ペルソナの限界と多様性への挑戦

ペルソナには良い点がいくつかある。しかし、伝統的なペルソナのやり方では、多様性の組み合わせによる爆発を防ぐことは不可能だ。そこで筆者が考えるのは、関連性という視点を導入することである。

  • 黒須名誉教授
  • 2025年12月11日

ペルソナが当たり前になった現在

設計においてペルソナを使うのはすでに常識のようになってしまっている。1995年にクーパーが提唱した考え方は、その後、急速に広まり、いまではデザイン、マーケティング、UXなどの領域で知らない人はいないものとなっている。筆者も『人間中心設計の基礎』や『UX原論』などでは、デザイン手法としてのペルソナについて説明を加えてきた。

たしかにペルソナには良い点がいくつかある。まず、どのようなユーザのためにものやコトを作っているのかを考えると、それをどのようなものやコトにすればいいかが考えやすい、ということだ。これはペルソナを設定することによって、彼・彼女がそのものやコトを利用している場面、そして彼・彼女がどう反応するだろうかということを想像しやすくなるからである。ペルソナを使わないで設計をしようとすると、結局、そうした予想は自分自身だけをベースにすることになる。もちろん、彼・彼女のイメージが曖昧過ぎればそれを設定する意味は薄れる。しかしクーパーが書いているような具体性のあるペルソナ像であれば、それは生きた人のように、その反応を予想させてくれるのだ。そして、設計作業に関与している人が複数いた場合には、ペルソナ記述が外化してあれば、それを参照することによって、多少のイメージの揺れはあるかもしれないが、大きくは違わないユーザのイメージを描くことができ、つまり関係者の間でのイメージ共有ができることになり、設計がスムーズに行えるようになる。これもまたペルソナの利点といえるだろう。

しかし、ペルソナはそんなに多数を作成することはない。少ない場合には一人しか作っていないというケースもあるし、多くても数人程度までしか作成されない。これは、おそらく設計に関わる人たちの作業記憶におけるマジックナンバー、つまり4±1という限界値に関係しているだろう。10人も20人もペルソナを作ってしまうと、それら全員分のイメージを一度に頭に浮かべておくことが困難になるし、限られた容量の作業記憶のなかで設計関係者のだれもが同時に思い浮かべられるペルソナが共通しているとは限らないからだ。だから、せいぜい数人分のペルソナをつくる程度に抑えてしまっているのだ。

それでも、ペルソナを作ることは設計作業の基本ルーチンの一部になっている感がある。その効用と限界を意識しないまま、きちんとした考え無しにペルソナを作ってしまい「これでいいのだ」と思ってしまうことには危険性があるのではないか。筆者にはそう思えてならない。

人間の多様性

世界中に一人として同じ人がいないという事実、これはペルソナを無反省に利用する傾向に対する大きな衝撃となるものだろう、と筆者は考えている。

世界中に一人として同じ人がいないということは、人間のあり方、つまりその特性や状況に関する多様性の実態を考えてみればすぐにわかることだ。次の表には、ユーザの特性、ユーザの志向性、利用状況や利用環境に関連した「次元」がリストされている。そして、たとえば価値態度というものを取り上げるなら、哲学者のシュプランガーの提唱した6つの類型、すなわち、真理の追究に価値を置く理論的価値態度、利益の追求に価値を置く経済的価値態度、感性価値を追求する審美的価値態度、人々との融和をめざす社会的価値態度、権力を追求する政治的価値態度、統一的価値を希求する宗教的価値態度を区別することができる。そして、それぞれの価値態度によってある状況におけるその人の考え方や行動は異なってくる。

そこで問題が起きる。それぞれの価値態度をペルソナにするとしたら、それだけで6人分のペルソナを作ることになる。さらに、それに性別が掛け合わさると12人分のペルソナができてしまう。しかし、だからといって政治的価値態度のペルソナだけを作って、それで他の価値態度の人々を代表させることができるだろうか。男性のペルソナだけを作って女性をも代表させることができるだろうか。否、である。しかも、価値態度と性別の違いの他にも、まだまだたくさんの「次元」つまり特性や状況がある。どうしたらいい、というのがここで湧いてくる疑問である。

ユーザの特性

  • 身体特性
  • 感覚・知覚特性
  • 認知・知的能力
  • 精神・感情特性
  • 年齢、世代
  • 性別・ジェンダー
  • 人種、民族
  • 言語
  • 職業
  • 熟練度、技能水準

ユーザの志向性

  • 嗜好
  • 新規性への態度
  • 文化、宗教、伝統回帰傾向
  • 価値態度、動機付け

利用状況や利用環境

  • 経済状態
  • 教育水準
  • 地域、居住環境
  • 家族構成、成育歴
  • 技術的環境
  • 地理的環境
  • 物理的環境
  • 安定性、障害支援
  • 意識水準
  • 健康状態
  • 一時的状況
  • 時代

交差性という考え方

ここで交差性(intersectionality)ということを考えてみたい。これは、1989年にクレンショーという法学者(ちなみに、黒人で女性)が提唱した概念で、複数の社会的カテゴリーが交差することで生み出される抑圧の経験や特権という経験のことである。この考え方を拡張すれば、概念的には、分散分析で用いられている交互作用という概念にも近いものがある。

