HCD-Netの未来に向けて-2/2

HCD-Net(人間中心設計推進機構)から2020年11月24日に「人間中心デザイン基礎知識体系」が公開された。その内容をみると、首をかしげざるを得ない箇所が多かった。そこで、今回は(前回に引き続いて)、その基礎知識体系について批判的検討を行うことにしたい。

  • 黒須教授
  • 2021年3月12日

(「HCD-Netの未来に向けて-1/2」からのつづき)

2020年11月24日に「人間中心デザイン基礎知識体系」が公開された。そこで、今回は(前回に引き続いて)、その基礎知識体系について批判的検討を行うことにしたい。もちろん、その意図はHCD-Netに適切な方向に進んでもらいたいという点にあり、HCD-Netの活動を否定するつもりがあってのことではない。以下、気のついた点について、まずは概要版について、次に本体(レポート)についてコメントをつけてゆくことにする。

人間中心デザイン基礎知識体系図

今回の資料でも問題の多いのがP.14にあるこの図だろう。そもそもこの図はプロセスの流れを表したものか、概念の包摂関係をあらわしたものか、よくわからない。グラフィックデザイン的に「なんとなくまとめてみました」的な印象を受けるのだ。

図
人間中心デザイン基礎知識体系 概要版 P.14

よくよく見ると、グレーの円形の理念と基本知識が「メソッド(プロセス+手法)」とマインドセット(心構え・捉え方)」(P.11)に対応するようにも見えるのだが、中に含まれている横長の楕円の部分がプロセスに対応するようでもあり、よく分からない。人間中心デザインの定義では、メソッドとマインドセットと言っておきながら、この図では、マインドセットは理念の一部に入っており、メソッドという言葉は見当たらない。要するに一貫性のない資料である。

さて、プロセスらしき横長の円形に入ると、左に計画、右に運用と書かれている。どうやら左から右に読むものらしい。とすると、真ん中の三分割された円形は、両者の間で「回される」部分のように思われる。しかしながら、その円形は要求定義、具体化、評価と三分割されており、ユーザ調査を含む四分割にはなっていない。つまり、要求定義の前に、ユーザ調査が含まれていない、という大きな問題があるのだ。

要求定義に入っている矢印を見ると「現状の利用状況の把握」「理想の利用状況の想定」「潜在要求の把握、発見」などが含まれていて、どうやら要求定義の段階で、ユーザ調査を含めて実施することを提唱しているようではある。これは、おそらくは元にしたISOの図の4つの活動段階と比較しても、あるいはデザイン思考のプロセス図と比較しても大きな問題を含んでいる。

ユーザの特性やその利用状況を把握するためにユーザ調査を行うことは、現在では常識であり、それは要求定義のなかに含めてしまえるほど小さな活動ではないからだ。ユーザ調査は要求定義と関係が強いから中にいれました、といいたいのなら、評価を具体化のなかに含めてしまってもいいではないか。具体化をすれば形成的評価を行うことになる。従来だってデザインレビューという活動は行われていた。だとすれば、この三分割の図は要求定義と具現化の2分割でいいじゃないかということになる。

この図を作成した人は、HCDの特徴が、特にユーザ調査と評価の段階にあるということがわかっていないのだろう(そんな人に作図を任せた理事会も問題ではあるが)。その重要なユーザ調査を省略してしまうとは、なんともはや嘆かわしくて怒る気もしない。そもそもHCD以前の設計作業では、要求定義と具現化は行われていた。QFDなんかのツールは要求定義で、モデリングなどの手法は具現化で使われていた。しかし、それだけではユーザの特性や利用状況に適合した人工物が設計できなかったから、HCDではユーザ調査や評価を強調したのではなかったか。

ISOのプロセス図の残滓など

さて、少しは本体についても触れておくことにしたい。そこにはP.23の「日本発の人間中心デザイン」などという聞き捨てならない表現もあるが、そうした細かい欠点をいちいちあげつらうことは避けよう。

