ユーザビリティの原点は、源流にさかのぼってユーザーの本質を調査した上での商品化
ユーザビリティとHCDの概念を日本に広めた~黒須正明氏(第2回)
黒須先生へのインタビューの第2回。もの作りやサービス設計で無視できないユーザビリティの考え方と本質について、ユーザーを理解した上で、ハッピーと思ってもらえる商品つくりを、とお話しいただいた。
本サイトの「黒須教授のユーザ工学講義」でも執筆いただいている、黒須先生へのインタビューの2回目。「もの作り」やサービス設計で無視できないユーザビリティの考え方と本質について、ユーザーを理解した上で、ハッピーと思ってもらえる商品つくりの核心を語っていただいた。これまでの「もの作り」は、利用者の核心に迫ったものだったのだろうかと改めて見つめ直す機会につながった。
聞き手: U-Site編集長
ユーザビリティはやさしければいいものから、努力を軽減する方向へ
−−一般の方が使う日本語ワープロなどのハードウェアのユーザビリティから、2000年代以降のWebのユーザビリティへ、ユーザビリティの対象が、対価を支払ってから使いはじめる商品だけでなく対価を支払わずに使えるサービスまで広がってきましたが、ユーザビリティの重要性に変化はありましたか?
ユーザビリティの重要性は対象製品が異なっても変わりませんが、時代の変化に伴いユーザビリティの提案方法は変化しました。『ユーザ工学入門』(黒須正明・伊藤昌子・時津倫子, 共立出版)という本を出したときには、『ユーザーを中心にして「もの作り」をすること』を主にしていました。それはHCDやUCDの考え方と基本的に同じもので、「ユーザーにとって使いにくいものはよくないので、使いやすいものを提案しよう」というものでした。これは、ハイテク弱者の僕でもICT機器をもっと使えるようになれば、生産性も上がってありがたいことになり、満足感も向上するはずという考えに起因します。
この考え方を一般化すると、僕にとってうれしくてありがたいことは、みんなにとってもうれしくてありがたいことなのではないか、というようにも考えられます。しかしこうした自己中心的な考え方では、下手をするとエンジニアにとって使いやすいものを作っていくことを助長してしまい、一般の人たちにとって必ずしも使いやすい製品にはなりません。そこで第三者評価を入れて、一般の人たちにとってユーザブルな製品を作ろうという提案をしてきました。今はこれが「もの作り」の常識になっていますよね。
時代の変化ですが、2000年代に入ったころから、周りの人たちはどう使っているのだろうかと見回すようになりました。すると、多くのユーザーが同じ問題点を抱えていて、不便なことでも何とか努力して仕事をしていたのです。言い換えると、それほど、人間は適応能力に富んでいるともいえます。しかし、ときにはユーザーへ不便を押し付けすぎていて、ユーザーは使うための努力をしすぎているのではないかと感じる部分も見受けられます。そこで、ユーザーに努力をしてもらいすぎの部分は、もう少しユーザーを楽にしてあげましょうよというユーザビリティの提案に変化しました。
自分中心のUCD、HCDが20世紀だったとすると、他人に対して視点を広げたのが21世紀からの変化だったとも言えるでしょう。そして他人を理解する手法として質的な理解に関心を持つようになりました。
−−人気記事となった、「質的データの分析に手法は必要か」を執筆していただきましたが、先生が質的なことに関心を持つきっかけはなんだったのでしょうか。
僕が日立にいたころは質的な手法・量的な手法を区別することはなく、必要なときに必要な調査をしていました。ところが、国際心理学会やSIGCHI (Special Interest Group on Computer-Human Interaction)へ行っていたころに時代が変化し始めました。
アメリカのSAGEという心理学系の出版社は、質的手法に着目したシリーズを出版していました。CHIでも技術開発だけではなく人間に関する研究が増えていて、世の中がユーザビリティの流れに向かっていました。こうした状況を直視していると、「これからは人間に対してきちんとアプローチする道を見つけて整理しないといけないだろう」と感じたのです。そして、2007年にまとめた『ユーザビリティハンドブック』(「ユーザビリティハンドブック」編集委員会, 共立出版)が、質的なユーザビリティ調査に関してまとめた最初のものになりました。