たとえば、差別のなかには男女差別と人種差別が含まれており、男性よりは女性が、白人よりは黒人やヒスパニックが差別されているという現実があるが、それは単一の属性に関して個別にみた場合の平均的な話であり、細かくみていくと黒人やヒスパニックの女性が特に強い差別を受けているということがありうる。こうした場合、単純に黒人の男性のペルソナを作ったとしても、それは男女と人種に関して考慮したものにはならない、ということを意味している。

このことを単純に敷衍すると、それぞれの特性や状況のすべての組み合わせについて考慮しないと、人間の多様性をカバーすることはできないということになってしまう。しかし、もちろんそれは不可能に近い。

イクストリームユーザの考え方

また、それぞれの特性や状況について、分布の端のほう、つまりそれぞれの特性や状況について極端な人々を想定して、それでペルソナを作るのはどうなのか、という考え方もありうる。極端ということで、イクストリームユーザという言い方をするのだが、障害などでは重度の障害を持つ困難さは軽度の障害を持つ困難さを内包しているだろうというような考え方になる。しかし、軽度の障害者には軽度の障害者ならではの問題があり、それは重度の障害者には該当しない、ということもあるだろう。たとえば食具を持つことが困難な重度の身体障害者に対しては介助者による食事サービスが必要になるかもしれないが、それを描いたからといって、軽度で食具を利用できる障害者にとって扱いやすい食具をどうデザインすればいいかという知見は得られない。だから、イクストリームユーザの考え方にももろ手を挙げて賛成できる、というわけでもない。

ユーザプロファイリングという考え方

それならば、ユーザを年齢、職業、技能などの属性で分類して傾向を調べ、その中から対象とすべきユーザ層を明確にするというユーザプロファイリングの考え方はどうなのか、と考えられる。しかし、プルイットとアドリンは「それは、グループとしての傾向を調べるもので、ある一人の仮想的なユーザに焦点を置いて、そのユーザが持つであろう個人的な目標を描き出すペルソナとは異なる」として、伝統的なペルソナのやり方を支持している。

だが、筆者はプルイットとアドリンの考え方には賛同できない。伝統的なペルソナのやり方では、多様性の組み合わせによる爆発を防ぐことは不可能だからだ。反対に、ユーザプロファイリングによってグループとしての特質を明らかにできるのであれば、グループの中の個人間の差異は無視してもいいのではないかと考える。

関連性(relevance)という視点

そこで筆者が考えるのは、関連性という視点を導入することである。たとえば自治体の公共サービスのような場合には、あらゆる組み合わせが存在しているので、この視点を適用することは困難になるが、一般的なものやコトの設計においては、組み合わせ爆発を防ぐために、この考え方が適用できるのではないかと考えている。

一般的に、ペルソナを記述するというと、基本情報として年齢、性別、職業、居住地、年収、学歴などを、家族構成として同居家族、実家の場所を、ライフスタイルとして毎日の時間の過ごし方、通勤時間、週末の過ごし方、趣味などを、テクノロジーの利用についてスマホ所有の有無、PC所有の有無、SNSの利用、オンラインサービスの利用などを、目標や動機として、何を目指して生きているかなどの気持ちを、直面している課題として、時間面、金銭面などを書いたりする。しかし、まず、どういうものやコトの設計に関係するペルソナ構築かを明確にする。そして、先の表にリストアップした特性や状況のうちから、設計しようとしているものやコトの利用に関連性がありそうなものだけを残し、関連性の低いものはごっそりと落としてしまうのだ。

あとは、ユーザプロファイリングのように、残された特性や状況のそれぞれについて個別に(集合的ではあるものの)どのようなことになっているかを考え、それをもとにして設計のイメージを膨らませていく、というものである。もちろん、ユーザプロファイリングを実のあるものにするために、特性や状況がリストアップされた段階で、該当するインフォーマントをさがして、インタビュー調査や観察などを行い、具体的な人々の問題点を明らかにしてゆき、それをプロファイルに盛り込んでゆく。

このやり方がうまくいかない可能性は、残念ながら大きい。一つには、残された特性や状況といっても、まだまだその数は多く、組み合わせの小爆発は起きるからだ。また、特性や状況を独立に考えているので交差性に関する吟味が(たまたま頭にうかんだ場合を除いて)浅くなってしまう可能性があるからだ。しかし、基本的に、特性や状況を個別に考えてゆくので、小爆発の規模は正面切って交差性を考慮しようとした場合に比べればはるかに少なくなるだろう。

おわりに

ペルソナの使い方について、いろいろな側面を見てきて、ユーザプロファイリングを関連性に基づいて実施し、交差性に関する吟味は、たまたま気が付いた場合にのみ実施する、というやり方を提案してみた。それでも「小爆発」と書いたように、検討すべき情報の量は、一人から数人のペルソナを描出する場合に比べれば、はるかに多くなるだろう。しかし、人間の多様性を考慮し、真にユニバーサルな設計をしようとするならば、そのくらいのことをしなければいけないのではないか、というのが筆者の見方である。