パッと眼につく範囲で引っかかるところを見つけると、P.32の「HCD専門資格コンピタンス体系」の図がある。ここにはISOのHCDのプロセス図のなかにコンピタンスが配置されており、あれ、やっぱりISOのプロセス図をベースとしているのか、それじゃあ「人間中心デザイン基礎知識体系」のプロセスとの関係はどうなっているのかが分からなくなってしまっている。

人間中心デザイン基礎知識体系 報告書 P.32

さらに、そのP.32の図、ないしP.33のHCD専門資格コンピタンス一覧では、近代科学社から刊行している「人間中心設計シリーズ」全8巻との関係が明示されていない。もともと、このシリーズは、HCD-Netの広報社会化事業部の活動として開始されたもので、ある意味では、「HCD-Netのもの」である筈だ。第0巻の刊行時にはお祭り騒ぎもしたではないか。そのシリーズとコンピタンスが関連付けられていないというのは、広報・社会化事業部の怠慢、あるいは資格認定担当セクションの怠慢というべきだろう。

聞くところによると、資格認定の事業はHCD-Netから独立させるプランもあるらしい。そうであるとすると、「認定人間中心設計専門家」の資格とHCDの考える「人間中心設計」との間に齟齬が生じる可能性はないのだろうか。それとも単なる事業的な都合によるものなのだろうか。

またP.39には「人間中心デザイン基礎知識研修/認定の海外連携」という項目がある。その目的の項目には「主要な海外関連団体の資格制度や研修制度との間で「関連付けられた状態をつくること」や「海外で資格制度や研修制度を運営する団体からの推薦(エンドースメント)を得ること」が大事な活動となる」と書かれているが、果たしてそうであろうか。海外との交流は、たしかに今後ますます盛んになるだろうし、日本でユーザ調査や評価を実施してほしいという依頼が多くなることも考えられる。

しかし、その際に、日本にはHCD-Netという団体がやっている「認定人間中心設計専門家」という資格制度があり、今回の調査や評価には、その有資格者が何人か参加します、と回答することで十分ではないか。ドイツのUXQBやオーストリアのUXQCCという組織と連携するのも結構だが、各資格の同等性を確認したり国際的に通用する資格にすることにどれだけの意味があるだろうか。日本での調査には、日本のHCD-Netの有資格者が実施を担当する、でいいのではないか。

それよりは、UXPAなどの国際組織の場でもっと発表(といってもUXPAはいわゆる学会ではないので、論文発表の場と勘違いしないことが必要)をし、HCD-Netの海外における認知度を高めるようにすることが喫緊の課題といえるのではないか。まあ、そのためには、英語などの外国語の堪能な有資格者が増えてくれなければ困るが。

おわりに

以上で大まかなレビューを終えることにする。最初に書いたように、これはHCD-Netの発展を祈念して行ったもので、HCD-Netを貶めることを目的としたものではない。ただ、今回発表された資料がHCD-Netのなかでどのような位置をしめるものか、果たしてそれは理事会の総意を反映したものか、ほんとうに執行部の皆さん方がそう思っておられるのかどうか、そこが気になったために書いたものである。

ISOの規格であれば、NP(新作業項目の提案)、WD(作業原案の作成)、CD(委員会原案の作成)、DIS(国際規格原案の照会及び策定)、FDIS(最終国際企画案の策定)、IS(国際規格の発行)という6段階の手順を経る。そして、FDISまでは基本的に外部への公開は禁止されている。今回の資料は、ISOでいえばせいぜいWDの段階だろう。それをきちんとしたものにするためには、もっと有識者を集めて委員会を作り、少なくとも2,3年を書けてまとめあげるくらいのことが必要だったろう。その最中には、当然ながら組織名の変更(人間中心設計推進機構から人間中心デザイン推進機構へ)の議論も含まれるだろう。

今回の資料が、まだ素案に近い段階で外部に公表されてしまったのは、組織としての焦りがあったからかもしれないが、もう少しきちんと吟味する体制と里程標が必要になるだろう。