『UX原論』の刊行

2018年の秋に企画を立て、その年の初冬から執筆を始めた『UX原論』が2020年1月にようやく脱稿し、2020年4月28日に販売されることになったので、この場をお借りして、少しPRさせていただきたい。

  • 黒須教授
  • 2020年4月27日

筆者の出版の個人史

筆者は、これまで、ユーザビリティやUXに関連するまとまった書籍として、

  1. 黒須正明、伊東昌子、時津倫子 (1999) 『ユーザ工学入門―使い勝手を考える・ISO13407への具体的アプローチ―』、共立出版
  2. ユーザビリティハンドブック編集委員会 (2007) 「ユーザビリティハンドブック」、共立出版
  3. 黒須正明 (2013) 『人間中心設計の基礎』、HCD ライブラリー第 1 巻、近代科学社
  4. Kurosu, M. (2016) “Theory of User Engineering”, CRC Press

を出してきたので、まずそれについて説明しておきたい。

1.『ユーザ工学入門―使い勝手を考える・ISO13407への具体的アプローチ―』

1.は、ISO 13407:1999 を日本に紹介するのが目的の本で、関連する情報を集める過程でいろいろ勉強にはなったが、自分の考えというものがまだ十分にまとまっていなかった。ユーザのことを考え、ユーザにとって意味のあるモノ作りをしようという気持ちだけは強かった。これが出版された1999年はISO 13407が標準化された年であり、まだその翻訳版であるJIS Z 8530:2000は公開されていなかった。さらに、自分のなかでのISO規格の理解にも十分でないところがあり、副題にはユーザビリティという言葉のかわりに使い勝手という表現を使ってもいた。それでも人間中心設計のプロセスの各段階における活動や関連する手法について、多少の背伸びをしつつ、素材を集めて編集したものが本書だった。ISO 13407についてはDISやFDISの段階から情報を集め、その情報を当時の通産省と連携しながら産業界にプレリリースしており、そのために集めた素材がある程度まとまってきたので、それを本の形にしたものだった。

当初は日経BP社に原稿を持ち込んだが、執筆が遅れたため出版順位を下げられてしまい、それならと共立出版に話をもちかけて出版することができた。出版社にもテーマの重要度についての認識や感度の違いがあるのだなあ、と実感させられたものである。

2.「ユーザビリティハンドブック」

2.は、1.の出版やJIS規格の公開、関連した業界内部での動きがある程度成熟してきた時期に、ユーザビリティに関連する情報を全方位的にまとめたものである。筆者がその第一部を担当して執筆することで、それなりにまとまった内容を書くことはできたし、自分なりの考え方もできてきたが、まだ粒度が荒かった。なお、ハンドブックという公的な性格をもつ出版物であることに留意して、できるだけ中立的な書き方をするように努めた。

3.『人間中心設計の基礎』

3.は、人間中心設計ライブラリーの第一巻ということで、大学や大学院のテキストとして使われることを考えたため、15 回分で 15 章構成という形にした(現在なら14章構成とすべきだが)。教科書という性格上、2.と同様に中立性を重んじて自分の考えはできるだけ抑え、いろいろな関連情報をまとめて紹介することに注力した。ただ、内容を詰め込みすぎたためか、文章が硬かったためか、「むつかしい」という評価を得てしまった。筆者としては、この程度のことは理解してくれていなくては困る、と思っていたのだが、読者層の中心となったデザイナー諸氏にはやはり難しかったのかもしれない。

そんなことから編集委員のなかから、「基礎編」の導入部にあたる「入門編」を作ろうという声があがり、第0巻という位置づけで出版された。その入門編ではイラストが多用されていて一見すると分かりやすそうではあったが、内容的には基礎編の抜き書きのようなものだったし、未消化なまま基礎編からコピペされているような部分もあったので、筆者としては本音ではあまり推奨したくない気持ちでいた。

けれども「HCDを理解したいと思ったらまず入門編を、さらに理解を深めたいと思ったら基礎編を」というような評判が出回ってしまったため、基礎編は入門編の後塵を拝するような形になってしまい、以来、売れ行きもガクンと落ちてしまった。このことから、次の機会には人間中心設計ライブラリーの中ではなく、別系統の本として、もっと自分の考え方を前面に押し出して、かつわかりやすく説明した本をだしてやろう、という気持ちが生まれてきた。

4.“Theory of User Engineering”

4.は、Springerの出版担当者から、何か本を書かないかというメールが何回か来たので、ユーザ工学の概論書を提案したら、それで行こうという話になったものである。結果的にはSpringerの子会社のCRC Pressから出版されることになったが、担当者がテーマに強く賛意を示し後押しをしてくれた。そのことはありがたかったし、自分にとって最初の英語での単著ということで興奮したが、やはり外国語。思ったことをスラスラと書くのは難しかったし、自分の考えを十分に出し切ったというものでもなかった。

