考え方を持った人が利用してしまう場合だろう。それは個人の場合もあれば、組織の場合もある。
特に組織の場合、それが国家だった場合には、適用範囲が拡張された場合には、別格の恐怖が伴ってくるだろう。たとえば、マイナンバーに、銀行の口座情報、クレジットカードの利用状況、SUICAやETCのような位置情報などがリンクされるとしたら、どこの誰がどこにいって何をしたのかという行動情報が丸見えになってしまうことになる。全国に張り巡らされたカメラからの画像情報がマイナカードに掲載されている画像情報とマッチングされれば、個人は容易に特定されてしまう。まさにオーウェルが「1984年」で描いた世界そのままになってしまうだろう。UXという言葉を使うなら、これはマイナンバーシステムの利用経験として最悪にものになってしまう。
その未来に対してどう対処できるか
もちろん為政者が国民のことを考え、国民のために行動するような人物であればいいのだが、歴史の示すように、往々にして為政者は支配者となりたがる。そして利用できる手段をフル活用して支配を進めようとする。
こうした未来を招かないためには、銀行の口座情報、クレジットカードの利用状況、SUICAやETCのような移動情報などを含めた情報の極端な一元化について、その表面的な利便性に浮かされてしまうことなく、そのデメリットの可能性を自覚して、システムの肥大化を防ぐしかないだろう。法的に強制されるのでなければ、まずはデメリットを考えて登録をしないでおくのが一番といえるのではないだろうか。