より多くの人々がその言葉に魅力を感じて使い始めると、当初の意図や定義はどこへやら、概念は発散し、もはや意味をなさなくなる。魅力を感じさせていたものが魅力を失うことになってしまうのだ。
テレビのCMやポスターなどの非現実さの典型例が、そこに映されている人々の笑顔である。今回、言いたいのは、UXによる満足感を笑顔というビジュアルで表現するという単細胞的な発想を考え直そうではないか、ということだ。
UXチームの責務は、ユーザーにとって望ましいエクスペリエンスを作り出すことである。にもかかわらず、ユーザーを開発プロセスに巻き込んでいない組織は多い。顧客からのインプットがない組織は役に立たないインタフェースを作り出してしまう危険がある。
UXという概念は、言語や数という記号体系で表現するのが難しい。しかし、記号体系で可能な限り多様なことを記述してきた人類として言語的に語る以上は、UXの概念定義は必須である。
どのような技術も、それを転用することで他人の生活を破壊したり悲惨なものにしたりできる。だからこそ、それぞれの技術の深化や進化に対してどのような倫理的束縛条件を設定するかということが重要になってくる。
「体験」は直接的な表現であり、「経験」はそれよりも一般化された表現である。プロダクトやサービスに関するUXを時間軸の上で考えた場合、experienceは経験という表現で括る方がいいように思う。
useとは利を伴うもので、利益や利便性と関係する概念であり、利用とは利点を積極的に生かして恩恵を受けることである。したがって、目標達成のために人工物を用いる場合、useを利用と訳すのが適切だろう。
iPad mini Retina用にiCloudのIDを新規に取ろうとすると、そのセキュリティ質問は回答しにくいものばかりだった。キーチェーンやらセキュリティコードという新しい謎々が一切のヒントなくやってくる。終わったときには相当くたびれてしまった。
前近代的なシステムに最新機器だけを導入しても問題が起きる。適切なユーザ経験につなけるためには、ハード・ソフト・ヒューマンウェア全体の整合性と妥当性をきちんと吟味することが必要である。
15回という授業回数の厳格な確保が、本当にその質の保証や学生満足度の向上につながっているのか疑問である。教育システムの設計でも製品やサービスと同様にHCDの考え方を適用し、ユーザの声を確認する評価が必要である。
ユーザビリティとは、製品・サービスのUIの、ユーザーにとってのわかりやすさ・操作しやすさの度合いのことです。
ユーティリティ(機能や性能)が高くても、使いにくいとユーザーが感じるようなものでは、その価値は下がってしまいます。
ユーザビリティの高いUIには、パターンやルールがあります。
ユーザー視点のフィードバックがユーザビリティを高めます。
UX(ユーザー体験、体験価値)とは、特定の製品・サービスの利用時・前後にユーザーの中で生じる知覚・反応のことです。
カスタマージャーニーマップ(CJM)は、ある目的を持つユーザーと特定の製品・サービスとのやりとりを視覚化したものです。
CJMの作成や分析には、必要な要素やコツがあります。
CJMを作成するには、UXを把握する調査が必要です。
ユーザビリティ評価も、UXを把握する調査も、その目的やタイミングによって適切な方法を選択する必要があります。