グランドチャレンジ(4):
HCIIの考え 2/2

HCIIのステファニディスは、HCIがこれから取り組んで行くべきことについて、学会として新たな枠組みを構築しようと考え、各学会の議長たちに呼びかけて、IJHCIの論文という形にまとめた。本稿では、その内容をベースにして、その骨子を紹介したい。

(「グランドチャレンジ(3): HCIIの考え 1/2」からのつづき)

HCII (Human Computer Interaction International)の総大会長のステファニディス(Stephanidis, C.)は、HCIがこれから取り組んで行くべきことについて、学会として新たな枠組みを構築しようと考え、各学会の議長たちに呼びかけてブレインストーミングが行われ、2019年7月にIJHCI (International Journal of Human Computer Interaction)の論文という形にまとめた

ステファニディスは、ブレインストーミングで出た内容を7つの課題領域にまとめた。図1がそれを示している。それぞれの課題領域についての定義と理論的解釈とが表にまとめられている。

図
図1 7つの課題領域

本稿では、それを翻訳(意訳)しながら筆者のコメントを付けてゆくことにする。

7つの課題領域へのまとめ

ステファニディスは、ブレインストーミングで出た内容を7つの課題領域にまとめた。図1がそれを示している。それぞれの課題領域についての定義と理論的解釈とが表にまとめられているので、それを翻訳(意訳)しながら筆者のコメントを付けてゆくことにする。

1. 人間と技術の共生 (Human-Technology Symbiosis)

定義

人間が、これまでは言語理解や学習、推論、問題解決などの形で人間の行動や知性とつながりを持ってきた特性を、近いうちにさらに顕在化させるであろう技術と、どのようにしたら調和的に生きて行けるのかを定義すること。

理論的解釈

シームレスで透明なやり方で人間に協力する知的なエコシステム、すなわちスマートデバイスやサービス、材料、環境などから構成されるシステムの登場により、人間と技術という二つの相対する存在が共生を考え、定義し、最適化する必要がでてきた。

コメント

かつてリックライダー(Licklider, J.C.R.)は1960年に“Man-Computer Symbiosis”という論文を出し、形式化された問題の解決や意志決定などの分野で、ルーチンワークをこなす力を持ったコンピュータを活用することにより、知的な操作をより有効に処理することが出来ることになるだろうという予言を語っている。ただし、まだ当時のコンピュータは、真空管式のENIAC (1946)やEDVAC (1950)、UNIVAC-1 (1950)あたりでしかなく、トランジスタも使われておらず、ICを使ったIBM-360が出るのは1964年になってからのことである。したがって、「その程度の」コンピュータしかない当時に、それほどの予言ができたということは彼の慧眼を示すものといえる。

ただ、このNo.1「人間と技術の共生」は一般論であり、調和的な進歩を目指すという方向性を示しているだけである。また共生(symbiosis)という表現は魅力的なキーワードではあるが、あくまでも人間からの見方にすぎない点にも注意が必要だろう。自らの意志をもたず、(少なくとも当面は)その製造は人間の手によらざるを得ないコンピュータは、人間と同レベルのカウンターパートとは考えられない。要するに、ここで言われていることは、コンピュータをうまく組み込んだ社会をつくり、生活をしていこう、という提言だといえる。

2. 人間と環境のインタラクション (Human-Environment Interactions)

定義

人間と環境のインタラクションとは、単にひとつの人工物(であるコンピュータ)とのインタラクションのことを言っているのではなく、高度な対話性と知性を特徴とする包括的な技術のエコシステムである

理論的解釈

技術に関して豊富で自律的で知的な環境においては、インタラクションは気がつかないうちに行われるものとなり、しばしば物理的環境とデジタルな環境との間に介在する連続体のうちに隠されるようになる。そのため、こうした環境において人間のインタラクションを支援するという課題は新しい意味と挑戦とを持つことになる。

コメント

これまでの人工物は目に見える対象物だった。つまり、それと知ることのできる存在だった。だから、それを視認し、どのようなものであるかを意識し、能動的に操作することが当たり前だった。電灯のスイッチしかり、電子レンジしかり、パソコンもスマートフォンもそうであった。

