ユーザビリティの時代とUXの時代(1)
時代的変化によって、ユーザビリティの重要性だけを強調しすぎるのは世間の実態からずれている、というような認識が広まってきたように思われる。同時に2000年頃からUXというキーワードが流行するようになり、時代の関心はユーザビリティからUXへと遷移してきたようだ。
世代という視点
高齢者のユーザビリティを重視しようという視点は未だに生き残っているが、その内容についてはちょっと注意が必要だろう。たしかにユーザビリティ勃興期の1980年代は、8ビットや16ビットのパソコンやコンピュータチップを内蔵したオフィス機器や家電製品が出回り始めた時期で、1990年代になるとMicrosoft Officeも登場し、本格的にパソコン時代になった。新しいものに好奇心をいだいて、それらに手をだした若い世代の人々はすぐにそれらの機器を使いこなすようになったが、いわゆるラガードである「当時の」中高齢者は、ちょっと距離を置いていた。会社においては、部課長が手書き原稿を作成し、若い部下がそれをパソコンやワープロで清書するといった光景も見受けられた。
ヒューマンインタフェース学会で、多機能電話やビデオの予約機能について、ユーザビリティ実験が行われ、若年者と高齢者のスキルを比較する研究が発表されたのも、この時代である。そうした研究の結果、高齢者はハイテク弱者であり、彼らにも使いやすい情報機器を提供すべきである、という意識が関係者の間に浸透した。
しかし、ユーザビリティに関して年齢という枠組みを当てはめて論じるのは、時には適切でないと筆者は考える。もちろん年齢によって記銘力が低下したり、反応時間が遅くなったり、判断の過誤が発生したりするということはあるが、そうした生物学的な話はいつの時代でも加齢とともに生じる現象である。しかし、ここで言いたいのはそういうことではなく、時代とともに変化する常識の内容に適応できるか否かという能力と、適応すべき常識の内容が変化するという話である。筆者は、こうした点について年齢ではなく世代という枠組みで考えるべきだと考えているが、そのことを次節以降で説明したい。
ユーザビリティの世代論
この図1は、横軸に時代(1940年-2030年)、縦軸に年齢(0代から90代)をあてはめたものである。そうすると、世代という概念は、(横軸と縦軸が等間隔であれば45度で描かれた)斜線として表される。たとえば1947,8年に生まれた団塊の世代は、図の中の青線のような形で表される。20代から60代を就業年齢とすれば、彼らは1970年前後に就職し、2010年代後半で退職してすでに年金生活に入っている。団塊の世代は20代後半にマイクロコンピュータの登場を経験し、コンピュータ化の時代を牽引してきたといってもいい。いいかえれば、それ以前の世代、図では団塊の世代の線よりも上側(左側)の人たちは、ICTの登場を驚きをもって迎え、それに違和感や不安感を感じた世代だともいえる。
パーソナルコンピュータが登場した1980年前後の状況を見てみると、団塊の世代はまだ働き盛りにあり、それよりも古い世代の人々が管理職を務めていたことがわかる。上司の手書き原稿を秘書がワープロソフトで入力し清書していた時代はこのあたりに相当する。そのあたりから情報機器のユーザビリティが問題とされるようになったのは言うまでもない。要するに、当時の中高齢者はハイテク弱者だったのである。高齢者にとってコンピュータは難しくて使えない機器の代表となり、ICTリテラシーの世代間格差が浮き彫りにされたわけである。
1980年頃にうまれたデジタルネイティブと呼ばれる世代の人々は、Windows 95やMicrosoft Officeが登場した時期に成人を迎え、若くて柔軟な頭脳でそれらの機器やシステムを受け入れ、積極的に利用するようになった。彼らが若手社員として働くようになった2010年前後には、スマートフォンが登場したが、彼らやそれより若い世代の人々は積極的にそれを活用しはじめた。デジタルネイティブよりあとに生まれた人々、図では黄色い三角形のなかに入る人たちは、それこそ生まれたときからICTに囲まれており、生活の一部としてそれらの機器やシステムを受容しながら成長してきた。
そして2022年の現在、団塊の世代はすでにリタイアし、デジタルネイティブの人々が部課長となり、もっと若くて新規なものに挑戦的な世代の人たちがその部下となって働いている。
このようにして世代の変化を見てくると、同じく高齢者といっても、時代とともにその内容は変質してきており、たしかに1980年や1990年、2000年頃の高齢者はハイテク弱者とラベリングすることができたとしても、それ以降の時代の高齢者はかならずしもハイテク弱者と呼ぶには適切ではないことがわかる。
ユーザビリティのなかでも、ノーマンが叫んだような「わかりにくさ」や「理解しにくさ」が高齢者にとって問題となっていたのは、せいぜい2010年頃までのことであり、それ以降の高齢者は「わかりにくさ」や「理解しにくさ」で困惑することは徐々に減ってきているのだと思う。電車やバスのなかでスマートフォンを使っている高齢者がどんどん増えてきたのも、最近の特徴であり、同じく高齢者といっても、その実態には変化が置きていることがわかる。
ユーザビリティの時代からUXの時代へ
このような時代的変化によって、ユーザビリティの重要性だけを強調しすぎるのは世間の実態からずれている、というような認識が(その点を指摘したノーマンだけでなく、多くの関係者の間に)広まってきたように思われる。同時に2000年頃からUXというキーワードが流行するようになり、時代の関心はユーザビリティからUXへと遷移してきたようだ。
筆者の品質特性図(図2)については、すでに何回か紹介しているが、これによると、ユーザビリティからUXへの焦点遷移は、設計時品質の一つから利用時品質への遷移とみなすことができる。いいかえれば、UXはあらゆる設計時品質に影響をうけるものであり、そのなかにはユーザビリティだけでなく、機能や性能、信頼性や安全性などの客観的設計時品質も含まれている。さらに重視すべきなのは、主観的設計時品質に位置づけられる魅力という品質特性である。
いいかえれば、人間中心設計というデザインの考え方は、設計時品質のうち、特にユーザビリティと魅力の両方を作り込むことに関係するが、UXは、それらを含む全ての設計時品質に影響をうける、ということになる。すなわち、ユーザビリティの時代からUXの時代への変化は、ユーザビリティ「だけでなく」、すべての設計時品質を考慮するようになることであり、さらにUXに関して特徴的な魅力という主観的(感性的)品質特性に力点が置かれるようになることでもある。人工物の魅力づくりというのはデザイナーにとって力を入れる甲斐のあることで、どちらかというとユーザへの配慮を強いられていたユーザビリティの時代より、UXの時代の方がのびのびと仕事ができるようになったともいえるだろう。
「ユーザビリティの時代とUXの時代(2)」につづく