遠いところにいるユーザ

ユーザ調査では実際のユーザの協力が必要である。特に、製品やサービスの実ユーザを特定して行う、開発後のユーザ調査(UX評価)で得られる情報は大変貴重で、本当のUXの情報とみなすことができ、そこから、開発のための貴重な知見を得ることができるものである。

  • 黒須教授
  • 2018年4月12日

ユーザ調査に協力してもらうユーザ

21世紀に入ってからユーザ調査はよく行われるようになったが、この活動においては、ユーザ調査という言葉どおり、実際のユーザに協力をしてもらうことが必要になる。これを設計中のユーザ調査と、開発後のユーザ調査に分けて考えてみたい。

人間中心設計の第一段階として行われるユーザ調査の場合、これから開発しようとする人工物に関連した情報を得ることを目的にするので、調査対象となる人工物にはある程度の幅がある。すでに市場にでている自社製品や自社サービスに限定せず、それに関連した他社の製品やサービスから得られる情報、あるいは該当する製品やサービスがない状態でユーザがどのようなやり方で生活や仕事をしているかも有用な情報となる。そのため、調査の協力者を探すことも比較的容易で、ある程度のデモグラフィックな属性や若干の条件を考慮するだけで良い。

これに対して、開発後のユーザ調査、つまりUXに関する調査は、これまでそのユーザが使ってきた特定の製品やサービスに対する使い方を調べたり、意見を聴取したりするものになるため、UX評価と言った方がいいかもしれない。そこでは特定の人工物を利用していること、あるいは利用したことがあることが条件となるので、インフォーマント探しは設計中のユーザ調査よりもずっと難しいものとなる。しかも、UX調査やUX評価では、実ユーザに対して実利用環境で協力をしてもらう必要がある。これら二つの条件を満たさなければUXの調査にはならないからだ。

ユーザへのアクセスが困難な場合

特定の製品やサービスに関するUX評価でも、ユーザを特定しやすい場合はある。たとえば業務システムのUX評価では、そのシステムの納入先の組織の人々に協力を求めれば良いだろう。もちろん協力が得られるかどうかという問題はあるが、ユーザを特定することは容易である。またATMなどの公共機器の場合は、不特定多数のユーザが対象になるのでユーザビリティテストのようにして協力者を集めることになり、比較的容易に対象ユーザを求めることができる。

しかし、反対に、ウェブサイトや市販品の場合には、設計サイドと利用サイドの間にギャップがある。つまり設計サイドと利用サイドの間には文字通り距離があり、設計サイドではどのような人たちがそれを利用しているのかを特定することが困難なのだ。

ウェブサイトの場合には、閲覧している人の情報を何らかの形で取得することはできるが、そこから調査への協力を依頼し、了解してもらうことは困難である。サイトを開設してからある程度の時間が経った段階で、画面にポップアップを出して、応募してくれる意思表示をしたユーザからインフォーマントを選ぶという方法も考えられるが、ポップアップが邪魔だと感じるユーザも多いことだろう。

もっと困難なのは、一般の市販品の場合である。購入者からハガキや電話で連絡をしてもらうテレビショッピングの場合であれば、購入してくれたユーザの個人情報は販売サイドにわかっているから、そこから連絡をしてインフォーマントとしての協力を依頼することはできる。しかし一般の商店から購入された場合には、誰が購入したのかは販売サイドも、さらには製造サイドにもわからない。これではUXデータを取得することは困難である。ユーザは製品やサービスの提供側からは遠く目に見えないところにいるわけだ。

市販品の場合のインフォーマントの求め方

そのために、市販品の場合にはちょっとした工夫が必要になる。一般のユーザをインフォーマントとすることは、前述の理由から困難があるので、特別なユーザをインフォーマントにすることになる。つまり自社の関係者に協力を求めるのだ。一般に、勤務先の製品やサービスについては社員に対する割引販売などが行われていることが多いが、勤務先の製品に愛着を感じて自社製品や自社サービスしか利用しないという人は意外に少ない。

そこで、調査への協力を条件として割引率を高くするやり方や、調査への協力によりなにがしかのインセンティブを与えるやり方が考えられる。UX調査では、購入前の期待感や購入時の決定理由も重要なデータになるので、あまり大幅な割引をしたのでは購入動機がゆがめられてしまう恐れがある。その点に注意しながらインフォーマントを集めれば、ユーザを特定することが可能になる。

こうして集めた個人情報をもとにUX評価を行うのは、ISO 9241-210にも書かれているように、一般的な製品やシステムであれば、購入から半年ないし一年たった時点ということになる。評価のやり方に特に変わった点はない。ERMなど、一般のUX評価の手法を適用して実施すればよい。当然だが、その調査は、各家庭などに赴いて実施する。ただ、回答の仕方によって何らかの社内的便宜がさらに与えられるという期待を起こさせないために、「この調査は、皆さんの実際場面での使い方について教えていただき、さらに良い製品やシステムにするためのものです。したがって問題があれば積極的に教えていただきたいと思います。どうぞ忌憚ないご意見をお聞かせください」といった趣旨の注意を与えることが必要である。

ほかにもインフォーマントの特定の仕方はあるかと思うが、ともかく、このようなやり方でもしないことには、一般の小売製品やサービスの実ユーザを特定してUX評価を行うことは困難だ。だが、その努力を行って得たUX評価情報は大変貴重なものであり、ユーザビリティテストのような実験的環境で得た情報に比べて、本当のUXの情報とみなすことができ、開発のための貴重な知見を得ることができる。