しかし、たとえばセンサーライトが登場したあたりから状況は変わってきた。センサーライトは人間が「それ」と意識しなくても、ちゃんと定められたように動作する。それを設置しなかった人間にとって、その動作は不意打ちを食らわせるようなものですらある。それによって行為のイニシアチブは人間の手から環境の側に移行してしまった。センサーライトの場合、「ユーザ」はそれを設置した人間であり、照射される人間ではない。監視カメラもそうである。そのセンシングの対象となり被写体となった人間にとっては、撮影行為は隠されたインタラクションであり、気がつかないうちに行われる。

近い将来のHCIにおいては、こうしたシンプルな隠されたインタラクションはさらに複雑化し、ネットワークで連携し、そこにAIが関与してくるようになるだろう。その時、インタラクションの最適化とはどのようなことを言うのだろうか。これが2番目のテーマであり、さらに、3番目のテーマである倫理が注目すべき概念になってくる。

3. 倫理、プライバシー、セキュリティ (Ethics, Privacy and Security)

定義

倫理とは、行動を支配する道徳原理のことである。本論では、HCIの文脈で特定のデザイン活動を遂行する際に必要となる道徳原理について述べる。プライバシーとは、コンピュータシステムに保存されているどのようなデータが第三者に共有されても構わないかを決定するユーザの能力のことである。コンピューティングにおけるセキュリティとは、コンピュータシステムが提供するサービスが混乱したり方向を誤ったりすることだけでなく、ハードウェアやソフトウェア、電子化されたデータを盗まれたり損害を与えられたりすることからも、コンピュータシステムを保護することをいう。

理論的解釈

知的なシステムは、人権に奉仕したり、ユーザにとって価値のあることを提供したり、プライバシーやサイバーセキュリティを保証することによって、単に機能的な目標に到達したり技術的問題を処理したりすること以上の便益を人々にもたらす必要がある。倫理やプライバシー、信頼やセキュリティは、これまでにも技術との関連で重要な関心事であったが、技術的に拡張され、知的になった環境においてはさらに新しい次元を獲得することになったのだ。

コメント

倫理の問題は、この7つのグランドチャレンジの中に一貫して流れる重要な課題である。コンピュータパワーを誰が手にするか、誰の権限でどのような目的でどのような場面で使われるようになるか、ということとも関係している。その点ではNo.7として取り上げられているデモクラシーの問題とも関係する。そのように、倫理の問題は社会規範とも関係しており、社会の文化や伝統、宗教、思想体系などによっても扱いが異なってくる。その意味では、それに関連したプライバシーやセキュリティの問題も、どの範囲までのことを個人が権利を持ち、あるいは責任を持つのか、それとも社会の側が持つのかという問題であるし、それはコンピュータパワーの行使権、あるいはその利用能力を誰が持つのか、という話にもつながってくる。現代においては、特に社会主義体制、イスラム社会などにおける倫理的問題が顕在化しているが、それ以外にも南北問題に象徴される貧困の問題もコンピュータの利用機会と利用能力という点に関して重要である。

4. 幸福、健康、ユーダイモニア (Well-being, Health and Eudaimonia)

定義

健康とは、疾病や疾患が無いというだけでなく、身体的、精神的、社会的に完全に好ましい状態にあることをいう。幸福は健康や満足や成功という経験のことをいう。それは、精神的に健康であり、人生に高い満足を感じ、人生の意味や目的という感覚をもつことである。ユーダイモニアは、生涯にわたる客観的な繁栄によって特徴づけられ、道徳の実践や実用的な知恵、合理性によってもたらされる。

理論的解釈

医学の進歩と技術的な進展は、より有効で安価なやり方で健康的生活を送れるようにする。身体的健康だけでなく、技術は人間の幸福を増進するために利用することもできる。その幸福は、健康という面だけでなく、人生の目標充足(ユーダイモニア)による心理学的な幸福をも含んでいる。全般に、健康管理という面において技術は既に広く利用されているが、まだ解明されていない研究課題もある。さらに、技術が偏在している世界においては、どのようにすれば幸福や我々のユーダイモニアを増大させるに技術にはどのような役割があるのかという課題が生じている。

