グラフィックデザインの責任
2. 基礎を学び実践すること

グラフィック要素はユーザが見て理解できなければならないとは知っていても、その知識を活かしていないデザイナーもいる。彼らに共通した傾向として、デザインはクリエイティブな活動なのだから、多少のユーザビリティは犠牲にしてでも、斬新で見栄えのするデザインをしたいという態度があるようだ。

  • 黒須教授
  • 2017年6月20日

認知的デザイン

グラフィック要素はユーザが見て理解するものである。つまり、見えなければならないし、理解できなければならない。さらにいえば、人間の知覚心理学的特性や認知心理学的特性に適合していなければならない。これはユーザビリティの基本である。

そうしたことが必要だという認識は結構広まっているように思うし、それに関係した書籍や資料も多数手に入れることができる。ただ、デザイン系の学科の多くでは、いまだに認知的デザインというような科目を置いていないので、学生はデザインというものは格好よくて新鮮ならいいんだと思ってしまいがちなようだ。

必要性が分かっていて、しかしながら教育課程のなかでそれが教えられないのであれば、自分で学習すればいい、となるところだが、ここに結構大きな問題がある。デザイナーのタマゴたちには、実習は好きだけど座学を苦手とする人が多いのだ。教室での座学も嫌なのに、ましてや自分で本を読んで勉強をするなんて更に苦手、ということになりがちである。もちろん全員とは言わない。なかにはきちんと勉強をする学生もいる。ただ、独創性や感性が秀でていて、さらに勉強もよくする学生に出会うことは滅多にない。

そうした状況の結果として、見えないデザインや理解できないデザイン、もう少し軽くいえば見えにくいデザインや理解しにくいデザインを平気で作ってしまうデザイナーが多くでてきてしまうのだろう。

もう一言いわせていただくと、そういう原理原則があることは知ってます。だけど、この場合は私の主張をもう少し強調したいので、その点には目をつぶっていただきます、というような態度のデザイナーもいる。ようするに知識は知識として持っているけれど、それを実践の場面で活かそうとしないデザイナー達である。実践しなければ知識の意味がないじゃない、と思うのだが、彼らにとっては自己主張の方が重要なのだろう。

見えにくいデザイン

僕がよく経験するのはシャンプーやボディシャンプーのボトルの表示の問題だ。買う時には棚にちゃんと表示がしてあるから間違わないのだけど、いざ風呂場で使おうとすると余計な文字情報、たとえばブランド名やらどうでもいいような謳い文句なんかが書かれていて、ShampooとかBody Washとかの表示が小さくなっている。情報の視覚的検索性を考慮するのはグラフィックデザインの基本の基本だと思うのだけど、そこにバリアがあるのだ。まさか風呂場にメガネをしたまま入ることを前提としているわけでもあるまいが。

またボトルのボディの色と色差の小さい文字で表示してあることも多く、その可読性を低下させている。この傾向は学会のパワーポイントの作り方でも時々見かけるものだ。どうもデザイナーは、あたりまえの使いやすさには関心がないようだ。自分がデザインしたという足跡を残すためには、ユーザが苦労するかどうかなんかお構いなしに、なんとはなしの美しさを追求してしまう傾向があるように思われる。

理解しにくいデザイン

このあたりについてはノーマンが沢山事例を出しているし、BADUIとして有名にもなっているが、実際、かなりよく見かけることも確かだ。

テレビで見かける例としては天気予報の時の日本地図や、交通情報の時の道路地図の正確さの問題がある。天気予報については衛星写真がよく使われるようになって、そればかりはデフォルメのやりようがないから正確な地図が表示されているが、各地の天気を表示したりする地図は、なぜかデフォルメしてある。その理由を考えると、天気予報がそもそもそれほど正確なものではないからとも考えられるし、デザイナとして依頼されたらデフォルメしなければ仕事にならないと思われてしまうからかもしれない。

また各地の天気以上に正確さを要求されるのは交通情報だろう。しかし、交通情報を表示する道路地図のデフォルメは方向に関しても距離関係にしても甚だしい。ドライバーはGoogle Mapsや道路地図帳やカーナビの地図を見慣れているだろうから、正確な地図を表示して悪いことは全く無いと思うのだが。

テレビでなくても地図のデフォルメはよく見かける。店舗の案内をする略図がその典型例だ。担当したデザイナーは直角や平行線が好きならしく、かなりのデフォルメをしてあることが多い。しかも北が上になっていないこともある。

このように、現時点では筆者は地図のデフォルメをしない方がいいと思っているが、デフォルメしても許容できる場合とデフォルメがむしろ積極的に奨励される場合があるかもしれない。そのあたりについては今後考えてゆきたい。

その他、書ききれないほどあるのだけど、それはまたの機会に。

実践していないデザイン

原理原則は知っていても、その知識をデザインの実践において活かしていないデザイナーもいる。こうした人たちに共通した傾向として、デザインはクリエイティブな活動であり、自己表現なのだから、多少のユーザビリティは犠牲にしてでも、斬新で見栄えのするデザインをしたいという態度があるようだ。

そうしたデザイナーは、デザインされたものを使う人がいるということを忘れてしまっているのではないか。ユーザの立場にたって自分のデザインしたものを振り返ってみて、それが見やすく分かりやすいものになっているかを自己評価するという習慣ができていない。自己主張はアートの特性であり、デザインにおいては基本的には抑制されるべきものだと思っている僕からすれば、原理原則を実践していないデザイナー達はとんでもない勘違いをしていると思えてしまうのだ。