ERMを日記に使おう

ERMは日記法と親和性が高いと考えられる。サービスなどのユーザに、印象に残るエピソードと、その満足感などの評価を求めることは、ユーザの負担が軽く、長期間継続してもらいやすいと考えられるからだ。

  • 黒須教授
  • 2023年5月29日

ERMを思い出そう

ERMについては何回かこのU-Siteに書いたのだが、使わなかった人、忘れてしまった人も多いのではないかと思うので、簡単に概略を紹介しておく。

UXを評価/測定する方法には色々あり、リアルタイムで測定するもの、日記として準リアルタイムに測定するもの、記憶を利用してある時点からの振り返りによって測定するものに大別される。リアルタイムの方法は、スマホが普及した現在では利用しやすくなったといえるが、ユーザの生活に対する侵襲性が問題になる。日記法はその継続についてユーザに義務感を生じさせるため、実施するうえで困難な面があると考えられた。

そこで記憶を利用した方法であるUXカーブに注目し、それを改造することによってERMを提唱したわけである。ERMは、何らかの人工物を利用し始めた時点からスタートし、利用中の任意の時点、そして現在に至る各時点での人工物に関わるエピソードを思い出してもらい、それがポジティブなものだったかネガティブなものだったかを+10から-10までの21段階で評価してもらう、という手法である。その基本は、ある時点での経験の好ましさや満足度を21段階の評定尺度で評価する、というところにある。UXカーブのように経験の水準を時系列的なカーブで表現させる手法と比較して、個々の経験についての好ましさや満足度を数値として把握できるので、以後の集計処理に便利である、という特徴を持つ。

そう考えると、ERMは日記法と親和性が高いだろうと考えられる。何らかの人工物(製品、サービス、システム)を利用しているユーザに、「何か印象に残るエピソードがあった時に、そのこととその経験の好ましさや満足感を+10から-10で評価してください」と求めることは、他の日記法に比べてユーザの負担が軽く、長い期間、継続してもらいやすいと考えられるからだ。

今回は、実際に日記法に評価点をつける方法を実施してもらうことができたので、そのラフな結果報告をしたいと思う。

ERMを日記法に使った事例

表1に示すのは、Aさんの日記の冒頭の一部である。表からわかるように、Aさんは2022年の夏に乳がんが発見され、その後、たくさんの検査を受け、手術をし、抗がん剤治療と放射線治療を受けて現在に至っている。表に載せてあるのは、がん発見当時の病院での検査場面でのインタラクションについての記録である。Aさんの場合には、「日付」と並んで「種別」、「方法」、「タッチポイント」、そして「内容」と「評価」に並べて「思考」という列が作られている。「内容」には各エピソードについてどのようなことがあったかという客観的記述が、「思考」にはそのエピソードについてどう思ったかあるいは感じたかという主観的記述がなされている。客観的記述と主観的記述を区別して書くのは一般の方には難しいかとも思われたが、Aさんはそれをきちんと区別して書いてあり、「評価」の点数の解釈が行いやすくなっている。

表1 AさんのERMダイアリー(一部)

表1の範囲では評価値が-2と+2になっており、あまり大きな変動を示してはいないが、-2のつけられた行では、思考の欄に「組織採取で特に事前説明もなくカジュアルに局所麻酔されて「ガチャン!!」と割に大きな音がするもので採取されてちょっとビックリした」と書かれており、説明もなしに驚かされたことがおそらくマイナス評価につながったものと推察される。こうしたことは、特に記録せずにおくと、じきに忘れてしまわれることが多いものであり、日記に記録し、評価点をつけておくことの意味があるだろう。なお、この点に対しては、医療サービスの基本として「患者への説明を丁寧に行う」という原則を再確認することがUXの低下を防ぐことにつながる、と考えられる。

次の二つの行では、「Fire端末を持参したので苦痛は少なかった」と書かれていることが+2という若干ポジティブな評価に関係したものと考えられる。これはサービス提供側ではなくサービス需要側での自衛対策であるが、ともかくUX評価はマイナスにはならないで済んでいる。

もう一つ注目すべきは、ここにある三つのエピソードがいずれも2022/9/8という同じ日に書かれていることだ。ようするに、ある日のUXは同じ日だからといって単一の値にはならず、エピソードごとに違った評価値を与えられるということが見てとれる。UXの日内変動性ということである。

表2 ERMダイアリーの集計結果

Aさんは表計算が得意なため、種別、方法別などの集計をまとめてくれている。それが表2に示した内容である。

まず種別については、どのようなアクティビティだったかで分類されている。平均スコアを見ると、準備は+3.30で比較的楽しく過ごしていたように見えるが、入院して療養生活に入ると-5.50とか-4.82などになっていて病院にいたくないという気持ちがうかがえる。ただ、手術/処置は-0.84であり、麻酔をかけられていた間のできごとだったためか、ネガティブな評価というほどのことにはなっていない。

次の方法別は、コミュニケーションメディアによる区別であるが、書簡/文書が-4.00、自己対応が-4.59と低くなっているのが目立つ。ただ、該当箇所の記録をいただいていないため、なぜそうしたメディアについて評価が低いのかはよくわからない。

その横の期間別では、2022/12, 2023/1, 2023/2という連続した三か月の評価が-4.74, -3.63,-4.03と低くなっている。これはちょうど抗がん剤の投薬時期に相当しており、その副作用に苦しんでいたためと思われる。

タッチポイント別というのはエピソードの発生した場所のことになっていて、様々な場所が記載されているが、たとえば絶対値5以上のものを見てみると、化学療法室の-5.00、入院病棟の-6.29というネガティブ評価に対して、かかりつけ医の+5.25、医療用ウィッグ店の+7.00、市役所の+5.00、美容院の+9.00、歯医者の+6.00がポジティブ評価になっていて、「病院くさくない場所」がポジティブに評価されているように思われる。なお、回数的に102回と多い自宅が-4.46になっているのは、病院から退院できたのは良かったが、前述した抗がん剤治療が行われる場だったからだと思われる。なお調剤薬局(眼科)が-10.00になっているのは情報がなくてわからない。ここまでに筆者がまとめた内容も仮説にすぎず、インタビューによって確認する必要があるし、この調剤薬局についてもたった1回ではあるが、内容を確認しておく必要がある。

まとめて

日記法のエピソードに評価をつけるというやり方の有効性は、このAさんの事例から明らかと言えよう。表2のように集計をして評価点の平均値を求めてみると、いろいろと仮説をまとめあげることができ、それを後日のインタビューによって確認すると、焦点の明確なインタビューになるだろう。日記の個別データや集計データだけでも貴重であるが、それをトリガーとしてインタビューを行うことにより、さらに内容についての理解が深まるだろう。

こうした日記法+評定尺度というやり方は、短期間のものでは役所での経験、似たようなものだが確定申告の手続き、中長期的なものではAさんのような入院、引っ越しの経験等々、公的サービスに関係したものの他にも、アミューズメントパークでの経験、旅行、帰省などの企業サービスに関連した個人的経験にも使えるだろう。さらに超個人的なことではあるし、日記法というよりは回顧法ということになるが、長期的な応用として、出会いや結婚以来の経験を夫婦で記録してお互いに評価しあってみるのも興味深い発見があるだろう。

追記(6月7日)

なお、Aさんは、闘病のUXを折々にまとめて、それを「闘病UX」として公開しておられる。ご参考までに、そのURLを掲載させていただく。UXのフェーズ毎のまとめ方としても、また闘病記としても関係する方々のご参考になるだろう。#闘病UX|motty (Chatwork / 87lab.)|note