対象者を理解する手法としてGTA (Grounded Theory Approach)がありますが、これは対象者の理解にとどまります。そこで僕は、カレン・ホルツブラットの“Contextual Design” (Karen Holtzblatt・Hugh Beyer, Morgan & Claypool Publishers)にあったように、さらに問題点を見つけて改善へつなげるアプローチを進めました。これら、対象者を理解して「もの作り」につなげていく方法は次第に広まっていきました。しかし、本当の課題は「そもそも問題が出ないようにするにはどうすればいいんだろうか」ということで、もう一段階さかのぼったアプローチが必要だったのです。
当時、僕はアメリカのスーザン・ドレイ(ユーザビリティ活動の先駆者のひとり)と友達になって、対象者の理解と「もの作り」についていろいろ話をしました。そこで明確になったことは、「問題が起きてからそれを調べて場所を特定して改善をするよりも、上流にさかのぼってユーザーをきちんと調べてあらかじめ対策をすることのほうが大事」ということでした。
たとえば、インテルは、さらなる上流でユーザーを理解するアプローチを実践している会社でした。今でいうエスノグラフィーを使って、各家庭のコミュニケーションの内容を手紙からメールまでどういう目的でどういう通信手段を選んでいるかを調査したのです。インテルがどんなにこの調査をしても、直接商売にはつながりません。しかし、将来必要となる機能が見えてくれば、インテルの今後の事業の方向性を大きく左右します。インテルは、こうした先見性を持っていたのです。
ユーザーの本質を知ってから「ものを作る」にシフトする
−−そのころの国内メーカーはどういう状況だったのでしょうか?
当時の国内メーカーは「作って売ったら当たった」みたいなものの作り方をしていたので、もう少し根底から製品作りを考えないといけないと感じていました。インテルのような先見性を日本のメーカーにもってもらい、将来の製品作りに役立ててほしかった。そのように感じていたころに、UXという概念が徐々に広まっていったのです。
UXの歴史は古くて98年ごろ。そのころのUXは、単品の特定操作のユーザビリティではなくて、製品やシステム全体の使い良さを大事にしていました。しかし、製品やシステムが日常生活に入り込んでくると、製品がどう使われて、それがユーザーにとって何をもたらしてくれるかが重要で、僕はそこが気になっていたのです。製品に機能の魅力と見かけのよさはあってもいいのですが、その魅力を下支えする実質的なユーザビリティが必要です。
見かけのユーザビリティと美しさは相関が強いので、人々にとってそれが製品やサービスの魅力になります。これはノーマンの『エモーショナル・デザイン—微笑を誘うモノたちのために』(ドナルド・A. ノーマン・岡本 明 (訳), 新曜社)にも引用されて少し話題になりました。僕はマーケティングにも関心がありますが、ユーザビリティの着眼点はそれとは異なります。売るためのユーザビリティではなくて、製品寿命まで使ったときにこれを使ってよかったと思えるユーザビリティこそが、製品をより強くして売れるものになると考えています。
−−さきほどGTAの話が出ましたが、エスノグラフィーでフィールド調査の分析をされるときに、具体的な分析手法はどんなものが使われることが多いのでしょうか?
共同研究者である首都大学東京の橋爪先生はM-GTA (Modified Grounded Theory Approach)がお好きなのですが、僕自身は名古屋大学の大谷先生が作ったSCAT (Steps for Coding and Theorization)をベースにしています。そして、それに経験に基づく直感と洞察を加えています。戈木クレイグヒル滋子先生(慶應義塾大学)の本にも書いてありましたが、GTAだけを使っている人はそんなに多くはなくて、直感と洞察を組み合わせている人が多いようです。分析の初期段階で方向性が定まらないときに、調査した結果を整理するGTAやSCATなどの手法は着眼点を見つけるための補助役として使われている方が多いようです。ある程度慣れてくると、手法に頼らなくても分析できるようになります。
−−過去の分析結果の中で例として出していただけるものはありますか?
