高齢者層の変質

ある記事の、SNSなどの普及で高齢者層のネット参加が増加、という箇所に引っ掛かった。たしかにその普及は事実だろうが、その背景にあるもうひとつの要因に注意が必要ではないか、と思ったのである。

  • 黒須教授
  • 2025年3月5日

あるネット記事

先日、ネットの記事を読んでいたら、次のような文章に出会った。

興味深いのは、ネット上での批判的な声が「高齢者層」によって主導されているという調査結果だ。従来、高齢者はインターネットリテラシーが低いとされてきたが、近年ではスマートフォンやSNSの普及により、この層のネット参加が増加している。

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文意は明確だし、それなりにするすると読めてしまうものでもある。ただ、筆者は「近年ではスマートフォンSNSの普及により、この層のネット参加が増加している」という箇所に引っ掛かった。高齢者について、そのネット参加や、スマートフォンの利用、さらにはICT機器の利用が、機器やサービスの「普及」によるものだとしている点だ。たしかに、スマートフォンやSNSが普及してきたのは事実だろう。しかし、その背景にあるもうひとつの要因に注意する必要があるのではないか、と思ったのである。

高齢者とは

高齢者とは、一般的には年齢を重ねた人々を意味している。WHOや日本の厚生労働省は65才以上を高齢者としている。また、特に75才以上を後期高齢者としている。高齢者になると、身体機能や感覚機能、認知機能、社会生活のパターンの変化などが発生する。そのため機器開発においての配慮事項が存在しているし、年金制度や医療制度などにおいてそれ以下の年齢の人々とは違った配慮が必要になるとされている。

加齢により変化する部分

高齢者になると、たしかに筋力が低下したり歩行速度が低下したり、老眼が進行したり耳が遠くなったり、短期記憶の容量が低下したり学習能力が低下したり、社会的活動からのリタイアが始まったりする。これらの身体機能、感覚機能、認知機能、社会生活の加齢による変化については、いつの時代でも、それこそ江戸時代でも明治・大正でも、昭和から現在に至るまででも、状況はあまり変わらない。おそらくは奈良時代でも平安時代でも同じようなものだったろう。

だから、こうした機能低下などを支えるために様々な技術開発や制度改革が行われてきた。杖や車いすの開発、眼鏡や補聴器の開発、再生型インタフェース(コマンド入力型インタフェース)から再認型インタフェース(メニュー選択型インタフェース)への移行、年金制度や介護保険制度の導入などがそれである。

世代という概念

しかし、年齢とはちがって、年齢による変化が起きにくい部分もある。それが世代である。世代というのは、同じ時代に生まれた一群の人々を指す概念であり、コホートという人口学的な概念と類似している。同じ年齢帯(つまり同じ時期に出生し)で同時期に同種の経験を行うことが特徴である。

筆者の属する団塊の世代は、1947年から1949年に生まれた人々であり、他の世代に比べて人口が突出しており、市場としての価値も大きかったため、新製品やサービスの開発ターゲットとして注目されつづけてきた。少年サンデーなどの少年誌が創刊されたり、中学の時から受験戦争に巻き込まれたり、大学紛争を経験したり、カウンターカルチャーによって既存の価値観に挑戦し、さらに社会にでてからは企業戦士となり、マイホームブームを牽引してきた。現在では、ほとんどが現役からリタイアし、日本の超高齢社会を構成する要因となっている。

これに対して、たとえば1997年から2012年に生まれたZ世代を取り上げると、彼らは、幼少期からネットやスマートフォンに接して育ってきた世代で、情報に関連したスキルの高いことが特徴である。考え方として多様性の受容やサステイナビリティの推進に前向きな特徴を持つ。組織への帰属意識よりは個人意識が強く、人材市場においては流動性が高い。XやLINE、InstagramなどのSNSを活用しており、テレビなどの旧来メディアにはあまり注目しない。現代日本のこれからを牽引する世代として注目されている。

こうした世代について注意しなければならないのは、同時代的に経験した内容については長期記憶に長期間保存されるし、同時代的に学習した内容は後々まで残る、ということだ。これは肉体的、感覚的、認知的、社会的な変化とは関係なく、それぞれの世代のいわば血肉としてその世代の終焉まで持続するものだ、という点である。

たとえば団塊の世代は、キーボードに触れた最初の世代と言ってよいだろうが、若いころ学習したキーボード打鍵というスキルは、60代、70代になっても体で覚えている。デジタルカメラやパソコン、携帯電話やスマートフォンといった新時代のICT機器は、彼らの成長とともに市場に出現したが、それらの利用スキルについては、やはりキーボード同様に体で覚えている。ただし彼らが70代になってから登場したアプリについては、そのインタフェースが学習済みのアプリと類似性が高ければ利用可能になるが、まったく新規なものだと学習は困難になる。

年齢と時代と世代

ここまでの話で、年齢と時代、世代という概念が登場したが、それらの関係を図示すると下図のようになる。

図 年齢と時代と世代

ここで縦軸は年齢で、便宜上0才から100才までを表示している。横軸は時代で、1910年から2030年までを表示している。ちなみに現在の2025年は破線で示している。世代については、団塊の世代、団塊ジュニア世代、ミレニアル世代、Z世代をとりあげて図示している。たとえば10年たてば、年齢は10才あがるし、時代も10年進む。だからこの図で世代は45度の傾きをもつ右上がりの直線(太い領域)であらわされる。

この図の時代の上に、さまざまなICT機器が登場し、普及した時期を当てはめてみれば、それが各世代の何歳ころに登場したのかの理解が容易になる。たとえばパソコンの登場がおよそ1980年前後であったことからすると、それは団塊の世代が30代前半のバリバリの活躍する時期だったことが分かるし、Z世代はまだ生まれてもいなかったことが分かる。

パソコンが登場した時代、若手だった団塊の世代は積極的にそれに挑み、キーボードリテラシーを獲得し、パソコンの使い方を習得した。だから、団塊の世代は、現在に至るも、キーボードの利用にはあまり抵抗がない。しかるに、1980年当時、40才や50才だった世代は、自分では手書きの原稿を書いて、それを部下や秘書に清書させていた。いいかえれば、団塊の世代より左側の青い斜線の領域に属する世代の人々はパソコンを苦手とする(あるいは知らないでいた)世代といえる。

高齢者に関するインタフェース研究が行われるようになったのは、およそ1990年から2000年であるが、当時の高齢者とその予備軍である60代や50代の人々は、団塊の世代よりも左側の斜線領域に属していた。つまりパソコンのリテラシーをもたない世代であった。だから高齢者にパソコンないしICTを活用させるにはどうしたらいいか、ということが研究テーマになったのである。

しかし、破線で示した現在を見ていただきたい。団塊の世代よりも高齢な人々は80代以上の後期高齢者となっており、彼らはパソコンを使う機会もほとんどなく、使う能力ももっていない。しかし後期高齢者の一部となった団塊の世代は、パソコン利用能力を持ったまま年老いているのだ。身体、感覚、認知などの能力が低下したにも関わらず、ICTリテラシーは保持している、という点に注目すべきだろう。

同じことはスマートフォンについても言えるわけで、筆者が「近年ではスマートフォンやSNSの普及により、この層のネット参加が増加している」という箇所にひっかかりを持った理由もご理解いただけるだろう。現在では、公共交通機関の中などでスマートフォンを操作する高齢者を見かけることは珍しくない。これは機器のインタフェースが改善されて「普及」したことによるものでもあるが、世代的な観点からすれば、至極当然の結果であるともいえるということである。