コメント

ユーダイモニア(エウダイモニア)は英語ではeudaimoniaだが、聞き慣れない単語である。ウィキペディアでも日本語版には掲載されていない。平凡社の『哲学事典』では、「幸福と訳される。もとの意味はそれぞれの個人の守護神ともいうべき良きダイモンに守られて仕合わせなこと」と書かれており、岩波の『哲学・思想事典』ではそれをギリシャ語として、英語のhappinessと同じものと扱っている。ここでwell-beingを幸福と訳したが、この単語には「幸福、福利、安寧」という意味があり(研究者 新英和大辞典)、これだけではhappinessとwell-beingは共に幸福ということになってしまう。英語で”happiness well-being difference”で検索すると、happinessは「仕合わせである質や状態」、well-beingは「存在の良好で満足すべき条件、健康やhappinessや繁栄によって特徴づけられる状態」となっていて、well-beingの方が上位の概念ということらしい。

それはともかく、とにかくポジティブな状態を実現するうえで技術を活用することができる、というのがこのNo.4のポイントである。健康についてHCIがどのように活用されうるかは、既にいろいろと活用もされているので理解しやすいだろう。1980年代には、感染症の診断を試みたMYCINというエキスパートシステムが試作された。その延長上にある自動診断や、外科手術で部位を三次元的に特定するためのVRの応用、インターネットを使った離島在住の患者に対する遠隔医療など、多様な活用が試みられている。また健康管理にはスマートウォッチが既に幅広く利用されており、トイレに排泄された尿から健康状態をモニターしようとする試みなども進められている。

論文のなかでは健康以外についてはあまり触れられていないのだが、現在、話者を特定できるまでのレベルに到達したスマートスピーカが、話者についての個人情報を記憶し、ユーザと記憶を共有し、前向きに話し合いができるようになったりしたら、独居老人などにとっては良い話し相手となることが考えられる。

5. アクセシビリティとユニバーサルアクセス (Accessibility and Universal Access)

定義

アクセシビリティは、障害を持った人々に適した製品や装置、サービス、環境を設計することである。ユニバーサルアクセスは、誰によっても、どこででも、何時でも利用できる情報社会技術(IST: Information Society Technology)のアクセシビリティとユーザビリティのことである。

理論的解釈

知的環境はアクセシビリティとユニバーサルアクセスにおける新たな挑戦課題をもたらした。それは技術の複雑さが増すことによって引き起こされるもので、情報や技術へのアクセスだけでなく、多様な日常的サービスや活動へのアクセスも含むため、そのインパクトは大きい。HCIは常に人間に焦点を当ててきたので、技術によって拡張された新たな環境では、障害者や高齢者を含む多様な人々の生活の質(QOL)を改善するために力が注がれることになる。アクセシビリティやユニバーサルアクセスはとくに新しい概念ではないが、加齢を重ねてゆく人々が増加することと技術が複雑さを増してゆくことを考えると、時宜に適ったというよりは、むしろ未来の社会の繁栄にとって中心的な重要性を持っているといえる。

コメント

この論文全体をとりまとめているステファニディスの専門はアクセシビリティなのだが、それを障害者に適した人工物の設計と限定してしまっている点にはいささか首を傾げる。僕の理解では、ペルソナの回に書いたように、「可能な限り多様なユーザ」のためのユーザビリティというもので、そこにはちょっとずれがあるようだ。

ともかく、視覚や聴覚の感覚機能の障害については、色覚を触覚によって感じさせようとするデバイスの開発や、テキストリーダーの実用化、手話の自動生成など、様々な試みが行われている。ただ、残念なことに、たとえば網膜に起因する色覚障害などはHCIでの対応は困難だろう。身体機能の障害についても、たとえば手足の補装具はHCIの技術によって新しいものが次々に開発されている。

ユニバーサルデザインには健常者も障害者も同じ物を利用できるようにするという共用品の考え方と、利用するデバイスは異なっても同じ目的を果たせるようにしようとする福祉機器の考え方とがあるが、後者の考え方についての近年の技術開発にはめざましいものがある。ただ、このあたりの話は従前から熱心に取り組まれてきたことであり、改めてグランドチャレンジとすべきかどうかについては疑問の余地がある。

6. 学習と創造性 (Learning and Creativity)

定義

学習とは、勉強したり、練習したり、教えられたり、何かを経験することによって知識や技能を身につける活動やプロセスのことをいう。創造性は、独創的で非凡なアイデアを生み出したり、新しいものや想像的なものを作り出す能力のことをいう。

