モノとコトのUXから、人間の原点「感情」への回帰

ユーザビリティとHCDの概念を日本に広めた~黒須正明氏(最終回)

黒須先生へのインタビューの最終回。モノのユーザビリティからサービスのUXまで切り開いてきた黒須先生は、次の課題として「感情」を視野に入れていらっしゃいました。

  • U-Site編集部
  • 2015年5月20日

黒須 正明(くろす まさあき) 放送大学 情報コース 教授。ユーザインターフェイス、ユーザビリティの研究者。
黒須 正明(くろす まさあき) 放送大学 情報コース 教授。ユーザインターフェイス、ユーザビリティの研究者。

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本サイトの「黒須教授のユーザ工学講義」でも執筆いただいている黒須先生のインタビューの最終回。モノのユーザビリティからサービスのUXまで切り開いてきた黒須先生は、次の課題として感情を視野に入れていた。機械が感情を理解することは、いずれ我々の生活に入ってくることになるAI(人工知能)でのUXの基本となる。

聞き手: U-Site編集長

感情が数値で表せる時代になった。人間の気持ちも計算で算出できるかも

--最近、先生が手がけている、あるいは、手がけようとしている研究テーマはどういったものでしょうか?

いろいろ深堀りしたいことはありますが、今は執筆活動の比率が高めです。ちょうど今、研究する人のあり方をまとめた、『研究者の省察』という本(近代科学社, 2015年の夏~秋ごろ発刊予定)の原稿を脱稿したところです。また、“Theory of user engineering”というユーザ工学の話を英語で執筆しています。こちらは原稿の締め切りが1年延びたので、今は内容の完成度を高める作業をやっています。これ以外の企画としては、下手をすると核開発と同じ、もしくはそれ以上のレベルで人間に災難をもたらすかもしれないAIに関する話もまとめていきたいです。AIはどうコントロールすればいいのかなどを日々考えています。

今はこうした活動が中心で、自らの研究テーマを追求していける状態ではないのですが、あと2年もすると定年になるので、僕自身が追求したいテーマはそこからがスタートになるでしょう。まだ構想段階ですが、ユーザ工学フォーラムというユーザの立場にたった組織を立ち上げることも考えています。また最近は、感性工学分野にも足を踏み入れていて、感性コミュニケーションに関する本も書きたいと思っています。いずれにしても、概念的な研究なら予算が少なくてもまとまるので、より結果が出しやすいといえるでしょう。

モデル化していく研究ですが、感性工学分野では、人間の認知的な情報プロセスと感情的な情報プロセスに脳科学的な裏付けができるようになりました。あらゆる記憶につながるエピソードは感情値(valence)を持ちます。プルチックの感情の輪では、感情は円周上に配置した立体モデルとして考えられています。厳密にいえば、感情の質は輪環状になっているので、感情の値をベクトルとして表わせます。こうした感情のベクトルが頭の中にいっぱいあって、あることについて深く考えようとすると、頭の中でこうしたものがすべて集まってきて、情報に関する統合処理が始まります。中には例外性に対する統合処理もありますが、最終的にはこういうエピソードでは好意的な気持ちと不快な気持ちがあって、アンビバレンツである、という計算結果が出せるのではないか、と考えています。

プルチックの感情の輪。感情は円周上に配置した立体モデルとして考えられている。(From Wikipedia
ものを考えると頭の中で感情のベクトルが作用して感情を機械が類推できる。使っている人間の感情を想定して最適な答えを出すという、ユーザビリティの新たな世界が黒須先生の中では見え始めている。
ものを考えると頭の中で感情のベクトルが作用して感情を機械が類推できる。使っている人間の感情を想定して最適な答えを出すという、ユーザビリティの新たな世界が黒須先生の中では見え始めている。

このようなモデルの概略を、数年前にKEER 2010(Kansei Engineering and Emotion Research 2010)という学会で発表をしたところ、特に強い批判はありませんでした。そこで、これをもう少し突き詰めていこうと思っています。おそらく、こうしたモデルを追求できるころには、ユーザビリティUXは精神的な支柱というかたちで僕の中にありながらも、具体的にやることはもう少しシステムづくりに近いことになるはずです。こうして、元のUI研究に徐々に戻っていくのでしょう。

うまくなるテクニックを追及するのではなく、認知プロセスから人間性を向上できないのだろうか?