ちなみに筆者は国際会議の予稿にしても編著書の原稿にしても、いわゆるネイティブチェックというものを受けることはしてこなかったので、この本も自分で書いたものをそのまま送った。多分、部分的には編集者が修正してくれたと思うのだが、特に英文の質について文句が来ることはなかった。

ともかく自分の考えていることを部分的には出したものの、内容的にはいささか中途半端な形になってしまった。

『UX原論』の執筆

前述したような経緯を経て、3.『人間中心設計の基礎』の出版からも少し時間が経過してきた(4.“Theory of User Engineering”は日本では読まれないだろうと考えていた)。さらに、その間に僕の考え方が世間の動向から大きくずれてきたことを感じてもいた。ユーザビリティとUXの区別のついていない人が増え、UXはポジティブなものだという思い込み(UXをポジティブにしていきましょう、というのではなく)が増え、ユーザビリティデザインに魅力づけをしたものをUXデザインと呼んでいるような人達が増え、さらに、デザインの力がUXを作るのだというような思い込みが強くなり、それにデザイン思考というキーワードが促進的な効果を持つようになり、等々で、なにか違う方向に世の中が向かってしまっていることを強く感じていた。

もともとUXは、ユーザビリティを重視していたノーマン(Norman, D.A.)が作った言葉だが、そのことも関係して、ユーザビリティ+αがUXなんだという誤解が広まってしまった。そういうなかで筆者はいろいろなISO規格を批判的に検討し、UX白書を吟味し、色々な出版物に目を通し、多数のUX評価法を調査し、UXについて、それなりの見方を作り上げてきていた。それらは、講演や講習会の機会があるたびに更新してきていて、本の一冊が書けるほどに溜まってきた。散発的にはこの「U-Site」でも公開してきたのだが、ローカルに話をするだけでなく、全国を対象にした意見開示をしなければいけないだろうと考えるようになった。これが、本書の出版を決意させるに至った経緯である。

そうした考え方を同書の「はじめに」にまとめたので、ここに引用しておく。

はじめに

UXという言葉が生まれてから、もう20 年ほどになり、いまでは典型的な “ バズワード ” の一つとなっている。すなわち、世間で広く使われるようにはなったものの、定義が曖昧な流行語ということである。実際、UXD(UX デザイン)と言っても何をデザインするのかがはっきりしていないし、事業所の名前が UX 設計部となっていても何をどう設計すれば UX 設計になるのか良く分かっていない。なかには UX をユーザビリティと同じように扱っている場合もあるし、うれしかったり楽しかったりすることを UX だと思い込んでいる場合もある。

こうした状況になっている責任は、命名者でありながら概念定義や設計時の留意事項などについてのフォローが十分でなかったノーマン(Norman, D.A. 1935-)にもあるし、標準的な定義を早く決めなかった ISO 規格にもある。さらには、この言葉に飛びついて、それを自己流に解釈して世間を混乱させてきた多数のデザイナーやマーケティング関係者、その他の専門家たちの責任でもある。こうした状況にあって、本書では随所で著者の見解を紹介しており、単なる解説書に留まるものではない。UX という概念の論理的な位置づけを本書ほど明瞭に示したものはこれまでなかっただろう、と考えている。

本書の読者としては、UX という言葉を耳にしたことのある人たちすべてを想定している。つまり、この分野に何らかの関係がありそうで気にはなっているのだが、実はよくわからないと感じている人たちである。その意味で、デザインや工学系、あるいは社会科学系の学生の皆さんをも読者として想定している。本書を手にした学生諸君のなかには、バズワードの一つだから一応は理解しておかなければ就職試験に不利になるかもしれない、という人たちもいるだろう。あるいは理解のある教員が、テキストや副読本として指定してくれる場合もあるだろう。また大学や大学院を卒業して UX に関係する実務につくようになった人たちの中には、自分の周囲にこのバズワードが充ち満ちていて、皆、知ったような顔をしているけれど実はどういうことなんだ、と気になっている場合があるだろう。上司から UX を頑張ってくれなどと曖昧な指示を受けて困惑している場合もあるだろう。

ともかく、UX という概念が多義的で曖昧な状態では議論にもならない。UX に関して何かをしようとしても何をしたらいいのかが分からない。本書はそうした現状にくさびを打ち込もうとする試みである。

