ユーザビリティやUXに関係する4種類の心理学的「事実」(4)

洞察型の心理学的「事実」

ユーザビリティ・UXと心理学とを関連づけた書籍が複数出版されている。そこに掲載されている心理学的「事実」とされるものには、幾つかのタイプがある。本稿では、そのうちの1つ、洞察型について少し詳しく説明してみたい。

  • 黒須教授
  • 2023年3月16日

洞察型

以前に書いたように、筆者は心理学的「事実」なるものを以下の4つに分類している。仮説検証型探索型経験則型、洞察型であり、今回は、その最後の洞察型について説明したい。

洞察型は、よくわからないことに関して「こう考えてみようよ」という提唱者の考える仮説的な構造を示したもので、実験などによっては検証され得ないようなタイプである。

フロイトの人格モデル

洞察型のモデルの歴史的な典型例は、図1に示すフロイトの人格モデルである。彼によると、意識された状態は直接的な知覚にもとづいて成立しているが、そこに心の本質はなく、意識は単に心的なものの一つの質である。意識された状態は永続的ではなく、むしろ無意識という潜在的に意識化されうる状態が主である。この無意識のなかには抑圧されて表面化してこないものがあり、そうした抑圧という抵抗を取り除くには精神分析の技法が役に立つ。そこで、彼は無意識を二つにわけ、潜在的に意識化できる前意識的なものと、抑圧されているために普段は意識できない無意識と呼んだ。

自我の構造については、前意識的な自我と、無意識的なエスとから構成され、前者は現実原則によって現実に対応しようとし、後者は快楽原則によって行動しようとする。自我は、理性によってエスを制御しようとするが、多くの場合、エスは暴れ馬のように走り回ってしまう。無意識には、自我やエスのほかに、社会的、倫理的に高く評価される自己批判や良心も含まれる。それらは神経症患者の場合には罪悪感を引き起こす元となる。これが超自我である。

図1 フロイトの考えた自我の構造
左:Freud, S. (1933) “Die Zerlegung der psychischen Persönlichkeit” 31. Vorlesung, “Neue Folge der Vorlesung zur Einführung in die Psychoanalyse”
右:フロイト、S. (1933)『続精神分析入門』

この自我、エス、超自我からなる構造がフロイトの自我論の基本になっており、それにより、様々なコンプレックスや神経症が説明される。しかし、この三つの自我要素はどこにあるのだろう。生理学的な対応は明らかなのだろうか。否である。

この自我構造は、フロイトが臨床医として経験してきた数々の症例を説明するために合理的と考えられ、提唱されたものにすぎない。それゆえに、このモデルは洞察型と命名するカテゴリーに分類されることになる。

ノーマンの7段階モデル

フロイトの自我構造のモデルは洞察型に属する心理学的「事実」の古典的な代表例ではあるが、ユーザのインタフェース行動(注)との関連性はあまり高くない。もちろん、一時期、広告論やマーケティング論ではやった精神分析の応用的アプローチ…たとえばコカ・コーラのボトルの中途がくびれた形状に女性の体のラインを読み取るような…は、消費者行動に関係づけることができるが、最近はあまり流行ってはいないだろう。

注:インタフェース行動には、機器操作も含まれれば、画面デザインに魅力を感じることも含まれる。動作の鈍いコンピュータに腹をたててキーボードをたたいてしまうことも行動である(「操作」とは呼ばない)。

むしろ、直接的にユーザビリティに関係してくる洞察型のモデルの代表例としては、ノーマンの7段階モデルを取り上げるのが良いだろう。この有名なモデルにはいくつかのバージョンがあるが、基本的には図2に示すようなものである。

図2 ノーマンの7段階モデル(Norman, D. A. 1988, 2013を多少改変したもの)

有名なモデルなので特に詳しい説明は必要ないかと思うが、人間が人工物(図では外界)を利用して何らかの目標を達成したいと思ったときには、まず左側の「プラン」「詳細化」「実行」という段階を経る、そして外界での処理が始まり、それが終了した時点で右側に移り「知覚」「解釈」「比較」という段階を経る、というものだ。つまり、何を達成したいかという目標がまずあって、それに対してどのような達成手段があるかを考えるプランの段階があり、それからどこをどうやって操作するかという詳細化の段階がある。次いで誤らずに実行するという段階があって、人工物の処理が駆動される。人工物における処理がおわると結果が表示されるので、どこかに変化は生じたかを確認する知覚の段階があり、その変化は何を意味するかを考える解釈の段階があり、結果が目標に適合しているかを確認する比較の段階に至る、というものである。

これを見て、我々は「なるほど、そうだね」と思ってしまうし、各々の段階で異なるタイプのエラーが生じうることを説明されると、やはり「そうなんだなあ」と思ってしまう。このように、了解性は高いものの、人間内部での処理が確実にこのようにシリアルに行われているという保証はない。あくまでも、これはノーマンの洞察によって作り出されたものである。

まとめ

洞察型の心理学的な説明は、あくまでも何かを説明するため便宜上、提唱者がこしらえたものである。フロイトのモデルも一種の情報処理モデルのように見えるが、たとえば超自我やエスというモノは彼が生み出した仮想的実体である。ノーマンの場合には、仮想的実体はないものの、各処理段階が順番にシリアル処理されているという保証はない。しかし、そのように考えると、彼らの説明していることの了解度は増して感じられる。

心理学的事実の最後として洞察型を挙げてみたが、このほかにもまだ追加すべきものがあるかもしれない。しかし、いずれにしても心理学的説明というものには幾つかの種類があることを認識し、その根拠を絶えず問い直してから受け入れるようにした方がいいだろう。