また、インタビューのうまい人とへたな人の違いにも興味をもっています。といってもテクニック的な話ではなく、会話における認知プロセスの話を共同研究として始めています。インタビューをする人は、相手の話を理解すると同時に、次にどのようなことを質問するかという、いわば頭のなかでデュアルプロセスを活性化しているわけですが、この後者の質問生成プロセスは結構複雑な構造をしていると考えています。ただ、少なくとも現象として、授業の中で同じことを説明したのにインタビューを実行した結果、まったくへたくそな学生もいれば、プロ顔負けの学生もいるように、個人の能力にも関係している話です。知能や性格とも関係づけながら、この質問生成プロセスを明らかにし、それから、どのようにすれば下手な人をうまくできるようにするかを考えようとしています。

それから、人工物進化学についても、断片的な話ではなく系統的な話として書籍化をした方がいいかなと思っています。これは意味性につながる重要な視点なので、方法論として体系化が必要なのです。

これから我々に必要なものは、ものごとの本質的に深いところで人間と関わり合いが持てるようなものを理論化していくことです。そのためには、改めて人間に関する研究をする必要があると考えています。

自分のやるべき活動を把握して、流れに流されずに自分のスタイルを確立せよ

--ユーザビリティやUXで仕事をしている方々に向けて、これからどういう心づもりで活動していけばいいのか、助言をいただけませんか。

他人のいっていることを真に受けないこと。最近いろいろな説やいろいろな方法論が出てきて、それに右往左往している中堅どころが多数いて、それがとても気になっています。あなたのやっていることは発見なのか、洞察なのか、そしてその深さにも気をつけてほしいです。

また、自分のやっている活動の位置づけを把握するように意識しましょう。自分は誰のために働いて、お金を出している人はこの人で、そのお金の原資はこの会社からでているという一連の流れです。それに酬いるかたちできちんとした成果を出すことが結果の出し方のひとつです。しかし、そうした枠組みの中に自分がはまり込んでしまっていると気がついたら、そこから抜け出して、自分はこのやり方でいいのだろうかということを改めて考え直してみることも悪くはないです。

企業の活動はとても強くて大きくて流されやすいものです。しかし、流されると抜け出せなくなるので、気づいたら早めにその流れから抜け出して、メタな視点にさかのぼって活動全体の意味を見直すことも必要です。

--先生は「意味性」の話を書いていますが、そこにもつながりますか?

意味性とは、ある利用状況下で任意の人工物がユーザにとってどんな意味を持っているかを認識することです。ある状況下で、その人工物は何をするもので、こう使うと人間の役に立つという存在の意味があります。私たちはその意味を認識することで、これをどう使ってどう活動すべきなのだろうかということが再認識でき、使い方の反省をする機会が得られます。これもユーザビリティやUXを考えていく上でとても大事なことです。

インタラクションは機械と人とのつながりであるが、人と人のつながりも同じぐらい大事。製品も売りっぱなしではなく発売後のフォローアップが大切。ユーザビリティの真髄の考え方を我々は製品づくりで実践していかなければいけない。

--つながりという面では、「なぜそんなに繋がろうとするのか」という記事もアクセス数が多かったです。

最近は情報が多いので、それを読んで「ああそう」と思うだけで終わらせないでほしいのです。ときにはそうした情報から離れてものごとを考えてみることも必要です。情報から離れて、自分の頭をもっと信用すべきでしょう。そして、自分の頭で考えることによって、群れることに対する危機感をもってほしいのです。みんながやっているから私もやってみようというスタイルは悪くはありません。しかし、常に流されるスタイルは困ります。

僕は流されることを好まないので、いわしや雁の群よりも、とんびや鷹のように一羽で街を俯瞰するほうを好みます。しかし、一匹狼になっても、周りとのコミュニケーションを放棄していいわけではありません。これは人間としての課題で、コミュニケーションスキルはより円滑に保つべきです。

最近の若い人は、群れているのにコミュニケーション能力が低いように感じます。自分が本当に伝えたいことはこれだという「内省力」がないので、内省力をきちんと持って欲しいのです。内省力を強化するためには、自分の時間を大事にして自分の時間で自分の考えをまとめていく力をつけていくといいでしょう。

こうした活動をしていると、周りから「変なやつ」とか「変なことをいう」といわれることもあるでしょうが、いちいち気にしてはいけません。なんとなく群れて話をするのではなく、我が道を貫いてほしいのです。もし、みんながそういう自覚をもっていたら、日本はもっと強くなります。

ところで、人を変えないと組織は変わらないということをU-Siteの原稿で書きました。人には自分でつちかってきた仕事のやり方とか見方があるので、同じ人が同じ職制にいる限り組織の名前を変えても結果は変わりません。職制をちょっといじったぐらいでは効果がありませんし、管理職も自分の責任感をちゃんと持っていない傾向があります。日本のものづくりを強くしていくには、根本的なところを変えていかないと変化していかないと思っています。

製品づくりも同様で、今の日本のメーカーはプロジェクトで製品作っておしまい。さあ次の製品を作りましょうというサイクルにおちいっています。製品づくりで企業を強くしていくには、それがどういうふうに誰に売れて、いつごろライフサイクルを終えたという過去を振り返るフォローアップが大切です。フォローアップは、開発ではない別の部門がやってもかまわないのですが、ほとんどの会社がそういう体制にはなっていません。製品を出したあとにも責任をもって製品をみていきましょう。そこに必ず次の製品づくりにつながる情報があります。

その意味で、人類がたどってきたモノやコトの歴史を振り返る人工物進化学の視点は、意味性をあらためて問い直すために大変重要なものです。せっかくお金をかけ、人を投入して、モノやコトを作っても、それが意味のないものだったら全くの無駄になってしまうわけですから。