『UX原論』の構成

同書の目次を以下に示すので、どのような書籍かを理解していただければ幸いである。

目次
はじめに iii
ISO 規格について iv

第 1 章 ユーザビリティという概念 002

1.1 コンピュータの普及 002
1.2 ユーザビリティという言葉 004
1.3 シャッケルの考え方 005
1.4 ニールセンの考え方 008
1.5 ジョーダンの考え方 012
1.6 ISO 9241-11 の考え方 018
1.7 ISO/IEC 25010 の考え方 025
1.8 ウェブユーザビリティの動向 034
1.9 ユーザビリティ活動の浸透と水準の向上 035
1.10 ユーザビリティについてのまとめ 036

第 2 章 UX の現状 038

2.1 出発点としてのユーザビリティ 038
2.2 インタフェースという概念 039
2.3 人間工学と認知工学と感性工学 042
2.4 インタフェース行動の認知工学的モデル 044
2.5 UX 概念の誕生 047
2.6 経験という概念 049
2.7 ユーザ経験とユーザ体験 052
2.8 混乱する UX 概念 054
2.9 UX 白書の登場 058
2.10 UX 概念の基本要素 059
2.11 暫定的定義 065
2.12 軸足はユーザ側か提供者側か 065

第 3 章 ユーザとその多様性 068

3.1 ユーザ、消費者顧客 068
3.2 権力関係 070
3.3 NPS 071
3.4 ユーザを知る 072
3.5 ユーザの種類 073
3.6 ユーザ属性と利用状況 075
3.7 特性 075
3.8 志向性 101
3.9 状況や環境 109
3.10 ユーザの多様性 121

第 4 章 ペルソナ 127

4.1 ペルソナとは 127
4.2 クーパーの主張 129
4.3 ペルソナと平均値、および個体数 130
4.4 ペルソナとステレオタイプ 132
4.5 ペルソナの作成 133

第 5 章 シナリオ 139

5.1 シナリオとは 139
5.2 シナリオ手法 143

第 6 章 ユーザ中心設計と人間中心設計 152

6.1 人間中心という考え方 153
6.2 ISO における人間中心設計の規格化 157
6.3 ユーザ中心設計という概念 174
6.4 人間中心設計 2.0 177

第 7 章 設計プロセスと開発プロセス 185

7.1 PDS から PDCA や PDSA へ 186
7.2 ISO の人間中心設計モデル 187

第 8 章 デザイン思考 189

8.1 デザイン思考の特徴 190
8.2 拡散と収束 192
8.3 そもそもデザインとは 193
8.4 デザイン経営 196

第 9 章 デカゴンモデル 198

9.1 デカゴンモデルISO 9241-210:2019 のプロセス 200
9.2 デカゴンモデルとデザイン思考のプロセス 201

第 10 章 UX という概念 204

10.1 ノーマンによる提案から UX 白書の登場まで 204
10.2 ISO9241-210:2019 における UX 205
10.3 QoE (Quality of Experience) 206
10.4 消費者行動論 209
10.5 経験価値 211
10.6 CS, CRM, CXM 213
10.7 効用 215

第 11 章 UX の概念構造 217

11.1 設計品質と利用品質 218
11.2 客観的品質と主観的品質 219
11.3 四つの品質領域 220
11.4 主観的利用品質と満足感 224
11.5 UX の時間構造 225

第 12 章 UX デザイン 228

12.1 安易に UX デザインというべきではない 228
12.2 多面的デザイン 228
12.3 人工物の利用期間と UX 230
12.4 期待と現実 230

第 13 章 UX の評価 232

13.1 前提 232
13.2 UX の測定法 235
13.3 UX 調査とユーザ調査 254

第 14 章 UX に関連した社会科学の知見 256

14.1 UX 評価の特性-- 精神物理学 256
14.2 満足度に関する2種類の指標-- 信号検出理論 257
14.3 満足度評価のための尺度構成法ーマグニチュード推定法、評定尺度法 259
14.4 UX 水準の判断ーー順応水準 260
14.5 目標とする水準の設定――要求水準 262
14.6 価値判断の特性――プロスペクト理論 263
14.7 価値判断の仕組み――認知的不協和、合理化 264
14.8 満足に至る2通りの途――制御焦点理論 265
14.9 期待段階と実利用段階での評価の違いーー解釈レベル理論 267
14.10 個人的満足から多様な人々の暮らす社会の満足へ――正義論 269

第 15 章 UX に関連した近未来の課題 270

15.1 次なる課題 270
15.2 UX から日常経験へ 270
15.3 グランド・チャレンジ 271

あとがき 277
引用文献 279
索引 289

本書が広く読まれ、UXについての概念が整理され、そのうえでUXに関連した活動が活性化していくことを心から望んでいる。

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