猫をUSEする?

usabilityの語源に含まれるuseを「使用」や「利用」と訳すのはすこし内容を限定しすぎだと思う。ペットとしての使い道のある犬や猫を飼育することは「使う」ことに入るのか入らないのかという話になる。

  • 黒須教授
  • 2024年6月24日

ユーザビリティのもとになったuseという言葉

ユーザビリティ(usability)という言葉は、いうまでもなくuse + abilityからできたものだが、このuseという言葉を「使用」とか「利用」と一般的な訳語にした場合、すこし内容を限定しすぎているように思っている。

普段、usabilityを説明するときには、「人は目標を達成しようとして人工物を使用する(use)のです」と言って、そこからユーザビリティの意義や必要性を解き明かす論法を使っているのだが、useの訳である「使用」ないし「利用」という言葉は、道具や機器を使うことを強く連想させるためか、その内包が限定的になっているように思うのだ。新明解国語辞典によると、「使用」とは「具体的な用途に応じて何かを使うこと」となっているが「使う」という言い方をしたのでは同義反復に近い。また「利用」とは

①本来、そのためにあるわけではないものを、うまく使って何か(自分に)役立たせること、
②そのものの持つ利点を積極的に生かして使って、恩恵を受けること

となっており、やはり「使う」という言葉を使った定義にはなっている。

それでは、大元ともいえる「使う」という言葉がどうなっているかというと、新明解では

①あることのためにそれを働かせる、
②あることのためにそれを材料(道具、手段)として役に立てる、
③それで何かをした結果、その量を減らす、
④それでもって特定の行動をする、
⑤自分の思うとおりに操る

とかなり多義的・多面的であることがわかる。そして、いずれも人工物を「使う」という言い方の文脈にはあてはまる。その意味では「使用」とか「利用」という言い方は、冒頭に書いたように限定的すぎるようだから、それよりは「使う」という和語的な言い方をした方がいいのかもしれない。

猫をUSEする、とは

今回のタイトルとした「猫をUSEする」は、これが猫でなく犬や馬などであれば分かりやすいだろう。犬なら番犬として、あるいは狩猟犬や捜索犬などとしての「使い」方があるし、馬なら騎乗する馬、農耕を助ける馬、馬車を引く馬などの「使い」方がある。しかし、それだけではないだろう。特に犬は猫と同様にペットとしての「使い道」があるからだ。

それでは、ペットとして飼育することは「使う」ことに入るのか入らないのかという話になる。前記の新明解の定義では、ペットとして飼育することは、④か⑤あたりが該当するようにも思えるのだが、厳密に考えるとペットによって特定の行動をするというのはスッキリしないし、思うとおりに操るという点については、特に猫の場合には当てはまらない。むしろ、猫が自分勝手に生きている様を観察するのが猫を飼う愉しみであったりするからだ。しかし、躾けにくいといわれる猫でも、基本的な言葉は理解できるみたいだし、トイレはちゃんと守ってくれる。つまり、人間の作った環境に適応してくれているわけで、その意味では猫も人工物とみなすことができる。

我が家の猫

これが植木なんかだったりすると、人工物というニュアンスはもっと強くなり、植木は職人という人間によって自在に刈り込まれてしまう。きれいに刈られた柘植の木やツツジの街路樹をみて、それを人工物だと思わない人がいるだろうか。その意味では、積極的に「使わなくても」、人間はいろいろな自然物を使っているといえるのではないだろうか。もちろん広い意味での「使う」ではあるが。

また、もうひとつの例として絵画や彫刻がある。これらは明らかな人工物ではあるが、それを「使って」いることは確かだろう。壁面に飾ったり、玄関に置いたりすることで、新明解流にいえば「あることのためにそれを働かせる、あることのためにそれを材料(道具、手段)として役に立てる」には該当するように思う。ここで「あること」とは、しいて言えば「心の癒し」ということになる。だから、筆者のように版画を買い過ぎて、壁面に飾れない分については床にドサッとまとめて置いていたりする場合は「使う」ことになっていないのである。

消費という考え方

ここで考えておきたい概念が「消費」ということだ。英語なら動詞でconsume、名詞ではconsumptionとなる。辞書にはconsumeの類語表現としてuse up(使い切る、使い果たす)と書かれているからも、useと縁の深い言葉であることは分かる。

この消費という言葉は、新明解でいえば「目的を遂げたり、欲望を満たしたりするために、有用なものを、使って無くすこと」となるのだが、それよりは経済学で言われる「消費財を使用することで用益を得ること」(ウィキペディア)という考え方の方がコンパクトですっきりしている。製品もサービスもシステムも、それを使うことで用益を得ることを目指すなら、それは消費社会が目指しているところである。さらに犬猫をペットとして飼ったり、植木を刈り込んだり、絵画彫刻を飾ることも「欲望を満たそうとする」行為である。その意味では、「使う」という言葉よりは「消費する」という言葉の方が本稿の文脈では適切だ、といえるかもしれない。もちろん「利用」や「使用」よりも、である。

なお、新明解の「目的を遂げ」という部分は、目標達成という筆者のロジックとは合っているし、ウィキペディアの「用益を得る」という部分はuseの意味を考える上でも重要だろう。「用益」というのは、新明解では「使用と収益」となっている。この「収益」というのは「事業などから利益を収めること、またその利益」となっており、利益は世間では金額によってあらわされる客観的な指標である。

効用の登場

それでは「利益」という客観的な指標しか考えられないのだろうか。ここで考えておきたいのは、そもそも「使う」ことによって得られるものは金額で表現されうることもあるが、それでは表現できない主観的なものであることも多い。そこで「効用」という概念に登場してもらうことになる。ただし、ここでは新明解は役に立たない。そこでは「使途よろしきを得れば、当然期待される、それを使っただけの意味、効果」となっており、新明解にアルアルなのだが、時々このようなユニークな説明が入ってしまっているからだ。むしろ経済学からの説明の方がここでは有用である。そこでウィキペディアに登場してもらおう。そこでは「効用(utility)とは、経済学(ミクロ経済学)の基本的概念であり、各消費者が財やサービスを消費することによって得ることができる満足の度合いのこと」と書かれており、満足の度合いという筆者のUXの定義につながる概念がようやくでてきたのである。

筆者はUXの指標として満足度を使っており、ここまでの流れをまとめると、(使うことではなく)消費することによって得られる満足(satisfaction)という効用こそが、UXの指標となる、というわけである。ただ、useの代わりにconsumeを使うと、ユーザビリティという概念、ないしは表現が崩れてしまいかねないので、最終的にはuseを拡大解釈して、consumeに近い意味合いを持つものと考え、それによってユーザビリティを経由してUXに至ることができる、というように考えるのが適切であろう。

なお、シャッケルのユーザビリティの定義以来、ユーザビリティとともに使われてきたユーティリティであるが、彼の文脈では効用という意味合いではなく、機能や性能のことを意味しているものであり、混同しやすいので注意しなければならない。