ユーザビリティの問題はUXを阻害する

ユーザビリティをがんばったからUXはよくなるだろうと考えるのはあまりに楽観的すぎる。また、ユーザビリティの問題を見落としたり、それを蔑ないがしろにすると、それらの問題点はユーザの経験において爆発し、その企業のCIに泥を塗ることにもなりかねないのだ。

  • 黒須教授
  • 2016年11月8日

ユーザビリティは設計時品質

ユーザビリティという言葉がuse+abilityであり、能力や潜在力の一つであり、また設計時品質(quality in design)であることは既にあちこちで書いているとおりである。つまり、ユーザビリティは、設計を行う際に関係者が注力し、その品質向上に努めるべきものの一つであり、その点では信頼性や安全性、互換性などと同様のものである。しかし、設計時の品質であるために、それが高い利用時品質(quality in use)を保証するものではない。

UXは利用時品質にもとづいた経験であるから、いくらユーザビリティを高めても、それは高い設計時品質を構成するものではあるけれど、高い利用時品質を保証するものではなく、したがって高水準のUXをもたらすとは限らない。

左側に「UI」、右側に「UX」がある。UIの上部(左上)に「客観的設計品質」、下部(左下)に「主観的設計品質」がある。UXの上部(右上)に「客観的利用品質」、下部(右下)に「主観的利用品質」がある。
四つの品質特性領域とUI/UXの関係図。「設計品質と利用品質(前編)」より。

この点はとても誤解されている部分なのだが、ユーザビリティとUXの関係は、実はいま書いたようにとても明解なものであり、混同されようがない筈である。しかし、マーケッターやデザイナーは、担当している製品やサービスが市場に出た時にどれほどの水準のUXになるかを気にするし(そこまでは、まあ、当然のことではある)、UXの期待値をさも実測値であるかのように喧伝してしまうことすらある(こうなると許容しがたい)。

また、UXにはユーザビリティだけでなく、信頼性や安全性などの客観的品質特性も関係しており、総合的なものなのだということは、とかく忘れられてしまいがちである。ユーザビリティをがんばったからUXはよくなるだろうと考えるのはあまりに楽観的すぎる

さらに、美しさやかわいらしさ、楽しさ、嬉しさ、ありがたさなどの主観的品質特性を重視するあまり、結果よければすべて良しというような非分析的な姿勢をとる人たちも多くなっている。ユーザが嬉しかったといっても、すべての品質において問題がなかった訳ではなく、むしろ設計する側は、現在より高い水準の経験を提供するために、問題探しに注力する必要がある。

総合的な指標として満足感という主観的品質特性を採用している僕であるが、そこに至る品質特性の水準の積み重ねという点には気をつけているし、満足感という指標の高低がどのような要因によってもたらされているかという分析的な姿勢をとるようにしている。実際、シンプルなジャーニーマップの終点に笑顔が描かれていたりすると、正直、気分が悪くなる。

ユーザビリティを忘れていませんか

実際問題として、UCDやHCDに関連した分野にはいろいろな人がいて、優秀な人もいれば、そうでない人もいる。特に後者の人々は自分の頭で考えようとしないため、バズワードに踊らされる傾向がある。一頃のUXがそうだったし、しばらく前からはデザイン思考がそうなっている。サービスデザインとかソーシャルデザインなどというキーワードもでてきたけれど、デザイン思考ほどは流行っていないようだ。

ともかく、そうしたバズワードに踊らされる人たちは、新しい言葉が流行ってくると、以前の問題は解決してしまったかのように忘れ去る傾向がある。この無責任な姿勢が問題なのである。

そうした人たちの反対側には志のしっかりした人たちがいる。その人たちはユーザビリティの問題をきちんと考えようとしている。たとえユーザビリティという言葉が古くさくなったとしても、その問題がなくなってしまった訳ではないからだ。そして彼らは知っている。設計者やデザイナーが新しいものを作るたびにユーザビリティの問題の種は蒔かれてしまう、ということを。

UXというバズワードに流されて、ユーザビリティのことを忘れてしまうような人たちが無くならないという現状は危険なことでもある。それはユーザビリティの問題を摘出し改善するという努力を忘れてしまうことだ。たとえば企業活動の力点を、安易にユーザビリティからUXにシフトしてしまうような無顧慮なマネージャもいるということだ。

ユーザビリティの問題はUXで爆発する

最近、UXの問題を関係者にリストアップしていただく機会があった。それらの問題は、実ユーザが実利用状況において経験したもので、たしかにUXの問題ということができる。しかし、その問題のリストを見ていると、明らかにユーザビリティの問題、つまり設計時にユーザビリティ的な配慮が行き届いていれば、製品やサービスとして市場にでる前につぶしておくことができたはずの問題が含まれていたのだ。

幾つかあったのだが、そのひとつは

「製品を購入したら登録番号が書いてあって、それを読み取ろうとしたのだが、あまりに小さい文字で書かれているので、とても煩わしく、不愉快な気持ちになった」

といったものである。どうだろう。これに類することは身近な製品やサービスにまだまだ多く見つけられるのではないだろうか。

そして重要なことは、それらのユーザビリティの問題が、負の満足感をもたらし、全体としてのUXにも影響してしまっている、という点である。ユーザビリティの問題を見落としたり、それを(ないがし)ろにすると、それらの問題点はユーザの経験において爆発し、その企業のCIに泥を塗ることにもなりかねないのだ。

それを防ぐためには、従来のユーザビリティの部隊をUXに方向替えしてはいけない、ということだ。ユーザビリティの部隊はユーザビリティを扱うものとして温存しなければならない。UX向上のための活動は、それに「加えて」新たに追加すべきものなのだ。