石垣島に住む人と、都内に住む人とを比較して、携帯電話のリテラシーの違いや、利用目的、利用場所を調査した研究があります。コミュニケーションやサポートの実態、ゲートボールのような屋外型エンターテイメントと比較して携帯電話がエンターテイメント的なメディアになるのかという調査をしました。
結果は予算切れで、遠方で調査するには期間が1週間程度と厳しかったです。しかし、発見できたことはいろいろあります。たとえば石垣島でのエピソードとしては、お母さんが畑に出ていてお父さんが海に出ていて、「ご飯何時にする?」と聞くというようなものがありました。また、石垣島では子供が沖縄本島や本土にいっているので、携帯電話の使い方で分からないことが出たらショップに聞きにいく人が多いという傾向もありました。
20世紀はじめの人類学者でエスノグラフィーを確立したブロニスロウ・マリノフスキーは、トロブリアンド諸島に2年間いました。彼はKJ法もGTAのような手法もない中で、その場で長期にわたってじっくり調査して立派な民族学誌を書きあげました。マリノフスキーにはそういう資質があったのでしょう。
長期間その場にいられなければ、せめて1ヶ月、2ヶ月、あるいはシーズンごとに1週間や10日ぐらい行って調査を継続しないと本当のことはわからないものです。たとえば1年間現地に通えば、季節によって変化する利用実態や、また長期的に使った後での状況が調査できるので、長期的なUX問題の解決にもなります。
エスノ調査の資質は、その環境に溶け込めること
−−先生が考える、エスノグラフィーの資質というのはどういうものでしょうか。
その環境に溶け込む能力で、現地の方と気軽に話ができて皆の中に溶け込めることでしょう。マリノフスキーは短パンはいた肌の白い人間なので、原住民とは見た目もちがうし完全に同化はできません。しかし、同化できなくても情報が得られないわけではありません。
マリノフスキーは原住民にいろいろものを尋ねても、原住民はものごとの抽象化ができていないのでその説明ができなかった。そこで、マリノフスキーは原住民の生活を客観的に見て情報を集めたわけです。集めた情報を抽象化、理論化して論理構築をしたことで、「実はこういうことだったのです」と説明ができたわけです。
『神去なあなあ日常』(三浦しをん, 徳間書店)という本があります。主人公は都会の高校を卒業した直後に親に三重県の神去村に送り込まれます。最初は、神去村の部外者だった主人公が、次第にそこで暮らそうと思うようになります。この小説を読むと、部外者がだんだん地域に溶け込んでいく様がよくわかります。フィールドワークにはこういう経緯があるわけです。
−−「もの作り」におけるエスノグラフィーでの課題はどういったところにありますか?
今のビジネスエスノグラフィーのひとつの方向性は、ある商品をローカライズする場合でしょう。その結果、ムスリムの人たちに向けてメッカの方向をさす腕時計とか、インドでは冷蔵庫に鍵を付けるといいということがわかります。それを実際に商品化すればカシオの腕時計やLGの冷蔵庫のように売れるものになりますが、これは売るための手段です。
ビジネスエスノグラフィーで必要とされる洞察力は、人間の行動を見てそこから必要なことを抽象化して理論化することです。ムスリムの人はメッカにむかっておじぎをします。その行動を見てメッカの方向がわかる機能があればいいというのは考察ではなく発見です。インドではカレー粉をたくさん使うので、白よりもグレーの冷蔵庫がいいというのも発見です。1~2週間の調査で洞察力のある人には発見はできますが、これだけでは理論の構築へはつながりません。なぜ理論の構築が必要なのかというと、理論構築をすることで理学から工学のステージへ進めるからです。
工学は、理論構築した上で、理論をさらに先に進めてどういうふうにしてどんなものを作ったらユーザーのためにいいものが作れるかを考えます。現地の人々は、腕時計や冷蔵庫の機能に満足しているようですので、そのUXも長期的に見ると高い評価になるかもしれません。