ユーザ中心設計のコアと世間に広まっている誤解
ISO 13407とISO 9241-210、どちらの規格でもユーザビリティがコア概念となっている。さらに、ISO 9241-210の冒頭では「ユーザ」を連呼しており、それだったらユーザ中心設計とすれば良かったのではないか、と思えてしまう。
人間中心設計はユーザ中心設計とされるべきだった
ISO規格において提起された人間中心設計という概念と違って、ユーザ中心設計には「それはこれこれである」という形のきちんとした定義はない。まずは規格の文面のなかに人間中心設計の定義を見てみよう。
最初に登場したISO 13407:1999には、その定義セクションの中に人間中心設計は入っていない。ただ、冒頭に次のような記述が与えられている。
人間中心設計は,システムを使いやすくすることに特に主眼をおいたインタラクティブシステム開発の一つのアプローチである。それは,ヒューマンファクタ及び人間工学の知識,更に技術を組み合わせた多様な職種に基づいた活動である。
というものである。
その改訂版であるISO 9241-210:2010では、定義セクションに人間中心設計があり、
システムの使用に焦点を当て、人間工学やユーザビリティの知識と技法を適用することにより、インタラクティブシステムをより使えるものにすることを目的とするシステムの設計と開発へのアプローチ
という定義になっている。
どちらの規格でも「使いやすく」「使えるもの」という形でユーザビリティがコア概念となっており、それを達成するアプローチとして人間中心設計を位置づけている。さらに、ISO 9241-210の冒頭の記述では
人間中心設計は、ユーザと、ユーザのニーズ及び要求事項に焦点を合わせ、人間工学、ユーザビリティの知識及び技術を応用することにより、システムを使いやすくすること及び役に立つことに主眼をおいたインタラクティブシステム開発の一つのアプローチである。
と「ユーザ」を連呼しており、それだったらユーザ中心設計とすれば良かったのではないか、と思えてしまう。
しかしISO 9241-210の人間中心設計の定義の注記1には
「ユーザ中心設計」ではなく、「人間中心設計」という用語にした理由は、この規格が、いわゆるエンドユーザーを重視するだけではなく、複数のステークホルダーへの影響を強調するためである。しかし、実際には、これらの用語はしばしば同義語として使用される。
と書かれている。この「複数のステークホルダー」という概念の導入は「ユーザ」を連呼した冒頭の記述の趣旨からずれてしまっている。
ステークホルダーという概念は
利害関係者(stakeholder)システムに,権利,持分,請求権若しくは関心をもっている個人若しくは組織,又はニーズ及び期待に合致する特性をシステムがもつことに,権利,持分,請求権若しくは関心をもっている個人若しくは組織(JIS X 0170:2013参照)。
と定義されており、ISO 9241-210では、いささか漠然とした形で対象者の範囲を拡大しているわけである。
なぜ対象をユーザに限定しなかったのか、という点についてはエディターだった故Nigel Bevanが強硬に主張したためなのだが、改めて考えてみても、やはりユーザ中心設計という用語でいいように思えてしまう。しかし、ISO 13407の人間中心設計という規格の改訂版であるISO 9241-210としては、どうしても人間中心設計という概念を継承し提唱しつづけるために、無理に対象をユーザから拡大する必要があると考えてしまったのでは無いか、と勘ぐることができる。しかし、そうだとしたら本末転倒である。ユーザという言葉を連呼した規格であれば、タイトルを含めてユーザ中心設計と変更するのが筋だったと考えられる。
それではユーザ中心設計とは何か
ユーザ中心設計を最初に提唱したNorman and Draper (1986)には、定義らしい定義こそないものの、ユーザ中心設計のコアを説明する文面が随所に登場している。
たとえば
ユーザ中心システム設計とは、コンピュータの設計をユーザの視点から行うものである。技術よりも人間に重点が置かれているのである
とか
ユーザ中心システム設計では、ユーザの目標やニーズがどのようなものであるか、どのようなツールを必要としているのか、どのような種類のタスクを実行しようとしているのか、どのような手法を使いたいのかを尋ねる
あるいは
ユーザ中心設計は、システムの目的はユーザに尽くすことであり、特定の技術を使うことでもエレガントなプログラミングをすることでもないことを強調する。ユーザのニーズがインタフェース設計を支配すべきであり、それからインタフェースのニーズがシステムの残り部分の設計を支配すべきなのである。
といった具合である。
人間中心設計の定義でもユーザという表現は含まれていたが、それに比べると、(著者が認知心理学の専門家であるNormanだったこともあるが)ユーザの視点から設計するということを、ユーザの目標やニーズ、ツール、タスク、手法を理解するという表現を使っているのが特徴的だが、ユーザに尽くすこと(ここに対しては筆者は多少のひっかかりを持つが)、ユーザニーズがインタフェース設計を支配すべきだと明言しているので分かりやすい。
ユーザ中心設計とUX
UCDとUXについてNorman and Draper (1986)は、
伝統的なアプローチでは、人間を考慮し、人間の情報処理構造を考えることで、ユーザインタフェースの適切な様相を開発する。もうひとつのアプローチでは、ユーザの主観的経験のことや、どうやってそれを高められるかを検討する
と書いている。Normanは1998年にUXという概念を提唱したが、その大元は以前から彼の脳裏にあったということだろう。
また、UXの世界で良く知られているGarrett (2003)は、
保証できる効率的なユーザ経験を創造するやり方をユーザ中心設計という。その考えはとてもシンプルだ。製品を開発するときのステップごとにユーザのことを考慮するのだ。しかしながら、この単純な考え方の持つ意味合いは、驚くほど複雑である
と明言している。
このように、ユーザ中心設計という考え方は、単にユーザビリティの向上だけでなく、UXの向上にも適用できるのである。
Normanの変節
一言追加しておかねばならないのは、UCDの提唱者であったNormanが、2013年の『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』ではHCDという表現に乗り換えていることだ。同書にはUCDという表現は一度もでてきていない。内容的にはUCDとほとんど同じことを言っているので、単なる言葉の置き換えと考えてよいのだが、これはアメリカで発言力を増してきたIDEOがHCDという表現を使っていたため、それに合わせたものだと考えられる。ちなみに同書の訳者は、ISO系のHCDとは違うということを明示するためであろうが、人間中心設計ではなく人間中心デザインという訳語をあてている。
そもそもはIDEOがHCDと言ったことに原因があるのだが、やはりここは元々の考え方を尊重し、ユーザという概念に焦点をあててUCDという言い方を継続して欲しかったな、と思う。
参考文献
- Norman, D.A. and Draper, S.W. (1986) “User Centered System Design – New Perspectives on Human-Computer Interaction”, LEA
- Garrett, J.J. (2003) “The Elements of User Experience – User-Centered Design for the Web” New Riders