理論的解釈

技術が成熟し続けるにつれて、人間の学習や創造性に関係したマルチモーダルな刺激を与えることで、個人の成長を促す新たな機会が登場した。それは、学習と知識創造を連携しておこなうことによって挑戦的な課題を解決するために、多様な背景や技術、関心を持った人たちが協働することによって可能になる。新しい技術は、新規開発された新世代の日常生活における技術の幅広さによって影響されているため、新たに登場した学習スタイルを支援できるポテンシャルを有している。それと同時に、技術がどのように学習の文脈に適用されるべきかという議論は、以前よりも時宜にかなったものになっている。つまり、そうした議論は、プライバシーや倫理という問題や、理論やモデルの学習や、教育学的な側面にまで拡大されうるからである。ともあれ、教育において技術が成功するかどうかは、その多くがHCIの問題に関係している。他方、人間の創造性はこれからの知的な時代において中心的な役割を果たすことが期待されており、それを養育するだけでなく、それがどのように支援されるべきかを探ることが重要である。

コメント

この理論的解釈では、抽象的なことしか語られていないが、単にプロジェクターやタブレット端末を教育に利用するというだけでなく、自然言語を中心にした対話とマルチメディアによる情報提示によって、さまざまなテーマが教育の場にもちこまれ、それが刺激となって人間の創造力が刺激されていくだろうことは予想に難くない。ブレインコンピューティングにまで話しが及ぶかどうかは不明だが、人間の能動性をベースにしたインタラクティブな教育環境は、教育についても、創造性の涵養についても有効であろう。

ただ、この問題も、従来から教育工学で議論されてきたものであり、筆者としては、もう少し具体的に展開しないとグランドチャレンジという呼び方には相応しくないように思う。

7. 社会組織とデモクラシー (Social Organization and Democracy)

定義

社会組織というのは集団内の関係が安定した構造を形成することであり、集団が円滑に機能するための基礎となるものである。デモクラシーとは、政治の一形式であり、そこで人々は自由に自分たちを統治し、人々に選ばれた人間が行政(または管理)を行ったり法律を作ったりする(または立法)力を与えられるものである。

理論的解釈

人間の生活がスマートな環境から多数の倫理的課題が発生するスマートな社会に変化していくにつれ、社会組織は何らかの支援を必要とするようになる。HCIの研究は、デモクラシーや平等、繁栄、安定が追求され保護されるような社会に向け、重要な社会的挑戦や環境的挑戦に関与することになる。未来の暗いシナリオについてはもちろん、我々が生活しているこの重要な時期において、HCI研究は、資源枯渇や気候変動、貧困や災害という重大な問題に挑戦する際に、どうやって人間を支援する技術を作り出せば良いか、という方向にすでに舵を切っている。社会的参加や社会正義、デモクラシーという理念は、この文脈において望まれているだけでなく、これからも活発に、そして体系的に追求され、達成されなければならない。

コメント

HCIの適用分野がついに社会組織やデモクラシーの問題にまで広がってきたな、というのが論文執筆前のブレインストーミングでの印象だった。すでにエストニアで実施されている電子投票は、そうした方向における一つのHCI的な試みである。ただ、現在のSNSでは、十分な議論が行われることが稀で、しばしば炎上という形になってしまう。投票は決議のひとつの方法だが、その前に十分な議論が行われなければならない。それがネット上でどこまで実施可能なのか、どのような形で実施すればいいのかについて、我々はもっと知恵を絞らなければならない。

他方、北朝鮮や中国のような統制社会において、権力をもった側が顔認証技術やAI、IoT技術を悪用して、従来以上に堅固な体制を作り上げてしまうことも考えられる。いや、それは北朝鮮や中国に限った話ではなく、アメリカや日本などを含めた先進諸国でも未来永劫に起きえないことだとはいえないだろう。そうした問題を防ぐには、HCI技術の進歩も必要だが、まずはポピュリズムになびかず、表面的な言葉の綾にだまされない、判断力と知性をもった国民を作り出すことが必要だ。それは、現在の教育工学が行っているような形ではない、新たな教育の枠組みを考えることにまでつながる。ユートピアの反対のディストピアについては、オーウェル、G.が『1984年』で予言したような社会がひとつの形態であるが、それを避けるためにも個人としての自覚をもった人々がICTを活用する社会を構築することが前提となる。

公開: 2019年8月28日
著者: 黒須教授